見出し画像

わたしたちの道徳

 私たちは平等に二十点のノルマを課された。期限は一週間だという。
 手元のタブレットにデータが配られた。募金運動のしくみやたいせつさは、先生ではなく、動画のお姉さんが教えてくれた。正直、動画を見たって細かいしくみは理解できなかった。ただ私たちがマークを集めて提出すれば、世の中に、なにかよいことが起こるらしい。今はそれで十分だと先生が言った。先生が言うのだから、たぶんきっとそうなのだろう。私は考えるのを止めて一覧表を眺める。何の商品に何点のマークがついているかの一覧だ。

 マークには数字が書かれている。一点のものから百点を超えるものまで、知っていたよりもずっと種類が多い。持っている商品から見たことない商品まで、いろんなものが画面に表示されて、端っこにはいちいち会社の名前が添えられていた。それらが一つのページにひしめいているので、私の目は次第にすべりやすくなる。いけないと思って首を横に振る。へんなことは考えなくてもいい。私たちは、見つけて、切り取って、集めるだけ。それだけ。

 顔を上げると後ろの席からこそこそ話が聞こえてきた。
(みよちゃんちの空き箱についとらんかな)
(うん、ちょっと探してみるね)
(あのさ、余ったらさ、分けてえや)

 みよちゃんのおばあちゃんは、学校の側にある小林文房具店の小林さんだった。なるほど文房具の空き箱からなら、余るほどのマークが手に入るのかもしれない。持っている子に頼るのが一番早いよね。私も一瞬そう思ったけれど、マークを分けてもらえるほど、みよちゃんとは仲良しでなかった。他に頼れる子はいないだろうか。教室を見渡しても、今は後ろ頭が並んで揺れているだけだ。でも、お金持ちの子や友達の多い子、お店をやってる家の子たちはどこか平然としていて、そうではない、私みたいな何もない子ばかりが不安げだった。

「これ、あるとこ知ってる」
 隣の席の金重が呟いた。思わず彼の方を見ると、ばっちり目が合ってしまった。
 金重は私と同じ団地の五棟に住んでいて、竜の顔の描かれた紺色のTシャツを年中着ているような奴だった。彼はわざとらしく口に手を立てて「ええこと思いついたん。来生も帰り寄ろうぜ」とささやいた。声は得意げだったが、彼の思いつく「ええこと」はいつも詰めが甘くて、たいてい後で怒られるか、無駄に終わるかのどちらかだった。でも、その日ばかりはどうしてか、乗ってやろうという気になった。
 
 帰りの会が終わって下校の曲が流れ始めると、私たちは顔を見合わせて、黙ってうなずいた。二人は他人の振りをして階段を降り、下駄箱を抜けて、時間をずらして三の門から出た。旗を持った先生や下級生が少なくなる地点で私たちは合流した。私と金重と、話を聞いていた生活委員の宮本さんがメンバーとなった。
 通学路を抜け出して、見慣れない景色の中を進んだ先に、高い金網の要塞は現れた。金網の上には有刺鉄線が三本横並びにめぐらされていて、乗り越えるのは不可能に思えた。金重は声を出さず、手振りで私たちに指図した。正面から裏手にぐるりと回りこんで、金網に小さく空いた穴を金重が広げる間、私と宮本さんは見張りに徹した。
 要塞は近くの大学のごみ置き場で、日用品から机、ロッカー、パソコンまで、なんでもむき出しになって太陽の光を浴びていた。
「三年の頃さ、コーヒーの缶についてるシール集めたら、時計貰えるってやつあったろ」
 金重は先んじてごみをかき分けながら言う。
「おれの兄貴がさ、ここでシール集めて、百個たまったんよ」
「それ、当たったん?」
「いや、送ったけど当たらんかった。あとどこで集めてきたんかって親に詰められて、結局ぶち怒られた」
 なあんだ、と宮本さんがつぶやいた。五年生の途中から眼鏡をかけ出した宮本さんは、髪がサラサラのストレートで、服もかわいくて、なんというか、こういうところに来ちゃいけない感じの子だった。彼女に傷や汚れが付くのはなんか違う気がして、私も率先してごみあさりに加わった。
 お菓子の空き箱から五点、雨に濡れてくたくたになったノートから六点を集めたあたりで、私たちの集中力はとろけていった。夏休み前の、日差しの強い日だった。金重は古いマウスの底からコロコロの球を抜き出して並べていた。
「こういうのなんかちがくない?」
 宮本さんは、先生が座るみたいな鼠色の回転椅子にギンガムチェックのスカートをくっつけて、空を仰ぎながら言った。
「うちらが物を買ったときのお金で人助けするんやろ」
「そうじゃっけ。けど一点は一点じゃろ。捨てられるもんを再利用するんじゃけ、エコじゃろ。えすじーじーじゃ」
「でもこれ、知らん大学生が出したお金やろ」
「それ言うなら、家で集めたって、ほとんど親の金じゃわ。なんも払っちょらんよ、おれら」
 マウスの球が寄って集まって、ビリヤードだかゲートボールみたいな平面が広がっていた。金重の答えに宮本さんは納得していなかった。でも、私たちのやり方に不満を持っている風でもなかった。それはどちらかと言えば、労力とリスクのわりに、思ったほど点数が集まらない事へのいら立ちに近かった。証拠に宮本さんは、分け前を決めるじゃんけんにはしっかりと参加した。勝ちをせしめて七点分を持って帰ったのもまた彼女だった。
 
 週が明け、収集のおふれから三日がたったころから、現時点での点数が話題に上るようになった。あいつはもう五十点集めたとか、どこどこの牛乳がねらい目だとか、そんな情報が日常の、ふとした会話の中でさりげなく取引された。それも五日目を迎えると、私たちの組は、すでに集め終わって余裕の子、怒られる覚悟で不提出を決める子、それから大真面目に焦る子に分かれていった。
 みよちゃんはボランティア長者にはなれなかった。家の人に、自分の力で集めなさいと釘を刺されたのだ。周りの女の子達は「やっぱズルはいけんよねぇ」と言ったけれど、同じ口で「自分の分だけ貰っとるに決まっとう」とも言った。そういうのを全部知ってて、それでもニコニコしているみよちゃんは何だかかわいそうだった。
 金重は六日目、左目の下に青いあざを作って登校した。気になってちらちら見ていると、聞いてもいないのに語りだす。どうやら中学生のお兄さんのノートを持ち出して、勝手にはさみを入れたのでケンカになったらしい。相変わらず考えが足りないとは思ったけれど、笑う気にはなれなかった。私の手元にはまだ、要塞での取り分二点と、家でこそこそ集めた十点の計十二点しかなかった。
 先生はというと、先んじて提出した子の頭をなでて見せ、余裕のない私たちに追い打ちをかけた。先生はいい子がいい子でいてくれることに安堵していたように思う。私たちがゴミの山を漁っていたことを知らない、まっすぐな笑顔だった。
 
 期限が翌日に迫る夜、私はこの小さなノルマの事を、まだ母親に言えないでいた。別に悪いことじゃない。学校の宿題なんだから、隠すことじゃない。ただ、宮本さんが興味なさげに放った言葉が、私には大事なことのように思えてならなかった。なんかちがう気がしたのだ。たったそれだけだった。
 畳の上に、あるだけのノートを並べても、二十点には届かなかった。買ってもらったものに刃を入れるのには大きな抵抗がある。それにノートはどれも、まだ使い始めたばかりだ。想像する。表紙の端を四角く切り取られたノート。教室で開けば、それがどういう事なのか、すぐに広まってしまう。ああ、あの子は集められなかったんだ。あの子のおうちは集められないおうちなんだ。そう思われるのが何より怖かった。でも、結局出さない側にまわるよりは、幾分かまともにも思えた。私のまわりがどうだとしても、私が誰かを助けたのなら、それがきっと世の中にとってはよいことなのだ。そう信じてみるしか道はなさそうだった。
 机の一番上の引き出しからはさみを取りだす。幼稚園の頃から使っている、黄色い、私の手にはもう小さくなってしまったはさみだった。
 おそるおそるはさみを握り、ノートの端に当てがったところで、引き戸の開く音がした。
「何しとるんか、あんたぁ、それ、まだ使うとうじゃろ」
 私はノートとはさみをにぎったまま振り返って、絞り出すように「マークが」と言った。
 母は私とノートの端のマークを交互に見た。それから柱を掴みながら、のろのろと畳に降りてきて、不出来な娘と目線を合わせた。
「書き終わったん、持っちょらんのん?」
「ごめん、全部、捨てた」
「はぁ、そないじゃけ、あんた、勉強出来んのと違うん?」
「ええわぁや、今、そんなこと」
「ほじゃけど、まだ使うノートじゃろ、穴開いちょったら困ろうが」
 母は上体をひねって手を伸ばした。はさみとノートを取り上げられると思って身構えた。手が止まる。部屋の、動的な主体が、伸びたつるつるの手から、底のない視線に置き換わる。
「いつまで」
「は」
「いつまでにいるん」
「……あした」
 溜息が部屋を満たし、腰の悪いはずの女が立ち上がった。私はそれをただ黙って見上げていた。
「なんか……なんかあったじゃろか……」
 押入れの襖がガタとなる。茶色く焼けた畳が軋み、買い置かれた古い日用品が、次第に間取りを充たしていった。
 いつものスープの素、泣く弟を黙らせるためのスナック菓子、展開された清酒のパック、たくさん使っても怒られない、赤い石鹸箱。そうした日常からマークは少しずつ剥離して、私の掌に集まった。切り取られ、並べられたマークは、その模様がどこか目に見えて、私は思わず視線を逸らす。切れ長の、瞼の重そうな目はみな一様にこちらを向いて、知っているのに立ち上がらなかった私をにらみつけているようだった。
 
 翌日の帰りの会で、生活委員としてみんなの前に立った宮本さんが、教室の後ろに置いてあった回収ボックスを開けた。大小のマークが折り重なっていて、あるものはきれいに正方形で、あるものはしわくちゃで、色も素材もまちまちだった。計算の得意な男子が、三十六人だから七百二十点だといった。先生もすごいぞと同調した。でもどう見たってそんなには無かった。集めた人間にはわかる。一目でわかるのだ。

 私はふと、昨日の母の手のつややかを思い出していた。そしてそれをり振り払うように、いつかの未来のことを想像する。
 誰もが忘れたころ、学校に車いすが三つ届く。ぴかぴかの車いすはどこか誇らしげで、先生は、君たちがお友達を助けたのだとほめてくれる。
 私は車いすを見下ろし、そっと手を触れる。あなた、わたしたちの道徳を正し得なかった、たくさんの視線で生きているのね。そう知ってほしくて、私は椅子の輪郭をそっと撫でては愛しむ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

🔔以前書いたスケッチ「ベルマーク」を膨らませた、うしろめた文学です。
🔔十三枚(4300字)くらいです。
🔔感想いただけますと喜びます……!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?