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世界から戦争を無くすために、「平和教育」は今の形でいいのだろうか

今更かと思われるかもしれないが、『この世界の片隅に』を観た。

『この世界の片隅に』はこうの(引用者注:原作者である、こうの史代のこと)が反復して描いてきた小市民的な幸福感が戦争という巨大な破壊からその心を守るための砦としていかに機能するか、を描いた彼女の集大成だ。
(『「この世界」を「片隅」から考えるために―戦後アニメーションは世界をいかに分節してきたか』 『PLANETS vol.10』宇野常寛 責任編集)

これは原作に対する言及ではあるが、映画についても言えることだ。どれだけ戦争によって恐ろしいことが起きても、さらに強い力で突き進んでいく日常の描写こそ、この映画の真骨頂である。

実際、この映画はすごかった。何がすごいって、主人公である“すずさん”の圧倒的な実在感・リアリティ(あのしゃべり方の女の子っているわぁ~!と感じさせる、のんの演技に感服した)。

何よりも、ぼくにとってこの映画の素晴らしい点は「泣ける」映画ではないところだ。

見終わった後に、ただただ言葉を失い、呆然とする。そんな打ちのめされるような「感動」が、この作品にはある。

“オタキング”岡田斗司夫も、「今までのアニメで一番いい」と自身の番組で評したこの映画。観てない方は、ぜひ観てくださいね。

さて、筆者は平成生まれである。そんなぼくらにとって、戦争は教科書の文章に書いてあるもの。もしくは、テレビや映画館のスクリーン、あるいはスマホの画面の中のものである。

事実、ぼくらは戦争の「恐ろしさ」を、映画などの「虚構」によって知る(『ほたるの墓』や『はだしのゲン』を、道徳の授業で観た人も多いのではないだろうか?)。逆に言えば、ぼくらが戦争を直接体験した世代ではないにも関わらず、その恐ろしさを知っているのは、ぼくらが受けてきた「平和教育」の成果でもある。

これは非常に重要なことだ。それについて異論はない。しかし、現代社会において、ぼくたちは、過去の戦争の恐ろしさを「知る」だけでいいのだろうか?

この疑問に答えを出すために、平和教育の現状について、ぼくなりに構造的な問題を指摘したい。

おそらく現在、多くの日本人は学校において、平和教育の文脈で何らかの「虚構」に触れている。

そした、戦争を扱った授業では、それについて意見を言う、もしくは感想文を提出することが求められる場面が出てくるだろう。

その際、「戦争は絶対に繰り返してはいけないと思います」「胸が痛みました」といった内容以外のことを言ったり書いたりしようものなら、人でなし扱いをされる「空気」が、すでに形成されている。

また自分でも、上記以外のことを言ったら「さすがに人としてマズいんじゃないか」と、顕在的にも潜在的にも感じている。普通の感性を持った人であれば、そうだろう。

実際に、かなり古いものにはなるが、『映画で平和を考える』(上田精一 2000年)に収録されている、一九七五年に行われた平和教育の「学習指導案」(1時間の授業の計画書のようなもの)には、「指導上の留意点」として、「生命の尊さを知らせ、その生命、人間愛をもぎとるものが戦争であることを知らせる。」とある。「平和教育」の授業において、答えはひとつに決まっているのである(もし、何か平和教育のユニークな取り組みをしている先生がいたら、ぜひお話を伺ってみたい)。

これらのことは、正しいことであり、大切な感性であると思う。決して否定すべきことではない。この授業を一生懸命つくった先生の気持ちは、称賛されるべきある。

しかし、それにも関わらず、これらの授業が問題なのは、このように「答え」がひとつに決まった状態で行われる「学び」の環境において、学び手は感性を閉ざし、思考停止に陥ってしまうということだ。

これによって、「戦争は繰り返してはならない」という、ひとつの重要な信念が形成されることには非常に高い価値がある。

にもかかわらず、ぼくはあえて問題点をあげる。それは、ぼくたちの感性が、世界で「今」起きている紛争に関して、あまりにも鈍感になってしまうということだ。

過去に、大きすぎる悲しみを生んだ戦争があった。しかし現在も、世界では戦争が起きている。そして、それを調停したり、難民を支援しに海外に行っている日本人も、たくさんいるのである。

実際に、ぼくは南スーダンの内戦を止めるために、反政府軍のアジトに防弾チョッキもつけずに乗り込んでいく女性に取材をしてその話を聞いたこともある。友人に自衛隊員がいて、今アフリカで任務に当たっている。

現在行われている「平和教育」は、「現代の戦争」に対して、想像力の射程が届いているのだろうか?そうとは言えないのが、大方の現状ではないだろうか。

それでは、ぼくらは何を学び、どう行動するべきなのか。

これに対して、ぼくは答えを持っていない。

ただ、提案はある。それは、「戦争」ではなく、「平和」に心を向けよう、ということだ。

シリアやイラクなど、紛争が起きている地域の平和を想像しよう。

さらに、争いが絶えない家庭の平和を、そして、自分の心の中の平和を想像しよう。祈ろう。

なぜなら、「平和はひとりひとりの心の中からはじまる」からだ。ストレスで波立った心は、平和を創造できない。

「戦争への嫌悪」ではなく、「平和という“日常”への愛情」を土台に、具体的な行動を考えよう。

世界中が、幸せになりますように。

ありがとうございます。 Peace Of I

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