「リンダリンダ」とは何か

今回はリンダリンダの歌詞を解説したい。
しかし、リンダリンダの歌詞解説はググればいくらでも散見されるテーマであり、今更することではないかもしれない。
ただし、私にはどうしてもせねばならんと感じるところがある。
それは、「リンダ」って結局なんなんだい?
という疑問へのアンサーだ。
「リンダ」の追求へ向けて本稿を綴ろう。

ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
ドブネズミみたいに誰よりもやさしい
ドブネズミみたいに何よりもあたたかく
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ

「リンダ」とは何か?
まず第一にできる解釈は愛の対象である。
愛する人の名前が「リンダ」と言っても良い。
歌詞を見てみれば、「どうか愛の意味を知ってください」という歌詞があるから、なんとなく、ラブソングの匂いを感じとってしまうのも無理はない。
しかし、よく歌詞を見れば、これが否定されるのが分かる。
「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」
愛と恋を完全に否定してしまう。
そんなもんは関係ないんだと。
この瞬間、これまで繰り返されてきた「愛の意味」=「リンダ」のイメージが崩壊してしまうのだ。
結局これでは、「リンダ」のイメージを何も伝えていないことになってしまうのではないか?
いや、そうではない。
むしろ、「リンダ」のイメージをより形而上学的なものへと上昇させるのだ。
それに続く歌詞を見てみよう。
「決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ」とある。
結局、「リンダ」については語られていない。
この歌詞は、むしろ、「リンダ」へと叫び、志向する、その力の強さを明示しただけにすぎないのだ。

結論から言えば、「リンダ」の意味を解釈するのは不可能である。
しかし、これは何も言っていないわけではない。
初めに「リンダ」=「愛の意味」という図式が描かれ、最後に「リンダ」=「愛じゃなく」つまり「リンダ」≠「愛」の図式が導かれる。
さらに言えば「リンダ」≠「恋」でもあるのだ。
重要なのはこの思考のプロセスである。
このプロセスは意味を紐づけようとしても、するすると抜けてしまう「リンダ」という存在の神的なあり方を記述している。
端的にまとめれば、「リンダ」はいかなる意味を通しても記述できないのだ。
しかし、全ての意味を引き受けない「リンダ」はそのままなんの意味もなさずに死んでしまう言葉ではない。
むしろ、全ての意味を引き受けないからこそ、全ての意味を引き受ける。
「リンダ」は「愛」でも「恋」でもないが、「リンダ」は「愛」でも「恋」でもある。
と言った形式で。
これは神と同じだ。
神はそれ自体を記述すれば、陳腐化してしまう。
なぜなら、神は人智を超えていなくてはならないからだ。
しかし、記述を、意味の紐付けを、拒む神は、全ての意味を引き受け、周知の通り全能になる。
したがって「リンダ」とはロックンロールを通した「神」の創造なのだ。

しかし、甲本ヒロト作詞の「君のため」では「好きです 誰よりも 何よりも大好きです ごめんなさい 神様よりも 好きです」とあるように「神様」を否定している。
が、これは形而上学的で抽象的な領域にある「神」という概念を否定しているわけではない。
むしろ、「神」を「大好き」な人へと転移させ、別の「神」を生み出しているのだ。
「神」を引き合いに出し、「神」以上のものを現出させているのだ。

ここまで我々は「リンダリンダ」の意味について問うてきたが、そのアンサーは「神」の創作活動としてその概念が転移されたもの、ということだ。
我々は「リンダリンダ」の歌の中に「ロックの神様」を見ていたのだ。
だからあれだけ魅了されてしまう。
「ガキ騙すのがロック」であるのは全くその通りだと思う。
話は変わるが、私は昔ほど「リンダリンダ」を真剣には歌えなくなってしまった。
カラオケで歌ってみてもなんだかノれない。
リズムにはノれるが、「リンダリンダ」に「強い力」を持ってしてはノれないのだ。
おそらく、それは、「神」の存在に気づいてしまったからだと思う。
つまり私の中で「リンダリンダ」は陳腐化してしまったのだ。
そして、大人になるということは恐らくそういうことなんだろう。
全てが陳腐化してしまう世界の中でどう生きれば良いだろうか?
これからも形而上学の探究を進めていくつもりだ。
フォローなりなんなりよろしく。

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