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「できること」より「やりたいこと」を大切に生きる

おはようございます、ちゅるぱんです。

自分のキャリアを考えるにあたり「できること」より「やりたいこと」を考えることは本当に大事だなと、社会人14年目でようやく本当に自分の「やりたいこと」に正直に行動してみて、確信しています。「やりたいこと」をやることで「できること」が増えてきて、結果的に「自分」というものが研ぎ澄まされていくと感じてる。(私はまだそのスタート地点)

「やりたいこと」とは、単に
・ヨガやりたいな
・海外旅行行きたいな
とか、そうしたものではなく、もっと大きい「やりたいこと」。
つまり、「自分はどんな世界観を作りたいか?」「そのために何をやりたいのか?」ということ。


でも、「どんな世界観を作りたいか?」なんて、すぐに言葉にできる人は少ない。でも、それを言葉にできると強い、一気にその世界観、やりたいことへの解像度が上がり、具体的なアクションに結びつけることができる。



20代の頃の私は、「これをやりたい」「こういう世界観にしたい」と思うことがあった。でも「こういう世界観にしたい」ということがうまく言葉にできず、社会人デビューと同時にそれを発信しなくなってしまった。発信とは、友人にしているだけではダメで、ちゃんと社内でも言えることが大事だと思う。発信することで、その言葉が磨かれ、相手からも応援されるようになってくる。

「石の上にも3年」という言葉があるが、この言葉は「誰にでも当てはまる」とは思っていない。ただ、漫然と3年経験をしても全く意味がないと思っている。この3年間で自分はどんな風になっていたいか、どんなスキルを身につけておきたいかを常に自問自答して過ごしていれば、次のステップも踏みやすい。ただ、漫然ととにかく3年働く、3年働いたら転職したらいいやという甘い考えではだめ。私の場合、20代の時にやりたいことがあったけれども「まだ自分にはスキルがない」(しかも、そのスキルが具体的にどんなスキルなのかもわからなくて、落とし込めていなかった)、「今の自分にはできないかもしれない」と思って、そのやりたいことに挑戦できなかった。
そして、3年経つ頃にはモチベーションが下がって、ただイギリスへ行くためのお金のためだけにだらだらと働いていた。そして、あっという間に14年という月日が流れてしまった。

もし、一度会社に入って、それでもなお、もし別のところでやりたい気持ちがあるのであれば、3年も待たずに、そのやりたい気持ちを大事にして、誰になんと思われてもいいから思い切ってやってしまっていいと思う。私の場合、できたこととしては、土日にアルバイトで働きたかった会社で働いてみて、様子を見ながら、その会社へ転職する、とかできたかもしれない。「できる」か「できないか」なんて、やってみないとわからない。特に20代は失敗をしてもやり直せるチャンスがある。だから、本当にやりたいことがある人は、それを外にどんどん発信をして、やってみるべきだと思う。

ただ、そのやりたいことをやる場合は、どんな結果も自分で受け止めるという覚悟と責任を持つこと。

本田宗一郎著の『やりたいことをやれ』の中にはこんなことが書いてある。

若さと良識
若さには特権がある。しかし、若いんだから何をやっても良いということはない。社会を維持するための法や秩序を守らなければならないことは当然だが、自分の自由が尊重されるためには、他人のそれを尊重することが必要である。
権利を自覚して、義務を果たすことが民主主義の基本なのだ。つまり、どんな行動にも責任が伴うということである。過ちの理由を絶対に他に求めてはだめだ。どんな場合でも、自分の行動は自分の意志で決定する。こうした基本的な考えを身につけたところに、行動の自由の限界を悟る良識が生まれるのである。良識の伴わない「若さ」は時として野獣の牙にもなりかねない。

私の場合は、若くないので、もっと「良識」というものも洗練されていなければいけない。社会人14年目にして、ようやくやりたいことのスタート地点に立てたので、その気持ちを大切に、自分の「やりたいこと」を描いた上で、「行動していること」「行動したいこと」「身につけるべきスキル」というのを今一度洗い出したいと思う。


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