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バルブを閉めるだけ

●第十回六枚道場の参加作品です。

バルブ1

バルブ2

バルブ3

バルブ4

バルブ5



 職業体験とかいわれても、べつに将来とか決まってないし、いや将来の夢がないわけじゃなかったんだけど、だからってそれに向かってなんかするとかの段階じゃないと言うか、ぶっちゃけ行き先の選択肢の中に魅力的なのがなかったんよ。ほら、うちって非力やけん力仕事とか嫌やし? アホやけん勉強できんでから頭ええヤツに混じって新聞の取材とかやるんも劣等感ってか、じゃあ美術館とか行って、なんかノートの端に漫画のキャラ描いとる陰キャに混じんのもつまらんし?
 そやって消極的に、行きたくないとこつまらんとこ、消してって残ったのが解体やった。いや、それはやっぱり嘘っちゃ嘘で、最初に解体って項目を見た時になんとなく、ああうちこれ選ぶんじゃろなって思っちょった。
 解体ってのは詳しく言えばビルの解体のことで、ホラ、町でたまに見る、あの古くなったビルを防音の膜で覆って、中で何しとんか分からんけどガガガガガってすごい音してるあれのことじゃと思うんやけど、最初は、そんな危ないところにうちらJCが訪問していけるんやろうかって思っとったんやけど、うちらがやる事の中に「バルブを閉める(出来る人だけ)」って書いてあるやん? これがどうも引っかかって、てのも、バルブを閉めるのが出来ん人ってだれやろって思ったらなんか気になって頭から離れんようなって、もしかしたらバルブってメッチャ硬くて、それはもう硬くて全然開かんことなったジャムの蓋よりさらに数倍硬くって、よほどの怪力か、そう、右手だけならクラスでいっちゃん腕相撲強い弓道部のアダチくらいやないと閉められんバルブなんやったらまあ分かるんやけど、それならわざわざ職業体験の内容に書かんじゃろうし、なんならアダチみないなやついっぱいおるって思われちょったらうちら女子校やのにイメージ総崩れやん? まあそう言うわけでプリント配られた終礼の後にさ、「これうちら舐めすぎじゃね?」ってクラスでいったん大盛り上がりしてさ、それが「バルブぐらい閉めちゃるわ」って意味なんか「バルブなんか閉められると思うなよ」って意味なんか、どっちかは分からんけどとにかく盛り上がって、だからみんな挑みに行くもんじゃって思ってうち希望のところに「解体」って書いて出して当日来てみたらうち一人やった。
 友達のサキに「なんで裏切ったんよ」って聞いたらさ、「帰ってお母さんに言ったら、あんたにはまだ早いからやめときやて」って。まだ早いって何か分からんけど、なんかそれも低く見られてるみたいで無性に腹立つし、ほんじゃったらいっちょ目にもの見せちゃろうわい、うちがバルブ閉めて武勇伝聞かせちゃろわい言って、クラスん皆の前で宣言しちゃったからもう引っ込みつかんことなって、その話、工事のおっちゃんにしたら、怒鳴られはせんかったけど静かに怒られて、お前なんも知らんのじゃなって言われてガン萎え。なんか怒鳴られたら怒鳴ってきた理不尽に腹立てられるけど、優しく怒られたらほんまにうちが悪いんじゃって逃げ道ふさがれて、しおらしく話聞くしかなくなったところでおっちゃんは語り始めた。
 「あまり知られていないことですが、ビルにも命があります。あなたの身体に血管があって、静脈と動脈があって、消化器官やリンパがあって、その中を絶えず物質が流動していくように、ビルにもまたビルを生かすための無数の管や節が存在しています。いいですか。解体というのにも順序がある。重機で崩すにしても、爆破をするにしても――どこの国でもそうなのですが――まず始めに行うのは弔いです。いや、身も蓋もない言い方をするならば安楽死だ。私たちのような解体業をやっていると、ビルが痛みを感じ、怯え、ここれは比喩じゃないぞ、叫び声を上げるのがよく分かる。けれども人間にだって都合がある。土地は限られているんだ。ビルはひとりでに歩けない。移築出来ない時には死んでもらわにゃいかんのです。だから、せめて、なるべく苦しまないように逝かせてあげる。それが私たちの仕事です」
 話を聞きながら、うちらの足は随分深い所にまで潜っていた。入り口横のエレベーターには地下なんて書いてなかったのに、もういくつの階段を――途中の踊り場でくるくる向きを変えながら――降りたか憶えていない。風景はみるみる有機的になっていく。おっちゃんの話を聞いたからか、はじめからそう見えていたのかは知れないけれど、鉄や真鍮のパイプとか、たまに挟まる計器とかバルブとか、塩ビでおおわれてひとつに束ねられたケーブルとかが今のうちには全部身体に見えている。廊下の温度も湿度も上がって、じんわりと汗ばんできたところでうちとおっちゃんは一つ扉の前に立っている。
 おっちゃんは鍵をガチャガチャ言わせて扉を開ける。扉の奥は掃除ロッカーほどもない小さな空間になっていて、そこにはいくつか、大きめのバルブが等間隔に並んでいる。
「まずは私が手本を見せよう」
 おっちゃんはそう言うと静かに手を合わせて、それからながいながい時間が経った。おっちゃんの唇が震えて目から雫がこぼれ落ちた。涙か汗かは分からない。震える手がゆっくり、バルブへと延びる。バルブはいとも簡単に回っていく。でも、十五度ほど回るたびに、小さな悲鳴のような呼吸が聞こえてくる。
「さあ、次はあなたの番。やってみて」
 促されたうちはバルブに手をかける。手をかけた瞬間、全てがわかってしまう。ここまできて、引っ込みがつかなくなって、それでも自分に言い聞かせる。
 大丈夫。バルブを閉めるだけ。バルブを閉めるだけ……

(了)

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