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人間は考える葦である 4年 大熊将季



大事な場面で綺麗にシュートを外すのが得意な大熊将季です。
10月いっぱいで中央大学学友会サッカー部を引退し、この4年間を振り返って思うことをテーマにしました。
ぎこちない文章ですが最後まで読んでいただけるとありがたいです。

大学4年間のサッカー部活動を終えるとともに、17年間のサッカー人生に幕が降りた。
挫折や苦しいことも多かった分、そのような高い壁を乗り越えられた自信に溢れ、肩に重くのしかかっていた荷から解放され爽やかな気分だ。

ただ私には大学入学時、プロサッカー選手になるという目標があった。幼いころから憧れを抱き、両親を始め関わってくれた人を喜ばせたいという想いで中央大学サッカー部に入部した。しかし叶えられなかった。4年間やりきることができたし充実していたなぁと感傷に浸っていては今後の私に成長はないと感じたため、大学4年間の日々を振り返りながら、なぜ目標を達成できなかったのか考えた。

結論から言うと、私に足りなかったものは「覚悟と思考」だ。
それぞれ細かく説明していく。

まず「覚悟」について。私はプロサッカー選手になりたいと言いながらも、本気で実現させる熱量がなかった。周囲の環境など自分の力では変えられない現実があると責任を放棄し、自分の力で切り開いていくでもなく、練習をこなし適度な努力をすれば勝手に目標に届くとどこか他人任せな自分がいた。そのように過ごし続けた結果、結局4年間1度もトップチームに上がるはなかった。そんな私に対し、トップチームで活躍しプロへの内定が決まった選手たちとの努力や行動量は天と地の差だ。私の属するカテゴリーが午後練習していると、トップチームの選手は朝練で強くなったにもかかわらず、午後にもグラウンドに姿を現す。自主練でさらに技術に磨きをかけ、フィジカル面の向上をしている。それも毎日欠かすことなくだ。ある選手は寮のジムにいない時はないと聞いたことがある。本気でプロを目指す選手との覚悟の差がこのような結果を生んだのは一目瞭然である。

次に「思考」について。私はメンタルが弱い部分がある。プレーでミスをすると周囲から飛んでくる罵声に落ち込み、こんなこともできないのかと自分に腹を立てる。次のプレーではミスをしないようにと恐る恐る丁寧にプレーするも100%ミスる。そんな負のサイクルが続きその日は終了。そんな日々が積み重なっても成長が見込めるはずもなく、何なら私の成長曲線は下へ下へと進んでいた。
これは本当に本当に心の底から後悔している部分で、考え方次第でメンタルはどうにでもコントロールできたと考えている。サッカーにミスは付き物だし、失敗したところでそこから失敗原因を学び次に生かしていくという姿勢でいれば、失敗は成功への養分だった。少しの考え方の違いでこんなにも状況は変わってくる。
私の好きなサッカーマンガのアオアシで「人間は考える葦である。」というセリフがある。これはフランス哲学者パスカルが残した
「宇宙の無限と永遠に対し、自己の弱小と絶対の孤独に驚き、大自然に比べると人間は一茎の葦のようなもので、最も弱い存在である。しかし、人間は単なる葦でなく『考える葦である』。」という言葉からきている。
思考停止でただ何となく日々を過ごしてしまった結果、思い描いた成長を遂げられなかった。考えることをやめないことが、日々をよりよく過ごす上で必要だと思い知らされた。

この4年間、やりきった気持ち以上に後悔の方が多いかもしれない。ただ今後社会に出て中央大学サッカー部で得たものを活かすことで、この4年間を意味あるものに変えていきたい。
また、まだサッカーを本気でやれる時間を残された後輩のみんなには、ぜひ私の失敗から何か読み取り心からやりきったと言えるものにして欲しいと思う。

最後に、両親にこれまでサッカーを続けさせてくれた感謝を述べたい。
岡山から上京し一人暮らし。大きな負担もかけたし、心配もさせてしまったと思うけど、大好きなサッカーを本気でできる環境を与えてくれたおかげで充実した日々を送れたし、ほんの少しは成長できたと思います。苦しいことや辛いことも、離れていても2人の心の支えがあったから最後までやりとげることができました。本当にありがとう。
社会人になっても自分のペースで楽しみながら頑張るので今後もよろしくお願いします。

拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

◇大熊将季(おおくままさき)◇
学年:4年
ポジション:DF
前所属:ファジアーノ岡山ユース

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