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【中学受験 環境】受験を優先できない家庭

SAPIX時代はそれほど関わらなかったためあまり意識していませんでしたが、家庭教師を始めるといくつかのご家庭に見える特徴が気になりました。受験が上手くいかない状況に大きく関わるように感じたためお伝え致します。


6/23 修正加筆致しました。



中学受験を最優先にできない家庭

私は中学受験の結果で人生は何も決まらないとは考えています。いますが、それでも中学受験をするのであれば何事において最優先で行わなければならないとも同時に思っています。

しかし、近年この意識に欠けたご家庭を見る機会が増えています。思い返してみるとSAPIX時代も同僚と愚痴り合う際に底辺層の子どもの家庭において同じような内容の話しがありました。

誤解なさらないで欲しいことは、何事にも中学受験を最優先にするのは受験学年の6年生であること、ということです。
いくら私でも、5年生以下から全てを中学受験に捧げろ、などと言う気はありません。旅行などに行くことなどをして欲しいと現在もご家庭にはお伝えしています。
むしろ、5年生までで1週間の毎日を勉強に注ぐことは止めたほうが良いと考えています。そんなスケジュールは最後まで保ちません、それにそうしなければ終わらないのならば子どもの意識とやり方が間違っているからになります。好きでやっている子は別ですが。

そうではなく、6年生の子どもであっても中学受験を最優先にできない家庭が増えているのです。

何を優先しているのか

中学受験を最優先できない家庭、こういった家庭が何を優先しているのかというと色々ありますがよく耳にすることは『家庭事情』です。
これは時間的・手間的な意味合いでの事情についてになります。

よくあることは兄妹です、特に下の子、弟妹についての話しが多いですね。
下の子がまだ幼い年齢で受験をする子の邪魔になってしまう、などのことではなくそもそもの考えとして受験を優先するという考えではないため、受験のために弟妹を我慢させるなどの発想がそもそも無いわけです。
そのため、たまに聞く話では『旅行に行くから休む』などの驚きの連絡を受けたりするわけです。

そこまで酷くなかったとしても、塾などの中学受験のスケジュールを優先せず家庭の事情を優先することは全て上記の意味合いに含まれると思っています。
今年も、週末は家庭団らんを優先するので、という話しを受けてしまった次第です。

多様性・価値観の違い

これは『多様性』や『価値観』が家庭ごとで異なっている、というような話しでは全くありません。

単純に前提となる家庭の意識・考えが間違っていると言えます。
ハッキリ言ってしまえば、子どもの中学受験を優先できないのであればそもそも受験をしなければ良いと思っています。
理由が恣意的・やむを得ない事情のどちらであったしてもそういう状況になっているのであれば、冷たい言い方になりますが中学受験に臨むべきではないと私は考えています。

カジュアル受験

一時期メディアに流行った『ゆる受験』、最近は耳にしなくなった言葉ですがこれも根底的には上記の受験を優先できない家庭と同じことなのだと思います。広く言えば公立中高一貫受験を行う家庭の大多数も似たような気がします、いまだにもしかしたら受かるかもと準備もせず受験されている層はいるとのことですから。
そういった本気で受験に臨む気が無い家庭・受験を最優先にできない家庭の受験を私は『カジュアル受験』という名付けが一番適切なのだろうと思っています。

私は自らの価値観においてこのカジュアル受験は嫌いです。カジュアル受験を行うことでの子どもへのメリットはほぼ無いと考えています。
また、このカジュアル受験を考えてしまう家庭はほぼ受験は上手く行きません、そんな甘い世界ではありませんので当然と言えば当然です。
そういった理由からカジュアル受験を行う意味は無いと考えていますが、これではお前の感情論だろと言われて終わりのためもう少し具体的に意味が無い理由を説明致します。

カジュアル受験をすべきではない理由

①わざわざ受験を行っている

中学受験は必須ではなくあくまで進路の一つの選択肢にすぎません。中学校は義務教育のため子どもは何もしなくても進学できる権利を持っていますので。

つまり中学受験の状況というのは、わざわざ受験をしている、と言えるものです。

わざわざ選んで行っているものに集中することができない、これは非常に奇妙な状況に思えないでしょうか。

②『いつか・勝手に・自然に』などの妄想の産物

冒頭お伝えした通り、中学受験で人生は決まりません。何故なら開成に進学しようが、SAPIX偏差30台の学校に進学しようが結局は入学後に何をしていたかが圧倒的に子どもの人生に関わるからです。

しかし、そう言えるのは前提として中学受験において必死に努力し改善を行う困難を味わったという経験があるということです。

そういった経験がなくどうやって中学・高校時代に急に変貌すると思えるのでしょう。
私はそう思うのですが、カジュアル受験を行おうとする保護者の考えにはそのような願望があるように思えます。

つまり、子どもがいつか、子どもが勝手に向上し、子どもが自然に状況を良くしていってくれると保護者が考えているように私には見えるわけです。
だからカジュアル受験を行おうとする、そうとしか合理的・論理的に行う理由が見当たらないのです。

これはあまりに都合の良い想定ではないでしょうか、もはや妄想と言っても良いと思います。

③アマチュアとプロ

本気で中学受験に臨むことはプロを目指すことであれば、カジュアル受験はアマチュアとして行うということでしょう。つまり趣味で行っているということです。

これはスポーツで考えることが分かりやすいです。
サッカーでも野球でもプロを目指して練習をしたとします。
メジャースポーツですらプロになり得る人材はピラミッドのトップの人たちになる世界です、大半の子どもがどこかで諦めるでしょう。しかしその中で成功も失敗も克服も挫折も経験出来ます、場合によっては選手としてでなくてもその界隈の中で自分の人生を構築できるかもしれません。監督やコーチの大半は現役でプロ選手ではなかったと聞きますので。本気で行うからこそどこかでそれが活きてくる、そういうことはどの世界にも言えることです。

では趣味として野球やサッカーを行うことでなにかその人の人生を支えるものを得ることが出来るのでしょうか。もちろん気晴らしや健康を考えてというようなメリットがあることは否定しませんが、あくまでそれはサブなはずです。気晴らしや健康を考えるということはその人の人生にメインとなるものがきちんとあるからです。自分の生活も不安定な状態で趣味に勤しんでいるのであれば、それは何も考えていない無計画な人生だということでしょう。

本気で受験に臨むこととカジュアル受験を望むことは上記と大差がない内容のはずです。これを子どもの進路の選択肢として同列上に考えること自体がおかしいと思います。

まとめ

上記の諸々をまとめて考えると、保護者がカジュアル受験を望む理由は私には『面倒』だからに見えるのです。
中学受験を子どもにして欲しいとは望むが、それに対して親として強く関わることをすることは『面倒』に感じてしまうのでしょう。さらに本気で中学受験を行えば行うほど『面倒』は増えていくのだと思います。その『面倒』なことをしなくて済むように本気で行わないカジュアル受験を望んでしまうわけです。
そんな理由であれば、受験が上手くいくこともなく、仮にどこかのテキトーな学校に入学したとしてもその後に続くこともないわけです。

中学受験を考えるのであれば本気で臨もう

しつこいですが、私は中学受験が人生を決めるとは思っていません。
けれども、大きく影響を与えることが出来るとは思います。しかしそのことを大体の保護者が『合格』だと考えていますが、私はそうではなく『成長』をすることだと考えています。成長の先に『合格』も得られるとベストだと思っています。

中学受験という小学生には非常に厳しいハードルを越えるために『成長』をする、その経験が最も重要な意義だと子どもを通して見えてきます。
他の受験との違いとして、思春期の前後のタイミングで経験できることも大事だと思います。まだ親の干渉が影響を及ぼすことの出来るタイミングで、自分の甘い考えでは全く太刀打ちできない難しさや理不尽なほどに困難な状況を乗り越えるために自分を変えるチャレンジができることを、私は価値があると思っています。

だからこそ、中学受験を行うのであれば本気で臨むべきです。『合格』自体に価値があるかどうかはその後の子ども次第です。そうであれば、受験に伴う困難に向き合うことで子どもの『成長』をもたらすことを行わなければ受験をする価値はどこにあるのでしょうか。

上記で中学受験はまだ親の干渉が影響を及ぼすことができると言いました、ということは場合によっては悪い影響を及ぼすことにもなるわけです。
私はカジュアル受験を望むことはこれに近いことだと考えています。

わざわざ行わなくてもよい中学受験、そこに本気で行わず例えばゆる受験のように『子どもに負担の少ない』形で参加することは楽にインスタントにメリットだけ手にしたい考えの表れに見えます。
これは最近よく見る『誰でも簡単に月◯十万稼げる』『週末5分するだけで◯万の副収入』などのどう考えても怪しい内容に参加する人の思考と同じように感じます。こういった考えの保護者が子どもに及ぼす影響が良いものになるのかは自明の理だと言えます。
だからこそ、カジュアル受験を望むことが本質的に中学受験と矛盾しているため状況を悪化することに繋がるわけです。


上記の投資話で興味深いなと思えた内容があります。

仮想通貨・コロナ禍やFIREブームを通して投資熱が高まりましたが、その中で投資詐欺や何なら上記のどう考えても怪しい投資話に引っ掛かる人が増えているらしいです。分母が増えたら騙される人も増えることは当たり前に思えますが、面白いのは投資に対して勉強をした人の中で騙される人の割合が昔より増えているということです。
どうやら、勉強はしたもののかじった程度のレベルで自分はもう投資に深い知識を持っていると思ってしまう人や勉強をしていくとぶつかる複雑な投資の勉強は嫌だが儲けたいと思う甘い考えの人が一定数いてこの人たちが騙されてしまうようです。

これは中学受験でも同じ状況に思えました。昭和の頃から言えば格段に中学受験は一般に浸透しました(首都圏などの一部の地域のみなことは置いておいて)、これは投資の状況と同じと言えます。SAPIXでも以前にお伝えした通り生徒数は格段に増えています。非常に裾野は広がっています。
その中で中学受験を子どもに臨ませようとするということは保護者もそれなりに勉強(中学受験に対しての情報などの意味合いで)をしたはずです。しかし、それが中途半端や甘い考えなどで終わってしまうと上記のカジュアル受験という結論に行き着くのかもしれません。
投資詐欺は犯罪のため世の中で許されることはありません、しかしカジュアル受験を行うことは遠い将来の子どもの状況に影響を及ぼすことのため結果が分かりにくく批難しにくいのだと思います。だからこそ、受験業界にも安易な方向性に進ませようとする環境が現実にあることは否めません。それは投資詐欺とまでは言いませんが、私は非常に悪質であると思っています。
詐欺案件の常套句は『聞き心地の良いキャッチーな文言とそれを言うとても印象の良さそうな人間・ハードルの低さ・キレイなチラシやオフィス』だそうです、受験業界でも同じではないでしょうか。

受験も投資の一種と言えるため、投資の世界と受験の世界に相通じるものを感じて興味深く感じました。
直接金銭が絡む投資のほうがとてもえげつない世界ではありますが、受験の世界も同じくカモにされないよう勉強をしてリテラシーを高めなければならないはずです。


最後に大事なこと

上記のように中学受験を行うのであれば本気で臨むことが必要なことだとお話ししておりました。そして、カジュアル受験は行う意味が無いとお伝えしておりました。

しかし全くの反対の内容になりますが、同時にカジュアル受験をなさっても良いのではないでしょうかと私は考えています。
何故、真反対の話しをするのかというと結局は家庭の価値観次第だからです。
私はカジュアル受験に意味は無いと考えています。けれどもそれはあくまで私の価値観なわけで、そう思えないのならばご自分の子どもである以上ご家族の責任において行われれば良いからです。
冷たい言い方であることは自覚しておりますが、私は生徒の親ではないため子どもの人生の責任は取れません。そのため少ない確率に対して可能性を見出す選択をなさることを止める権利は持ち合わせていないのです。

最も避けるべきこと

ただし大事なことは、その場合環境は選ぶべきだということです。
カジュアル受験を選ぶのであればSAPIXなどに入塾することはせず、例えば栄光ゼミナールなどに通って受験されることが望ましいです。他には単純にキラキラした感じの内容を謳っている塾が良いと思います、まぁ費用はその分安くないとダメだと思いますが。
結果的にその方が家庭・塾の双方にとって良い結果になるはずです。

つまり最も避けるべきことは塾と家庭のミスマッチだということです。
真剣に中学受験に臨む環境の中でカジュアル受験を望む家庭がいることがミスマッチになるわけです。
これはその家庭に対してミスマッチになるというデメリット以外にも現在の中学受験の状況の悪化の一因になるほど環境を汚染していきます。今後の中学受験の環境のためにも、カジュアル受験を望むのであれば塾はお選び下さい。

究極的には世の中は全て自己責任になります。その意味において、何を選択されるのかは全て自由なわけです。だからこそ、未来において誰かに文句を言いたくなるような状況にならないことを保護者は考えるほうが良いと思っています。

算数の家庭教師を行っております。無料相談も行っておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。

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