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自己紹介

はじめまして、ちゅるぱんです。

昨年の夏にnoteを立ち上げ、ゆるゆると今まで15記事書いてきたのですが、これまでの自分について、なぜnoteを書こうと思ったかについて書いてみようかな、と思い、今更ながら、自己紹介です。

「ちゅるぱん」て?

「ちゅるぱん」とは、タタール語のChulpan(明けの明星)に由来しています。大学生の頃、『グッバイ、レーニン!』(英題:Good Bye Lenin!)というドイツ映画を観て、その映画が大好きになったのですが、その映画の中のヒロイン「ララ」を演じていたのが、Chulpan Khamatova(チュルパン・ハマートヴァ)というタタールスタン共和国出身の女性でした。彼女がとっても可愛くてですね、私のタイプの顔だったのと、彼女の名前の意味、「明けの明星」という意味も気に入りました。それでそれ以降、「ちゅるぱん」という彼女の名前を、私の中でコードネーム?的に使わせていただいています。

「明けの明星」っていいな、と思っています。
「明けの明星」とは、明け方に見える金星。別名として「一番星」と言われていて、最も強い光を放つ星、金星です。太陽と月の次に明るい天体とされており、明るさと美しさからローマ神話の女神ビーナスに例えられてもいるようです。

このnoteで書きたいこと

後ほど、私の経歴については書かせていただきますが、キラキラしたキャリアではなく、かなり右往左往しているキャリアです。社会人14年目にして、ようやく自分のやりたかったステージに立てた感じ。

そんな私が書きたいことは

・読んだ本について
・美術館や博物館について
・その他学んだことについて
・自分の好きなこと(自然・アウトドア系、着物、英語学習)

を自分の備忘録的に書いていけたらいいなと思っています。

書くことは慣れていないし、むしろ苦手。自分のために書いた文章がたまたま目に止まった誰かの役に立ったら、嬉しいな。
まずは、100記事を目指したいと思います◎

そんな私の経歴

そんな私の経歴ですが、いわゆる色んなキャリア本にあるような、キラキラしたものでは全くありません。だから、皆さんのお役には全然立てないかもしれません。それでも、自分の整理のためにも、大学時代から遡らせてください。

大学時代:「国際経済学・開発経済学」のゼミに所属し、国際協力の仕事をすることを夢見つつ、JICA中部国際センター、バングラデシュのグラミン銀行でインターンをする。(その時は、ムハマド・ユヌス氏がノーベル平和賞を取る前で、今ほどインターン生もおらず、唯一の日本人インターン)。ただ、バングラデシュへ行って、「自分は全然役に立ってない(貢献するどころか、バングラの方達に色々教えてもらった)」「(当時)バングラは援助漬け(と感じた)。NGOだらけ。援助ではなく、ビジネスで対等な立場で途上国と関わりたい」「いつかバングラデシュに恩返ししたい」という思いを抱きつつ、「まずは日本でビジネスの基本を学ぼう。」「自分はヒールで仕事するよりも、生産地にドカドカ入っていける仕事がしたい」「男性が多い職場で自分がどれだけできるか試してみたい」「日本の農村、世界の農村と関わる仕事がしたい」と地元の食品専門商社へ営業として就職。天邪鬼な私は、ガツガツ就職活動をするわけでもなく、自分が面白そうと思った企業数社だけしか受けてませんでした。

1社目:食品専門商社時代
東京支店に配属され、営業をしていました。頭脳型営業プレイヤーというよりは、体当たり系(笑)。男性の先輩からは、「お前は本当に変わってるよな」「マイペース」と毎日のように言われていました。そんな環境の中、1年、2年と過ごすうちに、「あまり変なように思われないようにしなきゃ」と周りと合わせるようになり、次第に、バングラへの思い、ビジネスで社会貢献したい!という情熱が薄れていきます。ただ、学生時代に、「英語圏へ留学する」ということが果たせなかったため、30歳までに行ってやろうという思いがあり、ただひたすら、イギリスへ行くことを夢見て、毎日英語を勉強していました。(今思うと、あんまり仕事は真剣にやってなかった、、、)

入社5年目になろうとしている頃、東北大震災が起き、渡英への夢は一層強まりました。そんな中、地方への転勤。転勤の打診の時、初めて東京支店の先輩、事務のお局的存在の方に相談しました。「なんで早く言ってくれなかったの?応援したのに!」と言われたのは、今でも覚えています。「あー、私が勝手に誰もわかってくれないと思っていたけど、ちゃんと話せば人は応援してくれるんだな」というのが、その時の学び。そして、結局、まずは地方へ転勤をしてみることにした。

転勤から10ヶ月後、28歳になった頃、当初大学院で渡英を考えて勉強していたものの、具体的に大金を叩いて学びたいものもなかった&30歳までに海外へ行きたかったこともあり、ワーキングホリデーで渡英することを決意。

2社目:ロンドンのホテル空室会社(旅行業界)
28歳で念願の渡英。英国のワーホリは2年間なので、どうせなら会社で働いてみたいと、現地で就職活動をし、トヨタロンドン支店と、旅行業界の求人、どちらを受ける?と言われ、英国の会社である旅行業界の会社を受け、そのまま入社。在英20年の日本人の女性上司と、英国人と国際結婚した日本人女性の同僚3人のJapanese Groupに配属される。ここでは、自分の英語力のなさを痛感し、毎日同僚の英語をそば耳立てて、真似して習得。通勤、帰宅後も毎日BBCやドラマをみて、英語を勉強。
時には、ネイティブ向けの生涯学習講座に参加して、全くついていけない時もあった。
ロンドンの2年間は、働く時と休み時のオン・オフの取り方、働き方を学んだ。

3社目:HR系情報プラットホームのベンチャー企業
日本に帰国後は、バングラデシュに関わる会社に入ろうと思っていた。しかし、その会社の最終面接で落ちてしまった。この時はひどく落ち込んだが、英国で貯金をすっからかんにしていたので、アルバイトでその会社で働く覚悟はなかった。そこで、「グローバル事業を新規で立ち上げる」という求人でこの会社を紹介され、「人に興味がある」「ITメディア系とか弱いし、ベンチャー企業とか経験したことないし、ITメディア、人に関われることが学べて面白そう」「新規事業立ち上げ経験したい」という理由で入社。
ここでは、営業の基本を学んだ。(1社目は既存が多かったし、営業研修というものもなかったので、楽して営業してた)

しかし、蓋を開けてみると、予算が足りず、新規事業は立ち上がる気配がなく、海外とか変わる要素もなく、あっという間に2年がすぎた。

4社目:グローバル人材開発の会社
現在、第一子の育休中の会社です。3社目の時に、少しでも海外要素な会社に関わりたく、「グローバル人材育成」をしている会社に新規営業に行っていた。様々な研修会社の中でも、経営者が「本気で日本企業、日本社会にグローバル、世界と戦える人材を作っていきたい!」と思っており、本質的にグローバル人材育成をお客様としているな、という会社と出会った。そのお客様だった会社とご縁があり、働くことに。ここでは、本当に高度な案件を任せてもらったり、プロジェクトリーダーをさせていただいたり、本当に色々な経験をさせていただいた。クライアントの人材育成担当者の皆さんも熱意のある方が多く、そんな方々と一緒にビジョンを達成していく過程がすごく楽しかったし、受講生がどんどん変わっていくのを見るのがものすごいやりがいで楽しかった。

そして、2020年4月、、、
育休中に、自分の今後のキャリアについて、考えた。いろんな本を読んだり、キャリアコーチングも受けてみた。そこで、"Who am I?" 私は一体何者なのか?を問い続けた。その中で、日本帰国後に一度最終面接で落ちた会社のフェーズがグンと変わっていることを知った。20代から憧れていた、バングラデシュに関わるその会社。いてもたってもいられず、説明会に行き、エントリーした。そしたら、ご縁があり、働けることになった。最終面接では、想いが溢れて副社長の前で泣いてしまった。

正直、私は、まだまだこの会社で働くにはスキルが足りないかもしれないな、と思っている。優秀な若手もたくさんいると思う。それでも、今、ここで飛び込まないと私は一生後悔するだろうな、というのは明確だった。

そして、先週、4社目の会社にも、退職の話をした。
バングラにいずれは関わりたいことは、社長、専務、マネージャーにも日頃から話していたから、残念だけど、、、と応援してくれた。

私は今、初めての子供を持ちながら働くステージにありながら、全く新しい会社、環境に飛び込む。まるで、荒波の中にザブン!と飛び込むかのよう。ワクワクとドキドキ、受け入れてくれた会社に精一杯貢献したい気持ち、自分にできるかな?という不安、そして、私を旅ださせてくれた4社目の会社のためにも、しっかり自分の夢を叶えなくては!という緊張感の中にいる。

こんな右往左往している人生ですが、不器用でも、周りへの感謝と挑戦を忘れずに、一歩でも前に進んでいたら、人生もっと楽しく、若い頃の夢も叶うんじゃないかなって思っています。36歳からの今からでも、夢を見たっていいじゃないか、って思っています。20代、私みたいに遊びまくっていても、そんなに仕事に向き合っていなかったかも?と思っていても、右往左往していても、今からだって、挑戦できる!そんなことを示せれたらと思っています。

いずれは、もう少し多国籍なチームの中で、日本を飛び出して仕事がしたい。途上国のまだ見ぬ良いものにスポットライトを当てながら、そのプラットホームになるお手伝いをし、いろんな国の魅力を伝えていきたい。そんな中で、より世界が良い方向で繋がるお手伝いがしたい。そんなことを考えながら、次の会社で少しずつチャレンジしていけたらと思っています。

明けの明星を目指して。






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