【台湾留学体験記】台湾で4年間の大学生活を終えて、今だから思うこと

簡単な自己紹介


名前:セナ
台湾在住歴:4年目
大学:中原大学 国際経営貿易学科
学年:4年
趣味:映画鑑賞

学科の紹介:国際経営貿易学科

この学科では名前の通り経営と貿易を勉強します。
経営関係の授業▶︎経済学、会計、マーケティング戦略、など。1、2年生では経済がどう回っているのか、お金がどう動いているのかなど論理的な事を勉強し、3、4年生でその知識を生かして実際にプレゼンテーションを行う授業が増えます。
貿易関係の授業▶︎貿易論理、貿易実務など。貿易に関する法律や貿易の種類、貿易に関する書類の書き方を勉強します。

台湾に決めた理由

「アメリカへ行けないならヤケクソだ!!」

将来はアメリカで英語がペラペラのキャリアウーマンになる!これは私が中学生の頃から抱いていた夢です。高校1年生の冬、この夢を叶えるためアメリカの大学へ進学しようと思いネットで情報を調べ始めました。「え、アメリカの大学って学費が2000万もするの!?」今でもパソコンの前に座り絶望したのを覚えています。今思えば、もっとしっかり調べていれば他のルート、方法で安く留学に行ける情報が見つかったと思います。ですが今は、あの頃しっかり調べなかった高校1年生の自分に感謝しています。こうしてアメリカ留学を諦め、毎日落ち込む私を見かねた母が台湾留学の説明会に行こうと提案してくれました。こうしてほとんどヤケクソで説明会に参加することを決めましたが、この「ヤケクソ」が私の人生を変えるきっかけにもなりました。


苦しくも楽しい予備校時代

高校3年生になり部活動を引退して、ついに予備校での中国語学習が始まりました。私は基礎中の基礎を学んだ後、すぐに大学入学を間近に控える先輩達のいるクラスへ移動させられました。そのクラスで見たのは台湾人の先生と堂々と中国語を使って会話するかっこいい先輩達の姿です。それを見て「あと一年後には私もこうなっているのか」とこれからの自分の成長に期待が高まりました。ですが一瞬でその期待もへし折られてしまいます。

全く授業の内容が聞き取れないのです。唯一聞き取れる単語というのは你好(ニーハオ)と謝謝(シエシエ)ぐらいでした。と言うのも、私の通った予備校はオール中国語で授業を行う学習スタイルだったのです。今まで触れたことのない語学の学習の厳しさを思い知らされながらも、必死に食らいつく毎日であっという間に高校卒業の日を迎えました。

高校を卒業してからは毎日8時間、みっちり中国語勉強漬けの日々を過ごしました。苦しいと思うこともありましたが、それを乗り越えられたのは一緒に勉強する友達の存在でした。大学四年生になった今でも交流があり、刺激しあえる関係の友と出会えた予備校時代は私の中でともて大切な思い出です。

大学生活スタート

1日目
「ついに台湾上陸!」なんてウキウキ、ルンルンな気持ちは一切ありませんでした。緊張と不安に押しつぶされそうになりながら台湾初日を迎えました。とりあえずルームメイトと仲良くなろう!と思い自分から話しかけるも聞き取ってもらえず玉砕、、。「自分ってメンタル豆腐だったんだな」と感じた1日でした。

1ヶ月目
台湾で生活して1ヶ月がたち、気づいたことがあります。
それは自分から話しかけていかなきゃ何も始まらない!ということです。
台湾に来る前、先輩や予備校の先生から「日本人女子はモテるよ!」と言われていたのに、全然モテない、話かけてももらえない。日本人だとわかると、ただチラチラ見られるだけで、積極性をつけなきゃいけないと痛感しました。ここから、『お豆腐メンタルから平均よりちょい強メンタルへの成長』がゆっくりですが始まったと思います!

台湾4年目の今
沢山の挑戦や、もう二度としたくないと思った辛い経験も、今では本当にいい思い出になり成長のために必要なことだったんだなと思えるようになりました。ここでは書ききれなかった、面白い出来事、辛い経験もこれからどんどん書いて行きたいと思います!楽しみにしててくださいね〜♪

最後に


日本の友達に「台湾の大学に通ってるなんてすごい!勇気ある!」とよく言われますが、お豆腐メンタルの私でも半年後には卒業です!台湾に来さえすれば結局はやっていけるのかな、と思ってます。台湾人以外にも、沢山の外国人と友達にもなれて、日本では経験できないことが盛りだくさんです!台湾留学を迷ってる方がいたら、是非勇気を出して挑戦してみてください!

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