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小学校ぼっちを見たことがあるか~ぼっち、修学旅行へ行くの巻~


小学校ぼっちを見たことがあるか。
大半の方はないだろう。
いや、そもそも記憶にすら残らないのかもしれない。

私は小学校から高校にかけて「ぼっち」だった。
特段いじめられたわけでもないが、とにかくコミュニケーションが不得手で友達がいなかった。

たとえば、小5の修学旅行の帰路のフェリー。
誰もがお喋りやゲームに興じる中、私はお地蔵さんごっこに興じていた。

動かざること山の如し


スマホも本も持たざる小学生ぼっちに暇つぶしはない。
ただ、ひたすら、そこに佇むよりほかないのである。
「石の上にも三年」という諺があるが、到底信じられない。
実際には、「船の上にも三時間」さえも逃げ出したくてたまらないものだ。

※ちなみに小6の修学旅行では、「悟りの開きかた」をひたすら考えることで時間を潰していた。(なぜかと言えば、手塚ブッダにハマっていたから)

修学旅行は一年に一度の大イベントである。ほとんど誰もが楽しみにしていただろう。楽しい思い出にせよ悲しい思い出にせよ、学生時代のハイライトとして色濃く残っていることと思う。
私にとっても、修学旅行は「ぼっち時代のハイライト」である。
本記事では、そんな小学校ぼっちの修学旅行について振り返る。

班決めは「第一にして最大の関門」

ぼっちにとっては、自由ほど不自由である

修学旅行史上「第一にして最大の関門」がこの班決めである。普段の授業なら、名前の順などで事務的に組まれることの多いグループ分け。

よし!修学旅行くらい、仲良しこよしでグループを組ませてあげようじゃないか!

そんな先生の粋なはからいに苦しんでいるのは、教室中で私くらいかもしれない。続々と"いつメン"同士で固まっていくグループ。
当然ながら、ぼっちが入る余地はない。そのまま教室を半周したところで、救いの手が差し伸べられた。

「よかったら、入らない??」

優しい子の一言で、何とかグループに紛れ込む。女神降臨か!?ありがとう。アーメン。そしてゴメン。

彼女にはいつも助けられてきた



移動のバスは教室の縮図


いよいよ待ちに待った出発の時間。乗車するところから、戦いはすでに始まっている。

バスは教室の縮図である

後部を陣取るのは陽キャ



たいていのバスは、2列×2シートで編成されている。いかに仲良しグループで固まって座るか_小学生の政治力は、この座席決めですでに試されているのだ。バス車内にいくつかの島ができる。最後部の横並びを占める陽キャ男子グループ、前には一軍イケイケの女の子グループ、暗めの男子グループ…などなど。
ここでぼっちに求められる政治力とは、
率先して先生あるいは嫌われ者の隣に座ることである。

ここで空気を見誤り、テキトーな座席に座ると大変つらい目にあう。みんなが私の隣を避け、グループで座っていく。埋まらないピースのようになった隣席に、どこかのグループの余り者が泣きそうな顔で座ってくる。罪悪感と悲しさで、私まで泣きそうになる。
「コイツさえなければ、上手くハマるのに!」
座席がパズルだとしたら、私という歪なピースがその完成を邪魔しているのだ。

はまったり、はまらなかったり



空気を読んだ私は、先生の隣に座ること6割、嫌われ者の隣に座ることが4割ほどであった。
(ここで先生との会話を思い出そうとしたが、思い出せないので端折る。)


みんなが思い思いに遊んでいる。さあ私もトランプやUNOに入れてもらって・・・なんてことはまるでない。
だって、ぼっちだから。
ワイワイガヤガヤと車内はお祭り騒ぎ。静かに眠るなどということもできず、かといって本も持ってきていない。娯楽はせいぜい、会話の盗み聞きくらいである。

ちなみにぼっちの多くは、会話を盗み聞いている(と思う)。他人に無関心なふうを装いながらも、実際にはめちゃくちゃ興味がある。お調子者の会話に、ラジオのごとく聞き耳を立てている。そして笑いをこらえるのに、顔の全神経を集中させているのだ。

陽キャの会話っておもろい

そんなこんなで、虚空を眺めつつ、また会話に聞き耳を立てつつ、バスに揺られて3時間。ようやく目的地に到着し、ぼっち修学旅行の幕開けである_

ぼっち、肝試しに参戦!?ただし…

※後ろの少年だーれ?


ようやく修学旅行の始まり始まり・・・のはずが、意外と書くことがない。小学校の修学旅行はガチガチにイベントが組み込まれおり、自由行動がない。自由行動がなければ、孤立が浮き彫りになることはまずないのだ。

そこで、修学旅行ぼっちハイライトとして「肝試し」を振り返る。
「ぼっちのくせに肝試しに行くなんて、すでに肝が据わってるゼ…」
とお思いになるかもしれない。
ここで重要なのは、私は肝試しには行かなかったということである。
しかしながら、結果的には肝試しよりも肝が試されることとなる。

一行は某山県の某山の麓の青少年自然の家に宿泊している。敷地には森林が整備されており、昼間はオリエンテーリング、夜は肝試しが行われていた_

しかしながら・・・
一人で肝試しなんか参加して、迷子になったら…?一人で驚いて、悲鳴を上げたりなんかしたら私のほうがよほどstrangeである。とまあ、さまざまな懸念からわたしは不参加を表明した。

「そろそろ肝試し始まるよー」
「いこいこ!」

ルームメイトがぞろぞろと駆け出していく中、部屋に残ったのはわたしだけであった。

やることもないし、荷物の整理でもするか…とベッドの縁に座り込む。
すると胃がむかむかして、吐き気がこみ上げてきた。慣れない旅先でお腹を壊したのかと思ったがそうでもなさそうだ。
布団に倒れ込もうとしたその時であった。

トントントントントン…
背後から何かを叩くような音が聞こえて、振り返る。
そこにあったのは誰もいないはずの二段ベッドである。

一段目の天井から聞こえた

トントントントントン…
天井を指で小突いているような音だった。

トントントントントン!
心なしか音が強まる。こみ上げる吐き気と、あまりの恐怖から私は部屋を抜け出した。

廊下には早くも肝試しから戻ってきたクラスメートがいて、一人でないことに安堵した。そのうちに胃のむかつきも治まった。

未だにこの日の音の真相は分からない。言えることはただ一つである。
私は赴いていないのにも関わらず、肝試しに参加させられてしまったのだ。
Bluetooth接続からの在宅肝試しである。
もしかしたら、生前に教員だった霊とかの計らいだったのかもしれない。VRよりも、4DXよりも、臨場感溢れる体験であった。

ちなみにこれが人生で唯一と言っていい心霊体験である。
私がもっと霊感の鋭い性質であったらば、ぼっち×怪談というジャンルを作ったかもしれない。
惜しいことにこれ以上のネタはないので、ぼっち×怪談は一話でやめにする。

おわりに

ひとまず、小学校ぼっちの修学旅行について思い出せるエピソードだけ書き綴ってみた。
きっと、ほとんどの人々にとって修学旅行とは‘”眠れぬほど楽しみなもの”であったに違いない。
しかしながら、眠れないほど戦慄し、Xデーの訪れを毎日指折り数えていたものもいる。
「ふーん。小学生ぼっちなんているのか、フ、哀れなヤローだぜ」と笑いながら読んでくれたら幸いである。




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