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「終戦記念日」対談

第二次世界大戦により多くの命が失われ、8月6日と8月9日には広島と長崎に原爆が投下され、甚大な被害が出ました。
今年は76回目の終戦記念日です。
今回は、広島県と長崎県出身の2選手にインタビュー形式で「原爆」の観点から戦争に対しての想いを聞いてみました。
動画版は以下のURLからご覧になれます。

https://m.youtube.com/watch?v=3Gh8jTxIkPE&t=394s

対談者紹介

大石謙介(おおいし・けんすけ)
4年
広島県出身。
前所属:広島皆実高校


牧村拓(まきむら・たくみ)
3年
長崎県出身。
前所属:長崎日大高校

はじめに


-まず自己紹介お願いします。


大石
:広島皆実高校出身の4年の大石謙介です。よろしくお願いします。

牧村:長崎日大高校出身の3年の牧村拓です。よろしくお願いします。

-この企画は、3.11の対談企画を行った際、大石選手から発案がありまして、実現しました。
さっそくですが、なぜこの企画を発案したのか聞かせてください。



大石
:もともと自分は発信したいと思うタイプではないんですが、「原爆」に関してはしなくてはいけないと。広島県で育って色んな人の話を聞いてきた中で、発信しなくてはいけない責任感と義務感から、こういった企画をやって欲しいと発案しました。

-牧村選手にも同じ思いはありますか?

牧村:長崎県で18年間生活してきて、毎年この時期は学校で行事があったり取り組みを意識づけてやる期間なので、当たり前のようにこの期間を大事に考えています。東京に来てから、周りの人の反応や意識の違いを感じて、深く学んでる自分たちが発信するべきだということは感じています。

「原爆」に対して受けてきた教育


-牧村選手が「場所による意識の差」について触れていましたが、それに関して聞きたいなと思います。広島と長崎で似たような体験にはなると思いますが、今までどのような教育を受けてきたのか教えていただきたいです。


大石:広島では義務教育の過程で必ず全員が原爆について学ぶ機会があって、その学ぶ時間も1時間とかではなくて、小学1年生から6年、中学校に入ってからも何時間もかけて学ぶ、というのがまず広島の義務教育にあります。ただ教科書見て学ぶだけではなくて、原爆ドームに行ったり原爆資料館で当時の悲惨さや歴史を学ぶ、ということを広島にいる人は誰もが必ず行ったことあるので、原爆に対する教育を必ず全員が受けてきてきている、というのが広島の教育です。



牧村:小学校、中学校、高校は必ず8月9日は登校日になっていますし、この登校日以外にも、授業で原爆について学ぶ機会がいっぱいあって、実際に被爆者の体験談も聞くこともあります。
小学校のときは毎年1回は必ず被爆者の講演会が行われてました。なので自分が自ら意識しなくても義務教育で意識づけされる環境が整っていたのかな、と思います。


「原爆」について印象に残ってること


-被爆者の体験談であったり教育を受けてきて印象に残っていることはありますか?


大石:小学生の時は校長先生の話とかは長くて退屈に感じたけど、被爆者の話は全員が真剣に聞いてました。なぜかというと、被爆者の方が僕たちに対して、涙を流しながら真剣に話してくださったから、というのがあります。当時(原爆投下時)は本当に悲惨なもので、それを思い出したくない方がほとんどだと思いますが、そこをあえて僕たちのために辛い過去を思い出してくれて。それを涙を流しながらも後世に語り継いでいく覚悟を持って、僕たちに真剣に話してくれたことは、小学生ながら心に深く感じることがあった、ということが印象に残ってることです。

牧村:自分も同じですね。資料館などで原爆について学ぶのも印象的ではあるんですけど。
被爆した方からの生々しい悲惨な話をしていただいて、自分の友達の中にも泣く人がいたりするほど悲惨なものなんですけど。それを真剣に話してくれたことは印象に残っています。


伝えたいこと

-今では、語り継いでくださる人の年齢も上がってきて、戦争を知っている人が少なくなってきてると思います。
出身者2人には、伝えたいことや思いなどはありますか。


大石:自分が大学から東京に来て、自分が普通だと思っていたことが、全く普通じゃなかったという経験があって。
それは8月6日になったときに、広島は必ず原爆の番組を殆どのチャンネルで1日かけて放送しているんですけど、東京では原爆のことをやっているチャンネルが1チャンネルあるかないかで、あとはバラエティという状況で。そのとき「バラエティやってる場合じゃないんじゃないか」と僕は正直思ったんですけど、世間からみたらそれは普通で。
だからこそ戦争の悲惨さや絶対にやってはいけないんだ、ということを身に染みて分かってるからこそ、もっとそれを伝えていきたいと思います。

牧村:自分は周りの人の反応を見て、自分がいた環境が少し特別だったな、と思って。
もし義務教育で学ぶ機会がなければ自分も考えることはなかったかもしれないですが、やはりずっと長い期間学んできたので。
8月6日と8月9日は、黙祷を捧げるだけでなくて、会話に少しはでるのが当たり前だったけど東京に来て、今日何の日か知らない人がいたり、黙祷とかにも「なんの黙祷」と反応したりする人がいたり。
教育のせいもあるのかもしれないですけど、意識の違いについて驚きました。

当事者意識を持つこと


-戦争の話にも限らず、震災なども体験した場所よって日本国内で差が様々かなと思います。
部活においても、一部昇格という目標を全員が当事者意識を持つことが大事だと思います。
そういった面を含めて、当事者意識を持つことってどーやったらできると思いますか。


大石:当事者意識を持つには、まず戦争のことを知ってほしいなと思います。日本の広島と長崎で起きてますけど、東京で起きててもおかしくはなかった。日本で生きる人として自分で原爆のことは調べて欲しい。調べたときに自分が想像してる何倍も何十倍も悲惨だと思います。
原爆落ちたときに、広島の地表面の温度が3000℃まで上がった、とか。
30℃でサッカーするのが本当に暑いのに、それの100倍とか考えられない暑さだった。これは調べないと分かんないことだし、逆にそれを知ると当事者意識を持てたり原爆に対して意識を持てると思います。


牧村:やはり考える期間を設けることが大事だと思います。
原爆についてもサッカーについても、まず問題について考える機会をより多く持つこと。そういった機会を自分から増やしにいったり、周りの人にもそういった機会を作ってあげたりすることが、当事者意識を持つことに繋がるのではないかと思います。


私たちにできること


-最後に、僕たちにできることって何でしょう。

大石:僕個人の立場として、広島出身として1人でも多くの人に語り継いでいかなければならないと思っています。個人個人として、今を精一杯生きるというのが1つの答えなんですけど、過去を必ず忘れずに、過去を知った上で今をしっかり感謝して生きる、ことが私たちが1番できることです。
語り継いでくださった方たちが、私たちが幸せに生きることを1番望まれているので、それが私たちにできることだと思います。

牧村:まずは1人1人が感謝すること。過去に起きた出来事をしっかり理解して、今と比べて幸せな環境で生活できているか。そういったことを考えることは少ないと思いますが、自分とかは6日と9日は原爆の話を思い出したりして、自分がどれだけ幸せなのかと感じる機会になっていますし、それは自分だけでなく、全員が感じることだと思います。しっかり過去の悲惨な状況を理解して、今自分が置かれている環境を無駄にしないように精一杯生きることが重要だと思います。

-ありがとうございます。
今回は終戦をテーマに取り上げていきました。
当たり前に感謝して、幸せに生きるために日々精一杯生きていくことを大切にしていければなと思います。

本日は大石選手、牧村選手ありがとうございました!


「当たり前」を感謝して生活する。

そして2度と同じ過ちを起こさないようにしていかなければいけません。

小さいことですが、まずは興味を持つことから始めてみたいと思います。 
(編集:林)

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