堀田力氏の戦略と戦術

〇人事を通じての政権による検察支配に道を開く、と批判の高い検察庁法改正案は、政権側が強く望んでいた2020年5月15日中の衆院内閣委員会での採決がならず、問題は次の週に持ち越されました。松尾邦弘元検事総長らが法案反対の意見書を法務省に提出するなど、法案に反対する動きが活発になっています。その中で、ひときわ異彩を放ったのが、元ロッキード事件の捜査検事・堀田力氏が、2020年5月14日の朝日新聞でインタビューに答える形で明らかにしたこの件に対する意見です。

〇堀田さんは若き日、駐米日本大使館で一等書記官をした国際派の検事。後輩の検事と共にロッキード事件の捜査で渡米、ロッキード社のコーチャン元副会長に対するアメリカの検事による嘱託尋問に立ち会いました。続いて田中角栄元首相を被告とする裁判の立会い検事を論告求刑まで務めました。その後は法務省に転じて官房長などを務め、検事総長の候補の一人とみられていましたが、突如退官。介護の社会化を唱え「さわやか福祉財団」を設立して、介護事業に乗り出しました。現在、検察官出身者の中で最も有名な人の1人、と言ってよいと思います。

〇堀田さんは、官房長などを務めて政治と検察の関係をよく知っているだけに、インタビューでは「政治家がその権力を背景に捜査に圧力をかけてくることはよくある」としたうえで、「だからこそ、今回の幹部の定年延長の規定は削除すべき」として、法案に強く反対しています。ここまでは、今や常識の論(安倍首相が非常識)です。
しかしすごいのはインタビューの結論で、この事件の裏の主人公である、黒川弘務東京高検検事長と、稲田伸夫検事総長はともに辞職せよ、としていることです。

〇2月段階で定年退官のはずだった黒川検事長は、現行法に背いて閣議決定した定年延長を受け入れた責任があり、また、稲田検事総長はそれを認めた責任がある、というのです。

〇この問題は黒川検事長の前例のない定年延長から始まった(表に出た)わけで、当初から法務官僚が長く、検察庁法の内容・趣旨を通暁している黒川氏が、「何の顔(かんばせ)あって」定年延長を受けたのかという批判があり、黒川氏は辞職すべきだ、という声は多数ありました。

〇しかし稲田検事総長については、2月段階で辞任することで「政権の守護神」と言われる黒川検事長へ総長職を禅譲する道もあったのですが、これをを拒み、政権の邪な心根を結果として暴く役割をした、いわば「善玉」。責任取って辞めろ、というのはちょっと気が付かない論です。

〇検事総長は、次期総長の任命権者ではありません。しかし、誰を次期総長にするかについては、その意向が物を言う、とされてきました(ロッキード事件の総指揮を執った検事総長は布施健氏、次が神谷尚男氏、その次が辻辰三郎氏ですが、神谷総長の定年が迫ったある日、辻氏が顔をほころばせながら私に、「神谷さんから、『(法務大臣に)あなたを総長に推薦しておきましたよ』と言われました」と言ったのを思い出します)。

〇2月段階で、稲田総長は辞職──禅譲は受け入れなかったものの、黒川検事長の定年延長には反対するアクションは起こさなかった訳で、それについての責任は確かにあるでしょう。堀田さんの議論は周到で、「悪玉」がいくら無茶なことを仕掛けてきても、「善玉」の方は筋の通った対応をしないと説得力がないし、迫力がない。さすがの戦略眼だと思います。

〇しかし相手は、「無理が通れば道理が引っ込む」の政治哲学を持っている疑いがある安倍首相です。正しい戦略だけではだめで、負けない戦術を取らなければなりません。稲田総長が2月段階で、黒川検事長の“違法な”定年延長に反対・抗議したとして、具体的なアクションとしては、稲田総長の抗議の辞職しか考えられません。そして稲田さんが辞職すると、安倍政権は得たりやおうと黒川氏を検事総長に任命するでしょう(黒川氏は「ここで躊躇すると、現場が混乱する」とか何とか言って、受けることでしょう)。稲田総長が辞めるのは、安倍政権の望むところなのですから、稲田辞職につながるアクションは、碁・将棋でいう悪手でしょう。

〇もう1つ、広島で進行中の河井案里参議院議員の選挙違反事件の帰趨が問題です。案里議員の秘書が起訴されており、禁固以上の有罪判決が確定すると、案里議員が連座制で議席を失う可能性があります。そればかりでなく、夫の前法務大臣で衆議院議員の河井克行氏が、案里議員の選挙運動で現金を地方の首長や県議に配っていた疑いがあるとして、検察は懸命の捜査を続けています。この事件は、政権の都合で検事総長の人事が簡単に動かせるようになれば、到底手が出せないと想像され、実質的に検察庁法改正問題と密接不可分の事件です。

〇この捜査は東京地検特捜部や大阪地検特捜部の応援を受けているとされ、この「全検察的体制」の捜査は稲田総長抜きでは考えられません。いま、稲田総長に辞めてもらうわけにはいかないのです。

〇この、検察庁法改正問題、国会の動きは大切ですが、事件の動きも負けずに大事。両方の動きを追えば、より理解が深まり、興味深い問題となります。

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