#235【虎に翼語り】余談・「寅年の女」信仰(ちょこっと鬼滅の話も)
今日もお読みくださってありがとうございます!
今日のタイトル画像も、明治大学博物館で開催中の「虎に翼展」で展示されていた伊藤沙莉さん(たぶん直筆)の寅子イラストです。
今日は、トラつば余談です。
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寅年生まれだから「寅子(ともこ)」
「寅ちゃん」が『男はつらいよ』の寅さんから『虎に翼』の寅子の愛称として認識されるようになりましたね。
男性の人生を描く昭和の寅から、女性をはじめ権利を獲得していこうとするすべての人を描く令和の寅へ。
我らが寅子は、ご存じのとおり、寅年生まれだから寅の子と書いてともこと読みます。
「虎の子」って、大事に隠しておく宝物という意味もありますよね。素敵な名前です。
「寅」って「とも」って読むんだ、と思ってたら、布袋寅泰さんがいらっしゃいました。やはり寅年生まれだそうです。
なお、フーテンの寅さんは寅年生まれじゃないみたいです(作品によって生年が異なるがいずれも寅年ではない)。
脱線:鬼滅の刃の干支考察
干支に「子」を付ければなんでも女性の名前として成立するかと言えば、決してそんなことはありません。
子年でネズコとか亥年でイノコ(遊郭編での伊之助の源氏名が"猪子")なんて鬼滅の刃でしかない。
……とかいって、ほんとに禰󠄀豆子は子年、伊之助は亥年から来てたりして……?
なんて思ってちょっと調べて見たら、あながち悪くないセンかも……。
上記の気象予報士の森田さんが書いた記事で、「いくつかの説を参考にさせていただいて大正元年12月(1912年)を物語の始まりとします。」とあります。
この仮説に基けば、この時点で炭治郎は13歳なので1899年の亥年生まれ、禰󠄀豆子は12歳なので1900年の子年生まれ。伊之助は炭治郎と同年なので亥年です。
おおお、ぴったり!おもしろ!
なお、この説で行くと他のキャラは、善逸・カナヲ・玄弥1898年戌年、しのぶ1896年申年、蜜璃1895年未年、煉獄1894年午年、義勇・小芭内・実弥・カナエ1893年巳年(小芭内が巳年!)、耀哉・宇髄1891年卯年(子ども、妻いっぱいいる)、悲鳴嶼・あまね(耀哉の妻)1887年酉年。
耀哉と宇髄の卯年はちょっと強引かもしれませんが、小芭内の巳年はなんか仕組んでそうな気もします。同年の柱たくさんいますけど(苦笑)
盛大に話がずれました!戻します。
女の子には強すぎるから産み控える?「五黄の寅年」
寅子は大正3(1914)年、五黄の寅年生まれです。
寅子の見合いの場でも父の台詞で「活発な子」と語られますが、どうやら日本では「五黄の寅年の人は気が強い」と言われているらしいです。
同じく五黄の寅年生まれのイモトアヤコさんも下記のように書いていらっしゃいます。
なんと、女にしては運気が強すぎるから女の子を生むことを避けられていたこともあるのですね。
寅年の女信仰
寅年生まれの女性に関する俗信が物語の鍵となる歌舞伎作品があります。
『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』です。
9月に歌舞伎座で尾上菊之助さん主演で上演されていたので観に行ってきました。
命の犠牲を美化する古典歌舞伎によくある胸糞話(←言い方……)なのですが、この中でも「寅の月寅の日寅の刻生まれの女の肝臓の生血を飲ませれば業病が快癒する」という俗信が描かれています。
そこまでいくと正直気持ち悪い(←歌舞伎ファンの言うことなのか)。
本作の初演は1773年。
日本には少なくとも数百年来の「寅女」信仰があるようです。
誰もが知っているのに年賀状の時期以外ほとんど気にしない干支ですが、こうしていろいろと見てみると古くからの文化が根付いていて、創作の世界に大きな影響を与えているのは面白いですね!