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たいしたことない日々のこと211116

5年以上も前に買って、大事していたカップが今日割れた。

2017年、1度目のフランス留学のときも2020年秋からの2度目の滞在も(長期間で捉えれば2度目といっても差し支えないだろう)ずっとこのひとつだけはスーツケースの中に入れて、必ず毎朝のコーヒーかミントティーを入れて飲んでいた愛用品。

手捻りのような手持ちのやわらかさと、口元にかけてひろがってゆくゆるやかな曲線と、手にもつたびに安心感があったそれは決して高価なものではなくてどこかのお土産屋さんで2000円前後で見つけた。金沢らしい黄色、緑色、赤色の鮮やかな花の模様が控えめに主張するそのデザインはどの飲み物でも似合うような、素敵なものだった。

悲しいけれど、残念だけれど、今度は今いる場所で新しい、気に入った物を買おうねと自分自身に約束する。出会えるかどうかはわからないけれど、探そうと前向きに意識を向けることはとても大切。過去に固執せずに、前に前にと。

noteを久しぶりに開いたら日記のようなものは去年の11月で止まっていて、個人的につけている記録のような文章すらもまったく書けなくなっていて、とにかくいまの心のなかは、混沌としてごちゃごちゃでひどい。書くことに時間を割くなら仕事、勉強、予習復習、買い物や掃除や洗濯、あとはこれから先に向けての計画を立てたり、ビザ問題の解決に向けて調べ物をしたりコンタクトをとったりなどをして、まったく自身のために書くことそして読書をすることすら放棄している。もちろん一度書けば、こうやって文章はとめどなく出てくるのに、日本語でもフランス語でも内面に向けての思考の体力がなくなっている。

年齢のせいなのか、環境の変化のせいか、コロナのせいか。

でも、きっとそれだけじゃない。

2021年は、33年間生きた人生で一番といっていいほどきつい年だ。あらゆる出来事がありすぎてその度に困惑・疲弊し時間の経過とともに乗り越え、さらにまた別の課題へ、という次から次へとなだれ込む状態。まだ1ヶ月半残っているけれど、もう総括しても構わない。ほんとうに、厳しい。「なぜこんなことになるんだろう」と日々頭を抱え、「すべてがうまくいきますように」と頻繁に救いを求めるような、祈るような心持ちでずっといたように思う。実際に教会や大聖堂に行って、ひとり座り、しずかに心と向き合う時間はできるだけ作るようにした。どこまで効果があったのかはわからない。

この年で変わったことがたくさんあった。変わらないことはあったのか。

悲しみに暮れて泣くことはなくても、優しさに触れて泣くことはあった。わたしの大好きな友人や仲間がかけてくれた言葉が、どんなに心の闇を照らしてくれたことか。思いがけない愛情に遭遇して人間の懐の深さを何度感じたことか。

つかず離れず、心配してくれたり声をかけたり、そばにいてくれる全ての人たちに、寛容でいてくれてありがとうと言いたい。どのようにお礼を伝えて良いかわからないけれど、感謝の気持ちをここに記しておきたい。

ありがとう。些細な言葉に勇気付けられ、小さな行動に心を震わされ、その度に自分を肯定されているような気持ちになります。もっとわたしからも与えられればいいけれど、いまはその体力がないのです。だからもうすこし後で、また先に。

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いずれにしても2021年自分自身ここまでよく生き抜いたと褒め称えたい。生き抜けて、駆け抜けて、その先にたとえ死しかないとしても、ああ面白かったと笑って終えられるような生き方がいい。今だって何一つ後悔していないんだから、まあ合格点はいってるでしょう、と。

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