見出し画像

【中学受験 考え方】方法論の限界

SAPIX時代も家庭教師を行う形になっても常に保護者から聞かれることがあります。その一つに『良い方法を教えて欲しい』ということです。
聞かれてくる気持ちは非常に良く分かりますが、こういった方法論は中学受験においてはほとんど意味をなさないことになってしまいます。
その理由と本当に必要なものは何なのかを説明致します。


6/1に蛇足を追加致しました。



方法論よりも大事なこと

方法論よりも大事なことは何かというと『本人の気持ち』です。また、精神論かと思われると予想していますが結局のところ大きく結果に影響をすることはこの部分なことは昔から変わらないのです。

テクニックよりもマインドなのです。

方法論に限界がある理由

例えば、忘れ物が多い人がいたとします。その人に、前日に明日の準備をして玄関に置いておく、という改善方法を伝えて実行したとします。
それで全員忘れ物が無くなるかというとそんなことはなく、忘れ物をしなくなる人もいれば相変わらず忘れ物を続ける人もいます。ひどい人は前日に準備をしたものを次の日に玄関にそのまま置いていきます。
これを忘れ物から寝坊・遅刻・怠けなどの内容に置き換えても同じです。

結局はこのような内容に対して解決する人は『これは直さなければならない』と考えている人だと私は思っています。

中学受験においても同じことで、例えばケアレスミスを直そうとして文章の条件に下線や◯を付けたりと強調しても直らない子は直りません。
それは本人の中では『ケアレスミスは実はそんなに大したことではない、ちょっとしたこと』だと思っているので重大事だと認識していないのです。だから本気で直そうと思っていないが、言われたから行っているというただの作業に成り果てるわけです。これでは何も改善はしません。

結局、方法論で改善するように見える理由は『直そうと考えている人』が方法論で直っているからであり、方法論が直接の理由ではないわけです。
だからこそ、まず先に意識が重要になるのです。

誤解なさらないで欲しいことは、『方法論』を使わないということではないということです。あくまで『本人の意識』を前提としなければ意味がないため、それをまず構築した上で『方法論』を盛り込むという順で組み立てるということが大事なわけです。

それでも方法論を求める理由

これは保護者と講師では理由が異なると思います。

保護者側の理由

理由の一つは『保護者の現状は対社会人』だからも大きな要素だと私は考えています。
ほとんどの保護者は社会の中で社会に出た大人と接していると思います。そうなると対人の基本的な考えは社会人に向けてになるため、その意識の元で方法論を子供に望んでしまうということは少なからずあるように見えます。

では何故社会人にむけてになると方法論での接し方になるかというと、会社内ではその人がやる気があるかどうかは関係なく給料分働いてもらわなければならないからだと思います。そのためのやり方は方法論が基本になります。そしてもちろんハラスメントを恐れてという理由も非常に大きな理由だと思います。そのままを中学受験に対しても当てはめて見てしまうのだと思います。

しかし、大人と子供はハッキリと違います。
中学受験では最大でも12歳の年齢の子になります。しかもこの12年の時間の半分以上は自分で立てる・食事が出来る・喋ることができる云々という人間になるための時間なのです。実際に本人の能力をトレーニングした時間はそこまでの人生の半分ほどの時間になります。
それに対して一般的に社会に出ると考えられる新卒は23歳になったらです。一応学校に通っていた時間だけでも16年になった上での新卒になるわけです。これが中学受験と新卒社会人で大きく扱いを分けるべきだと私が考える理由です。

まだ未成熟な子供に対してはメンタルの部分も含めて教えていかなければ上手くいくことはありません。
大人と子供の特に大きな違いと感じるのは思春期を経ることです。思春期により良くも悪くも自分というものが形成されるように見えるため、メンタル部分への働きかけを拒絶することも増えるように感じました。
こういった理由からも子供と大人では扱いを変えるべきだと思っています。

そのため、私も子供と大人では大きく扱いが異なります。
子供には叱りますが、大人は見切ります。言っても変わらないと思うことが多いため、無駄なことはしようとは思えないからです。
子供は変えようと思えば変わりますし、その結果成長を遂げることも大きく可能です。
しかし大人はもう変わらないと思います、変わるときは心底から本人が変わりたいと思えた時です、周りが何を望もうと本人が思わない限り無理でしょう。それは私自身を考えてもそう思います。

講師側の理由

こちらは再三お伝えしている通り、第一はハラスメント意識・権利意識からのクレームを恐れてということです。つまり、自分の立場を悪くすることを行いたくないからということです。
先程の社会での周囲の人への大人の接し方そのものだと言えます。結局どこでも変わらないわけですね。

そしてその他の考えられる理由もお伝えはしている、意識を変えようとすることは非常に難しいことだ、ということです。
目的意識・自意識・自主性、こういった気持ちを子供が中学受験に持つことが出来るかどうかは私にも分かりません。
こればかりは本人の人間性や今まで育ってきた環境まで関わるので、今の私には確実にどうなるかは言えません。
そのため、一般的な講師からすると子供の意識なんて変わるわけがない、そんなことに手を付けようとするだけ自分が損になる、それなら方法論でお茶を濁している方がとりあえず限界まで通塾になるだろう、という思考になって当然なわけです。

単純に言ってしまえば、講師側からすれば方法論を言っている方が楽なんですよね。
この方向性に非常に相性の良い子供が『やる気の無い子供』です。これが最近の学習業界で増え続けているコンビです。もちろんSAPIXも例外とは言えません。これをどこまで続けていても改善を出来たことはほぼありえません。


これとは真逆のいわゆる『褒める』系の講師も反対の方向ですが結果は同じことになるだけで無意味になります。
以前にもお伝えしましたが世の中の潮流に乗った順張りの方針からそう行う人もいれば、頭の中がお花畑で行う人もいます。時代の流れのため、褒めることが子供に良い結果をもたらすと盲信している家庭も多いですが、現実はほとんどの場合憤死なさってしまいます。
私が思う褒めて上手くいくケースは幼稚園児前後の年齢、いっても小学生低学年ぐらいまでの幼児に向けての対応とトップレベルに出来る子に向けてのみだと思います。それ以外では最底辺から抜け出すのが関の山の結果になることが現実であります。
残念ながら、SAPIX時代で褒めて欲しいという家庭は99%底辺層のコースからでした。こういった現実を保護者が噛み締めて、中学受験に臨まれる方が子供にとって有意義な受験になると私は考えています。

脱線しますが、こういった現実を知りながらも上記の褒めるという方向性を選ぶ講師は一体何を目的として指導しているのかは疑問に感じます。


少しでも改善を促すことの出来る方法

上記の内容から、中学受験に方法論で臨もうとされてもほとんどにおいて結果は伴うことは無いでしょう。
必要なことは子供の意識です、とは言え現在の日本の環境では私もこういった部分を確実に改善できるかは分からないとお伝えしております。それでも必要なことである以上諦めることは中学受験の目的からズレていると言えるため、働きかけをすることは重要だと考えています。

と、ここで終わってしまうとあまりに冷たい内容で終わってしまうため、今まで子供を見てきた中で少しでも良い影響を与えられているように感じられることを伝えて終わらせて頂きます。

①ルールを守らせる

子供に対して目的意識とまで言えなくても、やるべきことをやるなどの意識を持たせるために効果がありそうなことは『ルールを守らせる』ことです。

別に全てにおいて厳しく律することや怒鳴りつけるなどのことを行うことが子供の意識付けになるかどうかというと怪しく思えます。それは親子の関係性ではお互いに感情が大きく絡むことや子供からすると親の機嫌によって変わることや自分ではやっていないくせになどの不満から意味が薄いかもしれません。

それよりはルールを最初から設定をして、それを行わないことに対しては一線を引き決して許さない態度を取ることの方が良いと思います。
ルールも別に学習面でなくても良いと思います。例えば、『帰ったら必ず靴をそろえる』などでも良いと思います。
重要なことは、必ず守らせることと親側の事情や機嫌で変えることをしないということです。

②『褒める』『認める』ことを行う

上記に少し書いたことですが、私は時期を考えると『褒める』ことは大事だと思っています。改めて説明を致しますと、赤ちゃんの頃から小学校いっても3年生ぐらいまでの幼児と言える時期までは子供のことをたくさん『褒めて』『認めて』あげることが大事だと考えています。結果ではなく過程を褒めて認めてあげることが子供にとって大事な時期は現実にあると考えています。

しかし現在よく見る成立していない例を具体例で言うと、最近非常に目にする子供が喋っている中親はスマホとにらめっこしていることなどです。このように親から接されている子供が親に褒められたとしても効果など無いのです。そしてこういう親ほど『私は子供をちゃんと見ている』などのような話しをします。
この具体例が次になります。

③子供をちゃんと見る

スゴいなと思った経験があります、子供がスイミングスクールに通っている時にプールの見学部屋での出来事です。たぶん上の子が泳いでいるのであろう幼い下の子2人が部屋中騒いで駆け回っていました、その時その子達の母親はスマホに釘付けのまま『騒いじゃダメよ〜』『静かにしていなさいよ〜』とやる気のない声変えをして、その後放置でした。もちろん子供は全く聞いていません。
この人はこれで『私はちゃんと注意した』『私は子供をちゃんと見ている』と本気で思っているのでしょう。
もちろんこの母親は多少極端な例なのだと思います、しかしここまで酷くはなくても最近は子供に対して興味関心の薄い保護者は確実に増えていることは間違いないと思います。
これはスマートフォンが非常に大きく影響しているように見えます、子供だけでなく大人にとってもスマホは大きなデメリットが感じられますが利便性から手放すことも出来ないため非常に難しい問題なのだと思います。

『スマホを使うな』という方法は流石に現実的では無いため、対処できる方法としては意識して向きあうしか無いように思えます。気を抜くとスマホに関心を取られてしまう、それを意識的に気を付けて子供に向ける、これしか無いのでしょう。
そしてもう一つ、『スマホ』を『忙し過ぎる仕事』に変えても同じようなことになる気がします。
家庭教師を行うようになり、ベビーシッターを雇われるレベルの家庭を見る中でも子供が素直に頑張るかワガママに生きているかの大きな違いが忙しい仕事の中で子供に関心を向けているかどうかが強く違いに感じた次第です。

子供は幼く未熟でありますが、親の様子は非常に敏感に察します。生まれてからずっと一緒にいるため繊細に感じるようです。そのため、親が大人として子供を侮り別に分からないだろうとテキトーな誤魔化した対応を取る(意識的・無意識的は関係なく)ことはあっさり看破されてしまうものです。心から子供に関心を向けた対応を取ることが子供をちゃんと見るということと私が考えていることです。

ただしこれが上手く機能するためには、あくまで上記の『ルールを守らせる』こととセットでなければ難しいです。つまり『褒める』ことと同価値で『叱る』ことも行うことが前提条件です。

上記全て本来は赤ちゃんの頃からの話なため、中学受験の時期に対しての話ではありませんがやらないよりはマシなのではないでしょうか。

まとめ

上記の方法などを伝えると『偉そうに言うな』『日々忙しい中でそんなことやってられない』『自分はちゃんとやっている』のような感想を持たれる保護者も多いのではないでしょうか。

しかし、まったく同じことが子供の中学受験にも言えてしまうのです。
子供はまったく同じ感想を受験勉強中に親や我々講師に感じているのです。
こうなってしまう一つの理由は上記での家庭での習慣と学校などの周囲の環境の中で何かにトライして困難を克服する、もしくはもっと直接的に言えば自分の思うことが通用しない理不尽さを経験する機会が今は子供時代に非常に少なくなってしまったことだと感じています。
とは言え、社会に出れば個人の考えは結果に繋がらなければ受け入れられることは無いのですけども。

その中で唯一私が可能だと思う自分を大きく変えられるやり方は『現実と向き合うこと』だとずっと子供に伝えています。
そしてこれもまた現代の子供に非常に困難なことと言えます、もちろん昔の子供にとっても困難な内容とは言えますがさらに現在の子供には出来なくなっている事例が増えていると感じます。
理由としては主観的な見方しか出来ず、客観的に自分が原因かどうかを判断出来ない子供が増えたからだと思っています。

さらに上記の全てを行ったとしても想像している通り育つかどうかは分かりません、それは子供の半分は生来生まれ持ったもので出来ているからです。
それでも自分の子が社会に出た際に少しでも幸せに近付く可能性を高めたいのであれば、私は親として行う価値はあることだと考えています。
様々な言い訳を言うことは可能です、それらを言うことが子供にも同じことを言わせてしまうことに繋がります。それが未来にどのような影響を及ぼすのかを考えて保護者は行動をするべきではないでしょうか。

算数の家庭教師を行っております。無料相談も行っておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。

蛇足

ついでに私が考える今後の日本社会についてもお伝え致します。
専門家でもない素人の勝手な考えになりますが、何故これほどまでに私が子供が成長することが必要だと考えているのかの理由ではあるためお伝えさせて頂きます。必要が無い・興味が無い方は読まれないことをオススメ致します。







私は今後の日本は経済的には貧しくなっていく一方だと考えています。
あまりそう思われていない保護者は多そうですが、それは自身の生活があまり貧しく感じなかったからだと思います。
しかし世界基準で比較すると現在の日本人家庭の大半は低い世帯収入になります、それでも貧しく感じなかった理由としては
①失われた30年でのデフレ経済による低コスト生活
②インターネットなどによる低コストでの時間潰しの供給
によるものが大きかったのではないでしょうか。

しかし、①のデフレ時代はコロナやウクライナ侵攻を経て終わりを迎えました。これで賃金も共に上昇することが伴えば景気上昇で問題は無いのですが、現状はスタグフレーションに近い状況と言えるのではないでしょうか。物価上昇に追いついた賃金上昇は基本的に大手企業と呼ばれるレベルの会社でなければ行われているようには見えません。それどころか日本企業の大半を占める中小企業ではもっと厳しいことを行っているとも耳にします、それは人を見て決めている、ということでした。つまり辞められてしまうと企業として困る人材には賃金アップを提示し居てもらい、居なくなっても構わない・換えの効く人材には現状維持を提示するということです。人材不足と叫ばれる中、誰でも良いわけではなく個人の能力を見て区別されてしまうわけです。

それだけではなく、コロナ以降のアメリカ企業のトレンドとしてリモート可能業務について新興国に振るという流れがあると聞きます。リモートで可能な業務をわざわざ賃金の高いアメリカ人を雇うのではなく、もっと安いコストで済む新興国の人材を雇用すれば良いのだと経営者は気が付いたようです。
グローバル化により工場が新興国に移り先進国のブルーワーカーが職を失い、リモートとという仕組みにより今度はホワイトワーカーが職を減らしつつある状況だということです。
これはアメリカのことでは終わらず、何年か経てば日本にも広まっていくのかと考えています。
ここで大事なことはこれは昨今流行りのAIやロボットの影響ではなく、リモートという仕組みによりますがあくまで新興国の人材によって仕事のパイが奪われてしまうということです、しかもそれがホワイトワーカーであるということが恐ろしいわけです。
さらに、そうなるとこれに加えAIやロボットの影響が来るという怖さがあると言えます。

また、今までの日本のデフレ下での物質的豊かさは昭和の様々な経済的恩恵を食い潰していたからだと思えます。奇跡の復興と呼ばれた高度経済成長期、それに伴うベビーブーム、外貨を稼ぎ内需もどんどん拡大していく、それが最終的にはバブルになっていくわけですがその残り香が平成の日本だったように感じています。しかしそれも終焉を迎えようとしていることが令和の日本ではないでしょうか。

今後の日本において楽観的判断・希望的観測を持って見れるのであれば、それはあまりに考えが甘いのだと思います。
上記のような過酷な状況は今後ますます強くなりはすれ、弱まることは考えにくいです。そこで一番重要なことは今の子供たちが大人になる時期のほうがより過酷な状況になるだろうということです。
そういった未来に向けて子供もしくは学生時代に一番肝心なことは、例えば一流大学に進学し一部上場企業に就職するなどの昭和的な方向性の固定ではなく、状況により今後の展望などを判断できまたその展望において必要なスキルを習得が出来るようになっている経験や能力であると言えます。
私はその経験や能力を得る一つとして中学受験は大きく価値があることだと考えています。

そして上記のような能力を得ることに非常に大きな障害として立ちはだかる内容が②のインターネットで無限に供給される低コストな時間潰しです。
正確にはインターネットとスマホのコンボであると言えますが、これはある意味デジタルドラッグと呼べる程の依存性の高いものであるでしょう。
私も人のことを言えるほどではありませんが、電車に乗っていて見かけるX(旧Twitter)やInstagramを永遠に何十分もスクロールし続ける人よりはマシに思っています。

本当にSNSと動画コンテンツは無限に時間を奪っていくことになりますが、非常に恐ろしいことはこれを早い段階から染まってしまった子供は抜け出せなくなるのではないかということです。
こうなってしまう最大の原因はインターネットコンテンツは非常に刺激が強い快楽性の高いものであることと湯水の如く我々に垂れ流してくるということでしょう。

快楽というものは元々そこまで研究をして作成しているため、供給者からすれば狙い通りなのだと言えます。人体生理学まで加味して、ドーパミンなどの生成を狙った効果など考えられていると開発責任者が後に後悔して暴露したと言われています。確かにここまで考えられたものに染まってしまったとしたら勉強などの刺激の弱い内容では快楽を感じることは難しいでしょう。ある意味、デジタルコンテンツへの奴隷になったようなものです。しかも当の本人はその自覚もないわけですから、これは恐ろしいものであると思います、これほどまでならば開発者の大元であるAppleやAlphabet(Google)の経営者たちが自分たちの子供にはスマホなどは使わせないと言ってしまうわけです。

次に垂れ流してくるということは、子供たちは受動的でいられるということです。無限に湧き出る泉のごとく生まれたコンテンツが次から次に子供たちに与えられる、しかもベッドで横になっていたとしても。そうなればわざわざ、自分で興味のある事柄を探していくなどの面倒なことを行う気はドンドン奪われてしまうでしょう。上述のドーパミンなどが奴隷の足枷代わりとなり、デジタルコンテンツから逃げる気も起きなくなってしまうのです。大人であっても依存症と呼べるレベルにハマってしまう人もいるほどですから、子供であれば余計に強力に作用するのではないでしょうか。

たとえ親が子供の未来を考えたとして、それを実行しなければならないのは当の本人である子供です。日本の未来に対して更に過酷な状況となりえる可能性が高い、さらに子供たちの周りにはデジタルコンテンツを貪るだけのゾンビ化してコンテンツ供給会社の奴隷となる要素が転がっている、これが私が考える現在の子供を取り巻く環境です。
そういった未来に向けて本当の意味で子供が自分の幸せを掴めるようになるための方法の一つとして、中学受験に真剣に取り組むことだと私は考えています。




いいなと思ったら応援しよう!