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黒ビールで乾杯

ジリジリ ジリジリ

首筋に太陽が激しく照りつける。
太陽は、一体いつからこんな凶暴になったのか?
数年前の8月、僕は膨大な数の墓石が並ぶ墓地の中を父の墓を探して歩いていた。

自分の親の、墓の場所が分からず探し回る人間が、世間にはどれほどいるのか? この墓石の中から、父の家の墓を見つけ出すのは到底不可能に思われた。

                *

父との乾杯」それは到底ありえない未来だった。

いつからそうなってしまったのか、父はアルコール依存症で、酒乱だった。
ご機嫌に酒を飲んでいた頃の父を僕は知らない。

酒はわるくない。本人もわるくない?……わるいのは体質。
そんないい訳じみた言い回しも、何度も使っているうちに擦り切れてしまった。誰だって楽しく酒が飲みたい。

ベランダに出て奇声を発する父。
母の悪口をずっと繰り返す父。
父が酔っ払っている時の思い出はひどいものだ。

この間ふと、近所のスーパーの酒売り場で父を待ち伏せしていたことを思い出した。確か小学生2年生の時だ。結局、父は現れなかった。察知し別のスーパーに行っていたのだ。から足で家に戻ると、すでに父は酔っ払っていた。

二十歳になって父と乾杯

テレビなんかでそんなシーン見るたびに、僕は居心地の悪い気分を味わった。実際そんな理想的な家庭などほとんどないだろう。そう思いつつ、自分には絶対ありえないそのシーンに、僕は複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

僕が高校生になった年、父と母は別れ、父は家を出ていった。
さびしさはなかった。憂鬱な土日から開放される。そう思った。

時が経って、僕も酒を覚えた。
お酒はあまりイメージがよくなかったはずなのに何のその
ビール、日本酒、ウィスキー、ワイン、焼酎、カクテル。
僕はなんでもイケた。中でもビールは、利きビールができるほど飲んだ。
大体は楽しく飲んだ。でも、時に失敗もして、酒の恐ろしさを知った。

社会人になり、結婚し、息子が生まれた。
息子のおかげで僕は徐々に父になっていった。

息子が歩き出し、喋り出し、そしてある時、もう何十年もあっていなかった父に強烈に会いたくなった。

父は今、何を思って生きているのだろうか?
泣いているのか? 笑っているのか?
ただ、父が今どんな人生を歩んでいるにせよ
少なくともあなたには孫ができたんですよ
そう伝えたかった。

息子を連れて父と再会するところを想像してみた。
父のグラスに「一杯だけだよ」といってビールを注ぐ

ありえなかったはずの未来が、僕の頭の中に浮かんだ。

けれど……。

母に相談したところ、母はあんまり父に会って欲しくなさそうだった。
気持ちは分からないでもない。父に散々苦しめられた母としては、依然として父にいい印象はない。

ただ、僕も同じ気持ちのはずだったのに、息子が、息子の存在が、もう父が以前どうだったなんか、どうだっていいじゃないか、そういう気持ちにしてくれたのだ。

母の気持ちと自分の気持ち、僕は揺れた。


父が亡くなったのは、それから数ヶ月後のことだった。
父の妹から母のところに電話があった。

事務連絡。既に葬式も何もかもが終わって、生命保険の複雑な後処理とこれまた複雑にこんがらがった、遺骨の話だった。

母とそれを取り巻く人との間に、どういった話がなされたのか
僕の知らない部分は多い。ただ結果として最後に父の遺骨がどうなったのか僕たちが知るすべては断たれてしまった。

母と姉と父の故郷にある、父の実家の墓を尋ねてみることになったのは、それからまた半年後のことだった。

                *

墓石を1つ1つ順番に調べていく。
自分と同じ、姓 ( せい ) を探す。

直前、何やら胸騒ぎがして、とうとう奇跡は起こった。
僕は大声で母と姉を呼んだ。

「おーいあったよ!」


お墓参りを終え、小料理屋で遅いお昼を食べることになった。
ふと思って、僕は黒ビールを注文する。
喪に服するでもないけど、なんだか黒ビールがいいように思ったのだ。

黒ビールをグラスに注ぎ、母と姉と乾杯し、その後
僕は想像のなかで父とグラスを合わせる。

『乾杯!』

音のならない乾杯。架空の乾杯。
だけど、少しだけ気持ちが軽くなった。

                *         

自粛が続く昨今、いくつもの乾杯が消えていく。そんな気がした。
まあ、落ち着いたら、いつか

いつかという日は油断していると、実は一生こないかもしれない。
やはり、思い立った時がその時なのだ。
だから、僕は電話をかける。

そう、考えてみたらいい時代じゃないか。
ちょっと前なら、テレビ電話で乾杯なんてことはできなかった。

思い立ったら、テレビ電話でもいい。乾杯すればいい。

今年も8月のこの日がやってきて
僕は黒ビールを買いにいく。

勝手に父の命日と決めたこの日、僕は天国の父とリモートで乾杯するのだ。


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