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悲しみで世界が覆い尽くされないように

朝、目が覚めるといつも、ここはいったいどこだろうと考える。長期滞在していたフランスでもスペインでもなく、イタリアへの旅行中でもない。視界の前にある天井を見てクローゼットを見ると、実家のある大阪でもなく、東京都心のちいさなわたしの部屋だ。その次に考える。いまはどの時間軸にいるだろう。曜日、時間、月、年。すこしずつ範囲を広げて記憶を取り戻していく。抱えていたタスクはなんだっただろう、やり残していた仕事や納期はせまっていなかったか。次にたどり着く思考。いま世界でどんなことが起きていただろうか、どんなニュースが昨日まで繰り広げられていて、目を閉じていた間に少しでも世界はよくなっただろうか。

携帯電話を手にとり数行で書かれたニュース速報のヘッドラインに目を落とす。何も解決していない。むしろどんどん、悪化している。

気だるい身体を起こしてキッチンに向かう。電気ポットにお水を入れてお湯をわかす。3年前にイタリアで購入したBIALETTIのエスプレッソマシンをコンロに用意して、棚の上にあるillyの極細挽き豆の缶を取り出す。小さなスプーンで粉をとりだし、お水を入れて、マシンの器にこぼさないよう慎重に入れる。コンロの上で器具をしっかりと閉じ、火をつけたら窓を眺めて、カーテンの隙間から差し込む光の具合を確かめる。

今日は雪が、降っていた。どうりで手足が冷えているわけだ。

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感染症が拡大するなかでもペースを崩さず、わたしは穏やかに朝を迎えている。当然ながら医療従事者ではないので、ウィルスについて考えてもワクチンは開発できないし治療もできない。できることといえば外出せず、人と会わず、ひたすらに家の掃除をしたり読書をしたりするだけ。エッセイや評論は世の中と直接つながっているから、すこしだけ世界を思い出して疲れてしまう。時間軸が現実とは異なる小説が、こんなとき無性に読みたくなる。

それでも頭によぎるのが、イタリアのこと。あの街の、村の、店の、レストランのお父さんやお母さんは元気でやっているだろうか。ミラノからボローニャに行く途中の電車のなか、隣に座った物静かなおじさん。「どうしてイタリアにきたの?」と聞かれ、「美味しいものをたべにいくよ!」そう英語や仏語で答えるもイタリア語しかわからず、一生懸命イタリア語(のような)語尾を探してコミュニケーションをはかった。ミラノの中心部から15分程度のレストラン、開店直後に予約なしで訪れても迷惑がらずに「きみたちはいいやつらだ。わたしたちの仲間だ!」と馴れ馴れしく握手をもとめ、「これがミラノの家庭料理だよ。どうだ、美味しいだろう」と自慢げに笑うおじいさん。ヴェネツィアの狭い小さな土産物屋で、水彩画で優しく描かれた風景のポストカードをながめながら、「とてもかわいい。ここに来れてうれしい!」とカタコトのイタリア語を探しながら口にするとき、ゆっくりと、笑顔でわたしの言葉を辛抱強く待ってくれた店員のお姉さん。

人懐っこくて、優しさにあふれていて、家族が大好きで、少しだけ言葉の端々に弱さや甘えを垣間見せるイタリアの人たち。お喋り好きで批評精神は旺盛だけれども、小説を通じてみればフランスの人とはまた違う思考体系なのが興味深くて、いったい何が彼らをイタリア人たらしめるのだろうとよく考えていた(フランス人はいつでも理屈をこねくりまわす。それもまた可愛さがあって面白いのだが。)いまはもう、みんなでバールに集まり、あれやこれや、がやがやと飽きることなく話し続ける光景を見ることもむずかしいだろう。

とても悲しい。そこで自分に何ができるのかという問いが表出し、振り出しに戻る。感染症が収束したとしてもきっと、彼らの心には大きな傷を負うにちがいない。知り合いや親戚や、影響を受けた方が近くにいるだろうし、立ち直るには相当な時間とお金が必要だ。仮にそれらがあったとしても失われたひとは元には戻らず、残されたひとはその影を背負いながらまた日常へと歩むしかない。そして約1万キロ離れた日本のわたしたちも既に大なり小なり同じ痛みを感じている。

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人の命があっという間に失われていく現実、それは紛争や内戦も同じだといえる。当初フランスのマクロン大統領は国民に向けての演説で「Nous sommes en guerre(わたしたちは戦争状態にある)」と語気を強めて語ったが、まちがいなく今回の感染症はそれほどの危機感、緊迫感を持てという意味合いを含んでいた。戦争とは、われわれの想像をはるかに超える残虐な光景や悲惨な状況が日常的に発生し、人命の尊さの感覚を破壊し、同じ人間同士で敵と味方という対立構造を生んでしまう。思想ひとつで命を委ねたり、偶然のタイミングで難を逃れたり、良くも悪くも、身体的にも精神的にも、人間は脆いということを証明する。

いつかは人は死んでしまうし、それが生物のルールだ。永遠に生きられる命などどこにもない。その上で「我々はどのような世界をつくりあげたいか」「個として、どのような生命でありたいか」を問われている。答えは、その問いに向き合う姿勢として現れる。

当たり前に平和な日々が続くなんて思っていない。でも、こんな時代だからこそ悲しみで世界が覆い尽くされないように。今日東京に降る雪は街を白く染めて「また一からでもどんな色に染められるよ」とわたしたちを勇気付ける。

落ち着いたらわたしはまたイタリアに訪れるだろう。悲しみを乗り越えた彼らはきっとまた懐の深い、愛すべきひとたちだと再確認するはずだ。また肩を組んで語り合える日がくると信じて、彼らと同じように、わたしもつよく、たくましく、明るく生きていく。

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(写真はミラノ・チェントラーレ駅にある書店の外側壁一面に貼り付けられたポスター。誰もがこんなふうに笑いあえる日常に戻れますように。)

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