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たいしたことない日々のこと0714

どうでもいい記録の日記、たいしたことない日々のこと。

あまり発する意味や意義を感じない言葉、思考、生産物のなりそこない、それでも見られることを意識しながら書くこと、あるいは時間の変容でどれくらい考え方が変わっているのか知りたくて不定期にnoteでの日記は残しておこう、と思い更新する。あまり読み返しはしないからほぼ一発書きで。


日曜を過ぎて火曜日更新になってしまった。日々淡々と時間だけが過ぎて、何かを進めているようないないようなスローペースな感じ。その歩みはまるで、亀のようだ。いやちょっと待てよ、そもそも亀だってどれくらいの速度なのだろう。意外に早いかもしれないし、その比喩が適切かどうかは疑わしい。ネットで調べてみる(こういうとき、本当に簡単に答えがわかるインターネットはすごい)大きさにもよるが時速0.3〜5km程度だという。そしたら亀ほども進めていないだろうという認識に至り、訂正。カタツムリが妥当だということで決定した。のろのろと、ゆっくり。気づいたら、あ、ちょっと位置がずれている!というくらいのペース。

いちばん自分が恥ずべき行為、自ら課した約束を破るような行為を今週してしまって、懺悔のつもりでいろんな人に報告している。その行為とは仏語で提出しなければならない文章を「日本語で文章を作り」「Google翻訳に突っ込み」「仏語で校正をする」というもの。仏語のルールに則って提出すべき文章なんだから最初の段階で仏語で書くべきでしょう。翻訳ツールなんてずるい、そんなのなくても書けるようにならなくちゃ、今回一回限りのことじゃないんだからね。これから何度も経験するんだから、と自分に厳しく言い聞かせるのだけど、どうしても仏語で書く気にならなかった。向き合おうとすると集中力が途切れてしまって思考が深められなかった。あんなに「仏語で思考すると文章構造も違ったものを考えられる」とか豪語していた自分はなんだったのか。帰国してから2年間、何をやっていたんだか、まったく。

それはそうと2年間で身についたこともたくさんある。最近考えるのは日本に生まれ育った者としてのアイデンティティ、自己意識である。

久世光彦著「向田邦子との二十年」をちょうど昨日読み終わって、寝る前も、今朝もずっとわたしは向田さんあるいは久世氏世代からの大きな質問、ないしは宿題を、投げかけられたような気がしている。向田さんは1929年生まれ、須賀敦子さんと同じ年。課された宿題はいくつもあるが、ひとつは日本の伝統的な価値観、"家族が家族でいることの幸せみたいなものを、みんなが感じることができた時代" を、そのまま失って生まれた日本国籍のわたしの、日本に生きる意味、は今いったいどこにあるのだろうか、ということ。

思えば私たちは、不思議な世代である。第一次大戦と、第二次大戦の狭間の、束の間風の凪いだ平穏の時代に生まれ、少年や少女になりかけたころ戦争を体験し、五十年前の八月、それぞれの目で、おなじあの日の青い空を見上げた。そして、あの空を忘れていいのか、忘れてはならないのか、戸惑いながら、今日までやってきた。いったい、この半世紀は私たちにとって何だったのか。その答えは、私たちの命が終わるとき、青空に浮かぶ微かに薄い雲のように、はじめて私たちの目に見えるのかもしれない。(p.324)

向田さんの生き様については言及したいことがありすぎるのだが、それはさておき久世氏の彼女の捉え方がとてもいい距離感を保っている。少しだけ意地悪、でもどこか深い畏敬の念が含まれている。戦友でもないし親友でもない、それこそ一度も「触れもせで」の関係性。それなのに、信頼し合う様が、やりとりが垣間見える。そうでなければこれほどまでに言葉を書き続けられるはずがない。

だから、いったい向田さんが暖かい手をしていたのか冷たかったのか、やわらかだったのか骨ばっていたのか、私は知らない。潤いのある肌だったのか、乾いていたのかもわからない。髪はいつもしっとりと重たげだったといまでも思い浮かべることができるが、どんな感触だったのだろう。死んだ女の人の体の触感について、あれこれ想像してみるなんて品がないとは思うけど、決して知る機会がなかったことを悔やんでいるわけではない。もし、向田さんが今日まで生きていたにしても、私とあの人の手がたまたま触れ合うということはやっぱりなかったと思うのだ。(...中略...)熱い肌を幾度合わせたって何もわからない人もいる。指一本触れもせず、十年経ってしきりと恋しい人もいる。いまさらのように、人と人って何だろう、と考える。(p100)

彼の文章を読んでいると、死者との向き合い方についても同時に考える。亡くなったひとは生きているひととの間に越えられない境界線があって、その向こう側に持って行かれた荷物や思い出を、半ば憧れのように描写する。それで今や久世氏も亡くなってしまった中で、誰がどのようにこの時代の思い出を受け継いでいくことができるのだろう。この出来事を、思い出すことができようか。

死んでも思い出は消えないと言ったところで、思い出を抱えているひとたちが全員死んでしまったらすべては消えてなくなる。ならば残り続け得るものとは何なのか。伝統的な価値観を継承しようと試みたところで、すでに与えられた運命のなか右往左往としたところで、「これです!」といった決定的なものがあればいいのに。例えば?ラスコーの洞窟壁画とか。芸術や表現、信仰、崇高なものを目指すか、あるいは、消えゆくものを諸行無常としてそのまま受け入れるのもありかもしれない。

生まれて死んでを繰り返して、生命のバトンタッチをするとして、奇跡の連鎖のなかでわたしはたまたま日本に生まれ、自我や自己意識みたいなものを手に入れてしまいこのように文章で表現欲を満たそうとしている自分の存在。もっと大局的に見ると消えゆくなかでの大事なものがあるのかもしれないけれど、果たしてそこにたどり着けるのか、見出すことができるのか、考え続けていると疲れてしまった。

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そこで千種創一氏の歌集を読み始めたらまた読みたい本が出てきて、数珠つなぎで本を読む。いろいろとやらねばならない事は沢山あるにもかかわらず、文字をずっと追いかける。これまさしく逃避。そうこうしているうちに気づけば友人はちょっと旅行に出かけるような気軽さでフランスに入国。渡航制限が解除されたというニュースに我々が歓喜するなか、仕事をばっさりと断ち切り、当面日本に戻らないつもりで彼女は現地に足を踏み入れた。行動するひとはうだうだ、ああだこうだ言わずにさっと実行する。そうだ、それを、ちょっと忘れていたな。


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