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団塊ジュニアはジュニアはひとりっ娘 11

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父が亡くなり想像以上に私はダメージを受けていました。
ある日突然 訪問に来たヘルパーさんが発見した父の最後の姿。
父がお世話になっていたのは、 小規模多機能ホーム という
訪問介護 通所介護 入浴介助 通院支援 投薬管理 等々
複数箇所に依頼する事なく一箇所で介護保険・介護度に応じた対応を1ヶ月の予算内で管理してくれるところだったのですが。。。

母は違ったのです。

母が パニック障害を発症し、仕事が出来なくなった。
なので生活保護を申請して生活することにした…
と、母のパートナーから説明を受けた。

母は突然意識を失い、何度も道端で倒れ救急車で運ばれ、倒れた勢いでどこかを骨折することも珍しくなかったらしい。

独り暮らしだった母はこういった理由で生活保護のお世話になる事になったのですが、それは父よりも早い段階でだったのです。


〜〜〜余談〜〜〜
前にも書いたかもしれないけど、私の両親は 私が中学の時に別居し、離婚したのは私が結婚し長男を産んだ後。

別居後は姉を頼って関西へ。
それまで勤めてきた仕事を辞めて人間関係も断ち切ってきた母。
なんの相談もなく母と一緒に行くことになっていた私は関西へ。
学年が変わるタイミングで転校した。
でも、そもそもそんなつもりはなかった私は とある母の一言で絶望し、転校して数ヶ月後に父の所へ帰ったのです。

母は離婚はしてなくてもパートナーは居て…。
進学のためにまた母と暮らす事になったのは数年後。
私も多少大人になりつつある中、女を見せる母に嫌悪感は当然ありました。
〜〜〜余談終了〜〜〜


話は戻りますが

私が結婚した時 両親は数年ぶりに再開したのだけど、その時の父は復縁できる物だと思ってウキウキしていたのを私はなんとも言えない気持ちで見ていました。
が、母が姉(私の叔母)の借金を負わされ破産することになり、それを理由に離婚。
その後、両親は疎遠になり… 交流が再開されたのは父が倒れた直後。私のサポートをしつつ、父の心のケアを手伝ってくれたのだけど、母はそのどちらも 崖から突き落とす ように切り落としたのです。

父が隠れてお酒を飲んでいる…介護が大変だと私が母に相談した時の返しは

「私にそーゆー話を二度と聞かせないで!ひとりでやって!」

だった…

つづく


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