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技術の進歩に人間社会が追いついていない件

技術と倫理の話

少し前のニュースだが、亡くなったペットの遺伝子をもとにしたクローン犬を産み出す中国のサービスが少し話題になった。

中国の法律的には許容されているので、こういったサービスが生まれ始めているが、倫理的に受け入れられない層と、肯定派の層がいるというのが現状だ。

SFの世界では昔から、クローンや人造人間の問題を取り上げてきたと思う。
例えば、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」では、アンドロイドと人間の見分けがほぼつかない中で、一部のアンドロイドが人間に反旗を翻すという話だ。
「エヴァンゲリオン」や「ガンダム」でも、クローンや強化人間が、同じ遺伝子を持って量産されている世界観が描かれている。

一方、それが現実味を帯びて我々の世界の中に実際に登場してきたらどうすべきか、という議論がこれまで一般人の中でされてきただろうか?

正直、「クローンという存在を人類はどこまで許容すべきなのか」、という議論は、社会においては、「もしUFOが人類を攻めてきたらどうする?」くらいの感覚で捉えていたように感じる。少なくとも私はそうだった。

新技術への理解は徐々に形成されるもの

私の身の回りの意見としては、この中国のサービスは道徳的にNGという意見が多かった。
「遺伝子だけ同じでもそれは自分の愛したペットではない。生まれてきたクローンの命が可哀想」「いずれ人間でも同じことをしてしまうのではないか?」など。

では、例えば、新型コロナウイルスの効果を測定するために、同じ遺伝子のラットをクローン技術で生成し、遺伝子情報による違いを排除したデータを取るという活動はどうだろうか?

生乳がとても出たり、可食部が他よりも多い突然変異の牛や豚のクローンを使って、人類の食料不足問題を解消する、というのはどうだろうか?

私はどちらかが正しいとかいう意見を言いたいのではなく、こういった答えのない問いは、徐々に社会が技術と向き合い、新技術の使い方の認識を時間を掛けて醸成してくものだと思っている。

例えば、18-19世紀の産業革命初期において、蒸気機関などの技術が生まれ、労働者が一気に職を失った。
その結果、「労働者が機械なんてものがあるから俺たちの仕事がなくなるんだ」という、機械を壊す運動(ラッダイト運動)が起きた。

Wikipedia調べだが、ワットが蒸気機関を発明したのは1769年だった。
一方、ラッダイト運動は1811-1817年だ。
機械の発明→機械の導入と展開→労働者が職を失う→労働者が反対、というプロセスに約50年を要している。

しかし現在の価値観はどうだろうか?

現代においては機械やテクノロジーという言葉は、ポジティブな意味として使っているだろう。あなたの会社の上司も使っていませんか?
「DX化で業務を見える化して、イノベーションを起こそう」うんぬん。

ちなみに、1825年に蒸気機関車が開業した。機関車を作るにはレールの敷設などに大量の労働者を必要とする。労働者の理解がなければ蒸気機関車なんてものを走らせるのは不可能だろう。つまり、1825年には「新技術を打ち壊せ!」という価値観から、「新しい技術を享受しよう」、という方向性に多くの労働者(≒国民)の価値観がシフトしていったのではないかと考える。
(このあたりは歴史の専門家でもないので、適当なこと言っていたらすみません)

私が言いたいことは、新技術が生まれてから、技術を享受する国民が新技術を理解し、「こういう使い方をしていこうね」、という社会の共通認識が醸成されるには時間が掛かる、ということだ。

だが、近年、こういった価値観を変化させるような新しい技術が生まれるペースに、人類側の価値観の醸成が追いついていないと感じる。

AIやクローンも同じ話?

最近なにかと話題の生成AIなども、様々な議論を産んでいるが、まだ答えが出ていない問題が多い。

例えば、AI絵師。
イラストAIの学習元データに、有名絵師の作風を学習させて同様の絵柄を出力して、イラスト本を作るといったことは、法律的には許容範囲とされている。

仮にAIが出力した絵に著作権が生まれてしまうと、出力した人の絵でない場合は、Aさんとの絵柄と、Bさんの絵柄と、Cさんの絵柄をブレンドして出力した絵の著作権はどうなるんだ、とかややこしいことにもなる。
中国では、有名イラストレーターの一斉解雇というニュースもあった。
アメリカでは、脚本家の連合がAIの利用に反対するなどの大規模なストライキをして、映画の公開に影響が出たりもしていた。
Twitterというかイーロンのおもちゃでは、毎日AI警察(イラストがAIであるかを判定して怒る人たち)とAI絵師が争っている。

技術の進歩による負の側面についての、まだ十分な議論や法整備がされていないと思う。新しい技術の「こういう使い方はOK」だけど、「こういう使い方はNG」という明確な線引がし切れていないのが現状なのだ。

だが、技術自体はどんどん進歩し、新技術もどんどん生まれている。

技術の進歩というより、モデルデータの拡張ということかもしれないが、去年まではラーメン食べたり、指が上手く描けないとか言われてたイラストAIもいまやガンダムが5本の指でラーメン食べている。
すべてがなくなる訳では無いだろうが、少なくともAIが取って代わる仕事はものすごい勢いで増えていくだろう。

2022年の様子

2023年の様子

冒頭で出したクローンの話も同じだ。
どこまでの使い方ならOKでどこからがNGなのか。そういった線引は時間を掛けて徐々に生成されていくものなのだ。

技術の進歩が早すぎる

ただ、こういった価値観の醸成が必要にな新技術が生まれるペースが、価値観を形成されるペースを上回っていると感じる。

これから人類は、新たな技術に対して、どう使うべきかの議論が出来ていない中で、また新しい技術が出来て・・・ということが続き、常にカオスな状態が続くのではないだろうか。

そして、新技術を倫理的グレーな使い方をする人間が現れ、それはグレーではなくて黒だよね、という社会的価値観が生まれて、それをもとに取り締まる。すると、また新しい、倫理的にグレーなな使い方が見つかる。これの繰り返しになるのではないだろうか。

「AIによる人類への報復」を空想する人間は多いが、これはまだ予測が出来ている範囲なので対策を考えている人間は多いだろう。
だが、「まだ人類が予測出来ていないAIの使い方により、人類の危険を脅かす大きな危機」が発生する可能性はあるだろう。

嘘かホントか分からないが、「最先端の生物技術の使い方を誤った結果、地球全土で1億人以上の感染者を産み出すウイルスがまん延し、人類の危険が脅かされた」ばかりではないか。

技術の進歩がこのペースで進めば、技術の使い道を誤るリスクは増える一方だろう。

新技術が人類を不幸にしないようにするには

ノーベルがダイナマイトを発明し、土木工事に革命的な進歩をもたらした一方で、戦争に利用され戦争被害を拡大させた。

もちろんAIやクローンは、有用な技術ではあるが、”ダイナマイト”になる可能性も秘めている技術ではあると思う。

僕らに出来ることは、新技術のメリットを享受することだけでなく、新技術によるリスクについても少しだけ思いを巡らせ、間違った使われ方が世に出る前に「こういう使い方はダメだよね」という議論を多くの人と交わして、技術の進歩のスピードに負けない程度に、人類の共通認識の醸成を進めることではないか、ということを考えていた。

以上。



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