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 広場の中央にそびえる時計台が十八時の鐘を鳴らし始めたその瞬間、男は礼服を翻してカフェのテラスに降り立った。そのたたずまいや、病的なまでに白い肌は死神のそれを思わせた。彼は込み合ったテラスの喧騒からただ一人、私だけを鋳抜いて真っすぐに歩み寄った。
「斎藤様でいらっしゃいますか」
 突然名前を呼ばれたものだから驚いて、持っていた雑誌を落としてしまった。
「どちらさんですか」
「三年と十一か月前にご登録いただいておりました、斎藤様でいらっしゃいますね」
 死神はもう一度私の名前を呼んだ。口調は保険屋の勧誘を思わせた。彼はその礼節と笑みを絶やさないまま、鞄から端末を取り出し、表示された予約者名簿と私の顔とを交互に見比べた。
 看取り屋だ。
 私は読みかけの雑誌をテーブルになげうったまま、男の告げた三年と十一か月の隔たりに思いをはせる。時は熟したのだ。男はさも申し訳のなさそうな、セールス慣れした声を並べて言葉をつづける。
「お迎えに上がりました。いよいよお母様のご臨終でございます」

 小さな発展が世界の上を駆け抜けていった。そこに二十世紀が夢見たような華やかさはなく、けれども二十一世紀が叫んだようなひっ迫した破壊も起きてはいなかった。昨日まで当たり前だったものがふわりと消え去り、代わりに昨日までなかったものがいつの間にか手元にあるような日々が、世代をまたいで緩慢に続いていた。
 私が大学を出るころ、グローバル人材という言葉が流行りのように使われた。時代はまだ国境と個人を切り離せない、ギリギリのところを流れていた。急かされるように就職をした若い私は、郷里を遠く離れ新たな生活を送るうちに、気が付けば危篤の母の手を握る余裕をどこかに置き忘れたようだった。世を去りゆく愛しさに一目でも会いたい、その感情を一言でも受け取りたいとどれだけ願ったところで、会社を置いて故郷を望むことは冒涜にさえ思えた。その葛藤は私だけのものではなかった。
 それは私一人の問題でもなかった。手のひらに納まる高性能の翻訳機械を携えて、国境を越えて仕事に出ることが働き方の一つとなって久しい。揚々と海外進出の先端に赴いた第一陣が、葬儀や結婚、出産の際になって物理的な距離を思い出すのに、そう時間はかからなかった。そうでなくても、紛争地域の勢力反転や亡命などによって、土地と親しい人々を捨てなければいけない人は後を絶たなかった。
 そこで登場した新しい職業が看取り屋である。施設療養中の親族や友人がいよいよとなった際には通告をし、次にその臨終に立ち会えないとなった場合、最寄りの支部にて通信機能を備えた仮想現実を用いて遠隔地の臨終に立ち会えるよう計らうサービスだ。

 勘定を済ませてカフェを出た私たちは、横付けされたタクシーに乗り込んだ。死神の男は運転手に行先の住所を耳打ちすると、再び鞄からタブレットを取り出して看取りの説明を始めた。
「ご存知のことかとは思いますが、事前説明義務がありますので何卒ご了承くださいませ。仮想臨終は、すでに海外では知られた臨終の例となっております。日本ではあまり認知はされていなかったようですが、ちょうど十年前に国内認可が、五年前に法整備がされまして、今後業界を拡大していくことが予想される業種です。
 その仕組みは単純でして、死亡日時予測システムとVR技術、高速度の通信技術を組み合わせることで、たとえばお病気ですとか、お仕事ですとか、そういった様々な理由で、本来立ち会うことの出来なかったご臨終を、遠隔地にいながら体験出来てしまうと、そういう仕組みになっております――」
 男の熱心な説明の間にタクシーは、少し辺鄙な郊外へと私たちを運んだ。やがて車体は音もなく止まり、男の側のドアが自動で開く。男はそこで初めて到着に気付いたかのように説明を中断すると、少ない荷物をまとめて車を降りた。
「こちらでございます」
 私も促されて車を降りる。日の落ちかけた空気の冷たさが私の頭をしゃんとさせる。見上げれば『仮想臨終研究所』の看板が、照明もないまま心許なくぼんやりとしている。
「こちらでございます」
 男は機械にでも置き換わったのか、同じ言葉を繰り返しながら私を建物の中へと案内した。研究所という語感の大仰さにはおよそ似つかわしくない、こぢんまりとした豆腐の様な建物であった。はじめ病院を思わせたが、病院に特有の、装飾してもごまかしきれないあの生と死の匂いがそこにはなく、どちらかと言えば地方の古い公民館を思わせた。私は男に導かれるまま、両の扉たちの裏を意識することなく歩き続け、やがて突き当りの扉、ひときわ大きな引き戸の前に差し掛かった。
「お客様。おひとつ確認を頂きたいのです。お客様に迷いはございませんか」
「迷い、ですか」
「そうです。当研究所では、最良の最期を提供するために、お客様に迷いが無いか、最終確認を取る規定になっております。何分当研究所はこのような営業形態をとっておりますので、どうにもこの様な看取りの方法を選択なされた後で、後悔なさる方がいる。やはり本当に会っておけばよかったと後悔される方が、中には、いらっしゃいます」
 これは仕方のないことですと男は言う。
「本来こちらのサービスは、どうしても死に際に対して都合がつかない、そういった方々への救済として始められたものでございます。今では軽く興味を持ってこられる方々もちらほらいらっしゃるのですが……やはり最期の時間でございますゆえ、ここで遠き父母の夢を見て、本当に会いたい、本当に会って、この手で抱きしめてやりたいと、今更ながらの孝行心に目覚め、心改められる方もおられます。けれどもそれはもう看取る直前でございますので、そういったことが叶わないといったことも、考えられます。うちではお客様に、そういった悲しい気持ちを抱いてほしくはありません。ですからこうして、直接の臨終が間に合ううちに、確認を取るのでございます」
 男は語り終えると丁寧に一礼し、もう一度私と目を合わせた。
「それでは、母にはまだ会えるという事ですか」
「会える、と言う表現が適切なのかどうか、私の立場からは何とも申すことができません。職員には事実のみを語るよう、努力義務が課せられております……しかし、そうですね、あえて申しあげるならば、お客様の看取られる先方が、必ずしも意思疎通をとれる状態にあるとは限りません。もちろん、それは仮想臨終を用いた場合でも同じ事情がございます。なにぶん我々のサービスを利用される方は、失礼な言い方にはなりますが、臨終の歳までコンタクトをとられてこなかった方がほとんどでありまして、いざという時に見ていることしかできない、というケースも無いわけではありません。再度確認させていただきます。本当に、会わなくてよろしいのですか」
 私はしばし言葉に詰まった。理屈では言い表せない数秒間だった。もしも私に、母に対する良心というものが、ほんの一かけらでも残っていたとすれば、それはその時の小さな躊躇いのことに他ならない。死神の言葉は正確だった。ここに来る時点で私は、母がどの病院の何号室を終の寝床としていたかでさえ、知ろうとしなかったのである。
「この技術がなければ、私と母が再び引き合わされることもなかったでしょう。私には、それだけで十分すぎるほどの救済です」
 男は、これまでもそうしてきたのだろう、私の言葉に真摯に耳を傾けていた。そうしてすっかり聞き終わると、今度は深く礼をして、一言「かしこまりました」と言って先に扉へと吸い込まれていった。
 数分の後、男は何やら大仰なヘルメットのようなものを携えて、扉の奥から現れた。手持無沙汰のまま廊下にあった長椅子に座っていた私は思わず立ち上がり、その拍子に二三歩よろめいた。
「それでは、準備が出来ましたら、まずこのヘルメットを装着していただき、それから中へ入ってください」
 私は言われるままにヘルメット受け取る。見た目の仰々しさのわりにそれはひどく軽い。改めて観察すると、それはヘルメットというよりはゴーグルで、耳や目を覆う機械が、これから私に仮想の風景を見せるのだった。
「それでは、かぶってみてください」
 男に促された私は慌てて服装をただし、その不思議な機械を頭にのせた。

 暗闇の中に男の声が響いた。男は母の遍歴、現在地と残された時間を私に伝えた。母は病院を転々として、実家からほど近いホスピスに身を置いたようだが、私の中の生きた母は十数年前、駅のホームで手を振って別れたその時の姿のままで静止していた。男が読み上げる遍歴はだから、どこか別の女の一生を思わせた。最後に男はこう付け加えた。
『これからお会いするお母様はリアルタイムで生きております。ここにはいないかもしれないけれど、確かに生きておられます。そしてお母様の方からも、あなたが見えるようになっております。お母様にその意思があるならば、あなたと確かなコミュニケーションをとることが出来ます。これは思い出に浸るだけの一方通行の演出ではありません。いわば最後にかわす握手、口づけ、抱擁と何ら変わりはありません……それでは私はしばらく外におります。そのドアを開ければ病室となります。後ほど、お会いいたしましょう』
 そこで通信の声は途切れた。そのドアを、と言われて気が付けば目の前には白く清潔な扉があって、病室のネームプレートには懐かしい母の名前があった。
 引き戸の取手に触れると、冷たい金属の感触が伝わってきて、それが私に、母に会うことを躊躇させた。お前にこの扉を開ける資格があるのかと問いただした。私は一度扉から手を放して、そしてしばらく動けないでいた。この扉の向こうには私の知らない母がいる。私の知る母は十数年前、あの駅のホームで手を振ったまま、きっと今でもそうしているのだ。そんな幻想が思考の奥底から抜けずに、私は魂の在りかについて哲学する。母はどこにいる。私の母はいったいどこにいるのか。この扉を開けるのがそんなに恐ろしいことなのか。私の知っていた母が変わり果てているのがそんなに恐ろしいことなのか。
 その時誰かがつぶやいた。
 おいで。
 顔を上げる。クリーム色の引き戸があるだけだ。
 来ていいのよ。
 言葉は私の心のうちにすとんと落ちて行った。人の心は底なしの井戸のように深く、落ちたままの言葉がどこに行ったのかまでは見ることが出来なかった。

 病室の窓からは海が見えた。それはマンションだの鉄塔だのの間にちらと光る程度の、とても絵画的とは呼べないような風景だった。けれども母はそこから見える海が好きだったようで、ことさら誇らしげに語って聞かせた。ここが病院の一等室なのよ、と。
 私の姿を見た母は、その目線のやり取りだけですべてを悟った様だった。私が「そこにいる」こと、自身に天からの迎えが来たこと、愚かな息子が赦しを請い、答えを出せずにいること。そこにそれ以上の言葉はいらなかったのだろう。母の第一声はこうだった。
「窓から海が見えるのよ」
「かあさん、僕です。分かりますか。見えますか」
「見えるよ。見えてる。まあ、夢みたい」
「僕もです。僕も……ごめんささい、本当にそこに居なくて、本当に」
 涙が頬を伝い、不自然な位置で角度を変える。瞬間に至ってなお逃げ腰をやめられない人間の、みじめな涙が、装着したゴーグルに阻まれて、落ちる地面を失っている。
「忙しいんでしょう。また帰って来なさいよ。私がね、おらんでもねえ。手に取れるもんはぎょうさんあるよ」
 会話を続けるうち、母の呼吸は長く、たなびく様なものに変わり始めた。私は思わず母の手を取った。病室の白い布団からのぞいた母の手は、細く小さく、筋張っていて、表面は指紋が消えてつるつると光っていた。私はその手を包むように持ってそのぬくもりを確かめ、今度は両手ですくうようにして、そのしわを眺めた。私は母の最期にあってその手のなしてきた施しを回想していた。小学校で会った私の持ち物に名前入りのシールを張り、体操服にゼッケンを縫い付けた手を思い出した。給食のなかった中高生時代毎日弁当を作っていた手を想像した。実家を離れて大学に進学した時、立派に自立するんだと握手を交わした手。父の葬儀の中、袖を握りしめたまま一つも動かなかった手。私と母との思い出は、あまねくその小さな手に集約されていた。
「かあさん」
 私が呼びかけると、母は目を瞑ったまま、口角を少しだけ持ち上げて微笑んで見せた。手を握る力が強くなったかと思うと、母は大きな深い息を一回、二回として、それきり身体の機関を止めてしまった。強さと美しさを生きがいにした母らしい最期であった。
 母の手は、胸から最も遠い、中指の先から順々に冷えていった。その指先の生んだ一つ一つを順々に、丁寧に手放すように。冷たさは私の手に伝わり、それはあまりにも自然の、どこにでもある、不思議のない熱移動だった。私は生や死が、普段は過剰に装飾され、さも大仰なことであるかのように見繕われていることを知った。
 やがてナースコールが自動で作動し、扉の外がにわかに騒がしくなってきた。私はそれでも母の手を離せなかった。冷たくなっていく母の手は、それでも別れを惜しんでいるような気がして、私は二度も母を無下に捨てることが出来なかった。
 医者が入ってきて母の手を取った。手首と首で脈をとって、次に自身の時計と照らしながら死亡時刻を宣言した。母の微笑みには白い布がかけられ、病室から運び出されていった。私はそれをただ茫然と眺めていた。
 後になってふと考える。あの時遠方の母を思い確かにとった手は誰の手だったのか。そういう時、私は自分の手のひらをじっと見つめてみる。あの日の病室には静寂と光だけが残ていった。まぎれもない、あたたかい、海のにおいのする光だ。

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