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たいしたことない日々のこと200814

6月下旬からずっと頭をなやませていたビザ問題。面接、書類提出を終えて落ちつくところまでの作業はひととおり終えた。あとは申請が降りるかどうか、パスポートが戻ってくるまで待ちの状態である。最初の頃は数日もしくは1週間程度で良くも悪くも片付くだろうと思っていたのだが、なかなかこない。届かないのだ。「郵便の宛先住所が間違っていたのだろうか」「書類に不備があったのではないか」。あれやこれや考えを巡らせていくうちに頭が痛くなって、神経質になりいらだちやすく、最終的には文章を書いたり物件を探したり、なんやかんやする集中力もなくなってしまった。

申請して今日で10日が過ぎる。過去にビザ申請をしていたひとのブログを読むと、届くまでに2週間や3週間ということもあったらしい。身の回りにいる友人の話を聞くと1週間程度で済んでいたから、うっかりその程度で届くものだと勘違いしていたが、本来は時間がかかるものなのだ。そう腹をくくれば届く時期や提出書類について考えるのをやめにして、届いたら幸運という態度でいようと思い始めた。

日本に逃れてきた難民の方々、彼らはこのような状態をはるかに超えるストレスと不安を常日頃から抱えているにちがいない。法務省出入国在留管理庁の発表によると、2019年は10,375人が申請して、認定されたのはわずか42人。数えるほどのひとしかいない。認定されなかったひとたちの時間は帰ってこない。ただ結果を待ち、日々を生き抜くしかなかったひとの人生がこの数の背後にある。そもそも難民の方々に限らず、当たり前の生きる権利を阻害するような社会の仕組みや制度のせいで苦労するひとが、多くいる。自分は守られた環境のなかでああだこうだ言ったり落ち込んだりしているのだ、なんて浅はかさなのだろう。己がいかに幸福であるかをまず認めるべきである、自分のちからではどうしようも出来ない状況に置かれてはじめて、そのひとの本性は現れる。いつだって絶望するのは簡単で、希望を持つのは難しいのだ。

引っ越しのために荷物をダンボールに詰めて片付けをしている。先月末に発注したダンボールはみるみるうちに重たい無機質な箱となり、枚数が減るにつれて荷物も綺麗に吸収されていく。東京に出てきてから4回目の荷造りである。さすがにダンボールも適切な枚数を発注できるようにもなってきた。さらには不要なものはばっさりと捨てられる潔さも体得してきた。あまり物に執着はしない、そう決めているのに増え続ける小物、置物、電子機器、本、書類、そして友人からもらった手紙。これまで勉強したフランス語の教材やノート。買った場所、読んだ時期、全てに思い入れがしっかりある。

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語学をするというのはこれでもまだまだ十分に足りなくて、ニュース記事や本を読んでいると知らない単語や表現が容赦なく目の前に現れる。きっと一生かかってもわからないことだらけ。日本語だって知らない四字熟語や慣用句、知っていても使わない表現や語彙があるのだから、語学学習はどこか適当なところで打ち止めをするのが良策なのだろう。それでもやめられない。学び続けたい、知り続けたい。完璧を目指しているわけではないけれど、限りなくその境地には近づいてみたい。そのときの景色を味わってみたい。

好奇心が原動力。このモチベーションを他の言語に転用できたらいい。ただしフランス語だからここまで教材は整っているわけでスウェーデン語は、アラビア語には、同様の文法書はない。本当をいえばその方がやりがいがある。日本ではあまり知られていない言語をもっと追求する。フランス語でも地方のオクシタンとかバスクとかカタランとか細部にぐっと入り込む。そうすると見える景色は変わるし、ふと振り返り全体を俯瞰した時に自分の立ち位置みたいなものも再定義、再解釈できるはず。

気がすむまでやり尽くすことが、新しい世界に向かう準備になる。ビザも同様で丁寧に書類を整えたのだから、引っ越しもこの10年で何度も経験したのだから次はしっかりと腰を据えてのぞみたい。また別の新しい座標をつくる。少なくとも引っ越しはもうお腹いっぱい、十分だ。

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