見出し画像

第八回六枚道場の感想

暑さも少し和らいできましたね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
ほどほどに感想を書く体制に移行したいのですが、つい力を入れてしまいがちです。自分の創作を優先すべきとは思うので分量少なめで行きます。てか今回数多くない?

・あくまで感想であり批評や分析ではないよ
・感想の長さは作品評価に比例しないよ
・基本いいところを探すが、御世辞は言わないよ

今回もこれでやっていこうかと思います。


008A

1. 「四月四日」草野理恵子さん

「現代詩の日」というのを初めて知りました。キャスでもふれたとおり、四篇の詩の間に繋がりが見いだせず、一つの作品として読むことができませんでした。(不徳の致すところです)。その分、一篇々々はすごくきれいに立ち上がっていて唸りました。
(ヘラジカの首)では「なぜ なぜ」と問ういっけん無機質な君の声が切実で、詩の中心をとおっている感じがしました。(冷蔵庫)ではまず廃線に冷蔵庫が並ぶ幻想的な風景から、細い髪の毛の一本にフォーカスする様がすごいとおもいました。(指の缶詰)では最終節の「私の指がポトンと入った」という音の生々しさにぞくぞくしました。(ナナカマド)は初め幻想味の強い牧歌的な詩として受け取りましたが、紙文さんの解釈を聞いて見方が変わりました。
ハギワラさんはキャスで「草野さんの詩に共通する身体破壊(分離)のモチーフには悲劇性が感じられず、喪失をあたりまえとしている」との話をされていました。この点については確かに頷けます。そのうえで、個人的には身体の喪失があくまで「喪失」として書かれているところにこそ、草野作品の魅力があるのではと思いました。例えば指がポトリと落ちるくだりでは、(川端康成の『片腕』のように)指を着脱可能の物として扱ったフィクショナルな体験ではなく「本来であれば指は付いているものだが、それが離れてしまっている」という強い意識を根底に、その「不一致」を幻想風景の中に霞ませることなく際立たせる実際性みたいなものがあって、そこ強く惹かれました。

2. 「うたかた」星野いのりさん

星野さんは自作や俳句そのものや、作るにあたって立ちはだかった問題について丁寧に解説してくれる、道場内ではかなり親切な作者さんで、とてもありがたく思います。なぜなら僕はほとんど俳句について無知だったから。俳句を知らなかった人に興味を持たせ、魅力と奥行きを見せ、興味を持つ人を増やしているのがすごい。見習いたい。
今作では「俳句でこんな世界まで作れるのか!」という驚きをまず感じました。各句の繋がりからの連想として、望まない行為を強いられた主人公(僕は女性として読んだ)が自死もしくは事故死を遂げ、束の間見えかけた救いも無いままに荼毘に付される物語を受け取りました。そこまで具体的な風景を用意しなくとも、各句からは「死や絶望の目前にはいつも狭さや窮屈が存在する」という雰囲気を感じます。
今作でとても素敵だと感じたのは季語、と言うより「季語を見て万人が想起するであろう、半ば無批判にポジティブな情景」との距離感です。入学や葉桜や、そういう言葉を聞くとどこか爽やかで前向きな印象を受けます。しかし、暗澹たる思いで入学式を迎え、俯き、汚い点字ブロックにしか目が行かなかった人と言うのはきっとどこかにいるはずで、そういう人にとっての入学とは決して思い出して気持ちの良いモチーフではないでしょうし、そういうモチーフを肯定的にとらえがちの風潮を見て、マジョリティから疎外されているような孤独を味わう人だっているでしょう。そういう人の視点を拾っているところがすごいと思います。俳句の世界に浸っていれば、もしかするとそういうモチーフや季語の置き方(従来のイメージと異なるものをぶつける)はわりとメジャーに行われていることなのかもしれないけれど、少なくとも僕の俳句感は広がったように思います。
好きな句は「入学や点字ブロックが汚い」「葉桜ざわざわ上履きに画鋲あり」「蜻蛉の翅のみづみづしき葬後」。前二句は前述の理由によるところが大きく、後者はやはり三音の語でしめられる句が好きだという個人的な好みに基づきます。また「蛍籠セーラー服を強ひられて」について、制服を普段着用することを「強いられている」と表現することは若干陳腐かなと言う思いもありましたが、連句の文脈から、より即物的に「その場で着ることを強いられている」と読むと途端に魅力が増しました(面倒くさい制服オタク)。
俳句にルビを振ることについて、小説を書く際の基準ではありますが、ネット時代の読者、特に文芸に携わり、六枚道場のような文章を好んで読む人には、大方自ら分からない漢字や単語を調べる能力があると考えています。そのため心太、寒涛のような「常用ではない」「難しい漢字」にルビを振る必要は(デメリットが際立つのであれば)ないのではないかと思います。一方で蜻蛉(せいれい・とんぼ)のように一般的な読みかたと異なる読みかたを採用しているものについては有難かったかなという気持ちもあります。

3. 「百合八景」伊予夏樹さん

タイトル公開時「百合八景なんて綺麗な名前、さぞかし美しい物語が綴られるのだろう」と想像していたら、これはこれは美しい物語が綴られていました。ネタではなく純粋に、えぐい内容で綺麗な物語を書く人だなと言う印象です。どうしても六篇目に注目が集まりますが、二篇目、四篇目と七篇目が特に好きです。二篇目は屍体目線で、イヤだと叫びながらも相手の子には声の届かない一方通行感、偏執が素敵です。四篇目では「どうしてこうなっちゃったのかな……」と冷静さを装いながらも、淡々と行為は進んでゆく。自省が行動を抑制できない感覚が生々しいです。七篇目は格調高く「夢見百合(ディーモレット)と呼ばれる」などの語り口調が伝説的、神話的世界観を満たして香ばしいです。
六節目が議論を呼んでいましたが、確かに他の七篇と比べて浮いているような感じもします。ただ内容のえぐさ、奇抜さで言えば他にも引けの取らないものがあり、読者がそれぞれどのあたりで線引きをしているのかは気になるところです。屍体を食すことと肛門を覗くことを比べれば、前者の方が不衛生で冒涜的といった印象なのに、どうしてか後者をことさら「下ネタ」として受け取ってしまう。そもそも下ネタとは何かということがあまり分かっていないので何とも言えない所ではありますが、六篇に関しては装飾が少なく、「ケツ穴」「ブリッ」「オナラ」「カンチョウ」と言った具合に表現が直接的な分ダイレクトに受け取られたのか、もしくは死や幻想の感触が(奥に広がる百合の庭園をのぞいて)比較的薄いので、そのぶんイメージが想起されやすく生々しかったのか、そんなことを考えます。
ただ伊予さんは六枚道場中に「ネタ強めの話⇔ガチの幻想・怪談」の往復を貫いていて、今作のようなネタと受け取られやすい描写で油断させておいて、次には硬派堅実な作品で驚かせて来るので、その先方は流石に巧みだなと思います。作風の往復によって、それぞれの読み口を飽きさせずに毎回新しいものとして受け取れる気がします。

4. 「みそひとづくし、あるいは割引券くらいもらえるかもしれないと思う。」一徳元就さん

あなたを氷菓購入教唆で訴えます! 理由はもちろんお分かりですね? あなたが皆をこんなウラ技で騙し、サーティワン欲を刺激したからです! 
僕は本作を読んだ翌日、十年以上ぶりにサーティワンへ行きました。アイスマイルをため始めました。いまシルバークラスです。まんまと落ちました。サーティワン美味しいですね。オレンジスライムタイム、サンセットサーフィン、ポッピングシャワーがお気に入りです。
作品の話に戻ると、本作はサーティワンのメニューを読み込むというしばりで作られており、その上もう一段階ギミックが仕掛けられています。ギミックものは大好物で、「やられたー!」とか「きもちいい!」とか思って楽しめるのだけれど、投票の際、ギミックとは離れた書き方をされた作品と比べる時、どうしても「ギミックが面白かったから」という選択にストップがかかってしまいます。ごめんなさい……
制約が多い分、どうしても個々の歌それ自体で立ち上がらせるのも難しかったことと思います(「おっ待たせ」に苦心のあとが見える)。この点に関してはけれどもそれぞれに個性的で、ポップで明るい歌は読んでいて楽しかったです。
個人的に好きな歌は「宵闇は僕の妻の名、唇にサンセットサーフィン とこしえに」。ただ妻の名のあとの「、」と、とこしえにの前の空白が効果的かどうかは、好みによるのでしょうが、微妙なところです。




この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?