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新たな価値を生み出す「両利きの経営」のススメ 第1部 中小企業における両利きの経営

『原点回帰-新たに生み出すもの、代わらず強化するもの-』をテーマにした「ものづくり経営トップ向け特別セミナー」の第1弾として「新たな価値を生み出す『両利きの経営』のススメ」を開催しました。
今回は、ご講演をいただいた五藤宏史様にその内容を2部に分けて詳しくご紹介いただきます。

第1部では、「中小企業における両利きの経営」の成功に向けた取り組みのポイントを解説します。


1.両利きの経営とは

「右手にカメラ、左手に事務機」
「両利きの経営」という言葉を初めて耳にした時、私の頭に浮かんだフレーズです。
これは、キヤノン創立30周年となる1967年の年頭あいさつに於いて、御手洗毅社長(当時)が打ち出した言葉です。
当時ほぼカメラ専業であった同社において、この言葉は経営多角化へ向けた強力なスローガンとなり、社員の団結と新規事業の成功を導いたのでした。

「両利きの経営」とは、企業経営において両手を巧みに使いこなすがごとく「知の探索(新規事業の発掘)」、「知の深化(既存事業の深堀り)」の両方を進めていくことを言います。

「両利きの経営」は、世界のイノベーション研究の最重要理論となっており、多くの学者によって研究が進められてきました。書籍「両利きの経営」は、この理論に関する初の体系的な解説書であり、アメリカの経営学者(チャールズ・A・オライリー、マイケルL・タッシュマン)によって執筆されました。
この本は、多くの事例を含め大企業向けの内容となっていますが、中小企業においても、長期的な存続へ向け「両利きの経営」は必要です。このため、中小企業向けに「両利きの経営」を発信しようと執筆されたのが書籍「中小企業の両利きの経営」(筆者を含む共著、ロギカ書房)です。「未来を創る10の視点」をサブタイトルに、どうすれば中小企業でも「両利きの経営」に取り組むことができるのか、「基本編」と「実践編」に分けて解説しています。

そもそも、なぜ今「両利きの経営」が必要なのでしょうか?
最大の理由は、企業を取り巻く外部環境が絶え間なく変化しており、特に21世紀に入ってその加速度が増していることです。

例えば、カメラ市場でフィルムカメラからデジタルカメラへ技術の主役が交代したのは、21世紀初頭のことでした。コダックが倒産(後に規模を縮小して再出発)した一方で、最大のライバルであった富士フィルムは「両利きの経営」を実践し、見事に業態転換を実現しました。

最近ではSDGsが地球規模の課題となっていますが、とりわけ気候変動への対応は最大の懸念事項といって良いのではないでしょうか。温室効果ガス排出抑制が自動車産業に与える影響は甚大であり、脱炭素化へ向けた展開は、日本経済における大きな関心事項となっています。それ以外でも、AI・IoTに代表されるデジタル技術の進展等、目を見張る変化が多数発生しています。

今ほど、両利きの経営が重要な意義を持つ時代は、なかったのではないでしょうか。

◆中小企業の事例

「両利きの経営」という言葉を聞いた際に、中小企業での実施をイメージできない方がいらっしゃるかもしれません。ここで、「両利きの経営」を実現した中小企業の事例(出典:2017年度版 中小企業白書)を以下に紹介します。

日東電化工業株式会社(群馬県高崎市、従業員50名、資本金1,600万円)は金属部品に防錆用のメッキ加工を行う事業者です。同社が防錆加工を行う金属部品は自動車のエンジンやブレーキを始め、OA機器・複合機器のシャフト等に用いられています。
1990年代から、将来的に自動車エンジンが電動モーターへ取って代わられると予測していた同社は、主力事業の将来性に危機感を覚え、事業多角化の必要性を感じていました。
メッキ事業で培った技術を他の分野で活用することを模索する中で、今後成長が期待されるヘルスケア領域に目をつけました。そして、メッキ事業で用いていたボイラー・排水設備等のユーティリティや排水中の微量金属・測定技術、化粧品ブランドの立ち上げに関するコンサルティング業を経て入社した同社取締役・茂田正和氏の経験などを活かし、2004年にヘルスケア事業部を立ち上げました。
金属表面処理加工で培ったミネラルを活用する技術を応用し、肌への有効性を探求することによって、同社のノウハウを活かした化粧品製造、ブランド立ち上げに成功したのです。
同社は、自社の化粧品を市場に浸透させていくために、多種多様な化粧品ブランドを展開しています。これは、「様々な顧客ニーズに対応していく必要がある」という考えや、「出来る限り販売チャネルを網羅したい」といった背景があるためです。
また、自社商品のPRに当たっては、雑誌広告への掲載やテレビショッピングへの出店を精力的に行い、自社ブランドの知名度を向上させていきました。
こうした取り組みの結果、ヘルスケア事業は同社売上の18%を占めるまでに成長しました。 

上記事例では、早い段階での新規事業着手、市場成長性や資産活用を踏まえた戦略などにより、見事に「両利きの経営」を実現したことがわかります。

2.中小企業ならではの強み

読者の中には、経営資源が限られている中小企業に「両利きの経営」は難しいのではないかと感じている方もいらっしゃるかもしれません。「両利きの経営」成功のためには、企業の「見えない資産」を最大限に活用して、そういった制約を乗り越えていくことが重要です。
この点については、第2部で解説します。 
 
一方で、両利きの経営を進めるにあたって、中小企業ならではの強みが多く存在します。実際の取り組みへ向けては、そういった強みを把握した上で進めたいところです。

◆リーダーシップ

中小企業は規模が小さいため、経営者が社員とコミュニケーションを取りやすく、リーダーシップを発揮しやすい環境にあります。取り組み方について工夫が必要であるものの、企画から意思決定、実行までの時間を短く済ませることが可能です。
両利きの経営において、リーダーシップの役割は様々な局面で重要となります(取り組みのポイントは「4.中小企業の両利きの経営4つの要素」にて説明します)。

◆一貫性

中小企業の経営者は株主であることが多く経営者の在任期間が長いため、長期的な展望に立って、一貫性のある意思決定を行うことができます。これは、構想段階から運営に至るまで、新規事業推進のベースとなります。

◆ターゲット市場

中小企業では、目指す市場の規模が小さくても事業が成立しやすいため、ニッチ分野に参入しやすいというメリットを有しています。
こうした強みをしっかり認識して、新規事業の取り組みをぜひとも前へ進めていきたいところです。

3.なぜサクセストラップに陥るのか

歴史を紐解いてみると、優秀な人材、戦略ビジョンなどを兼ね備えた優良企業が、イノベーションや環境変化に対応できず、窮地に陥ってしまうケースが多く存在します。
なぜ両利きの経営において、うまく進まないケースが多いのでしょうか?

その理由は、「サクセストラップ」(成功の罠)という言葉で説明することができます。
一般的に市場で成功している企業の活動は、「知の深化」に偏る傾向があります。「知の深化」に偏れば、結果として中長期的なイノベーションは枯渇してしまいます。この傾向は、特に成功企業ほど陥りがちであるため、サクセストラップと呼びます。
サクセストラップに陥る理由としては、効率性、リスク、マネジメント特性の違い、抵抗勢力等が挙げられます。

◆効率性

知の探索は「未知の世界」で行われるため「やってみないとわからない要素」が多く存在し、実際の取り組みでは試行錯誤しながら進めていくことになります。このため、経済的、人的、時間的に非効率となり、収益性が低くなりがちです。

◆不確実性(リスク)

知の探索は、失敗に終わることもあります。取り組みの途中で難題に出くわし、ピンチに陥ることも少なくありません。新規事業に懐疑的なメンバーからは、格好の攻撃対象となり得ます。

◆マネジメント特性の違い

既存事業では、製品・サービスの品質改良、コストダウンといった漸進的な改善が中心となるため、マネジメント面において効率性、コントロール、確実性、などを重視することが求められます。
一方、新規事業では未知領域を試行錯誤しながら進んでいくため、柔軟性、自発性などを重視したリーダーシップが求められます。
既存事業のやり方で新規事業に取り組んだ場合、特性上の違いから、マネジメントはうまく行きません。また、既存事業の観点で新規事業の取り組みを見れば、「うまく進んでいないのではないか」との疑念を持つことにつながります。

◆抵抗勢力

人間の基本的な心理的特性の1つに現状維持バイアスがあります。
現状維持バイアスとは、できれば変化を避けて現状のまま進んでいきたいという心理的傾向のことです。これまで既存事業に携わってきた社員は、その分野の専門家であり、多くの知識や高いスキルを持っています。そうした人たちには専門家としてのプライドもあるため、特にこのバイアスが作用しやすいと言えます。そういった人たちが新規事業に疑念を持ちグループ化すると、抵抗勢力となります。

このように、2つの事業組織には葛藤が生じる本質的なメカニズムが存在しています。このため新規事業は様々な局面で批判を受けやすく、つぶされる環境が生じやすいのです。

4.中小企業の両利きの経営「4つの要素」

「両利きの経営」では、サクセストラップを乗り越えて知の探索を推進すべく、リーダーシップ発揮や組織づくりを行うことが、ポイントとなります。

書籍「両利きの経営」では、両利きとなるための4つの要素を挙げています。それを踏まえ、サクセストラップを乗り越えるために中小企業として取り組むべき4項目を以下に説明します。

図表1 中小企業の両利きの経営「4つの要素」

 ◆腹に落ちる戦略 <理論面>

葛藤が生じやすい新規事業と既存事業のメンバーが前向きに協力するためには、両者の納得できる戦略が必要です。
戦略策定においては、全体としての整合性、既存事業の資産(特に見えない資産)を活かした競争優位性などに着目して行うことが重要です。その上で社員に提示を行い、十分な理解を得ていくと良いでしょう。

◆共通ビジョンの策定・浸透 <マインド面>

探索チーム、深化チームのメンバーが積極的に協力、前進するためには、頭で理解するだけでなく、熱意を持って行動することが重要です。
そのためには、両者の心に響く共通ビジョンや目標を策定し、浸透させることが効果的です。こうした取り組みは、既存の資産を共有して、社員が一丸となって前進することに繋がっていきます。

◆両利きの組織設計 <組織面>

経営学において”両利き”という言葉が最初に使われたのは、1976年、ロバート・ダンカンの研究論文であり、下記の「②連続的な両利きの経営」が想定されていました。その後の多くの研究により、「両利きの経営」分類として下記の3つが存在します。

①構造的両利きの経営
新規事業のためにサブ組織を設け、「知の探索」と「知の深化」のそれぞれに適した経営資源(研究開発の部署など)を配置する方法です。

②連続的両利きの経営
既存事業が軌道に乗った段階で、「深化」のモードから「探索」のモードへ連続的に切り替えていく方法です。まずは、通常業務を営みながらイノベーションに同時並行で取り組むことになります。

③文脈的両利きの経営
個人に知の探索行動と深化行動を取る権限を与え、個人の裁量権に任せることで達成する取り組みです。グーグルの20%ルールは、これに該当します。

中小企業が両利きの組織運営を考えるにあたっては、①のような「別組織の設置」は困難なケースがあるかもしれません。新規事業の目標や要員規模を考慮して、②あるいは③の採用や組合せなど、最適な方法を取り入れていくことがよいでしょう。

◆経営者の支援・管理 <運営面>

葛藤が生じやすい探索チーム、深化チームの両方を有効に機能させるため、リーダーは、それぞれと十分なコミュニケーションを取って議論を行い、管理していく必要があります。対立が生じた際には、それにしっかりと向き合い、目標に向かって両チームが前向きな解決を図っていけるよう導いていくのです。特に圧力をかけられやすい探索チームを支援していくことが重要です。

上記4項目の取り組みにおいては、いずれの場合もリーダーシップの果たす役割が重要となります。まさに「中小企業の強み」を発揮することが、成功のポイントとなるのです。
「両利きの経営」は、中小企業だからこそできるという側面が大いにあるといって良いいでしょう。
 
以上のように、両利きの経営を成功させるには、サクセストラップや「4つの要素」に留意して取り組むことが重要です。

第2部では、新規事業に関する具体的なアプローチについて解説します。


(執筆者:五藤宏史 五藤コンサルティングオフィス 中小企業診断士)
1987年 早稲田大学大学院・理工学研究科修了後、キヤノン(株)に入社。海外企業との協業によるプリンター開発、製品プロジェクトマネジメントに多数携わった。(2製品は社長賞受賞)。経営戦略・事業計画策定、創業支援、製品開発、マーケティング等が専門。現在、コンサルティング、研修講師、執筆活動等を行っている。


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