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ゲルマン忍者 VS 古代ローマ空手

 これらの絶滅が悲劇的であるゆえんは
我々の世界の一部分が消えうせたということにある。

『ロバート・シルヴァーバーグ』



 技を極めたもの同士が出会うならば
互いの優劣を確かめずにはいられない。

 これは事実談であり……この男たちはかつて実在した。
少なくとも20世紀と呼ばれる頃までは。

 今となってはそれは歳月の前に朽ちた遺跡のごとく……
 我々の前から去って行った野生動物のごとく……

 すでに滅びたかもしれない男たち……
 彼らのことを残しておきたい一念やみがたく、
 「我々の世界」の一部をとどめる という困難に
あえて挑戦することとする……

 私は真剣かつ冷静にこの男たちの軌跡を見つめ……
そして その価値を 意味を 、読者諸氏に問いたい……




 ふたりの男が対峙している。

 一方は黒い仮面に黒い戦闘服。
一見すると軍の特殊部隊のような出で立ち……
 携える得物は細身の湾刀……

 その男はゲルマン忍者。
そして操る刃はゾーリンゲン。
 身長は180cm後半だろうか。
だがもうひとりの男のせいで小柄に見える。

 今一人の男は2メートルはあろうか。
だが身長以上に見るものを圧倒するのはその筋肉の量。
身長も相まってその男の印象は岩そのものだ。

 その男……古代ローマ空手の使い手は
頭にガレア(飾り付きの兜)腕には手甲。
そして上半身は筋肉を誇示するかのように裸であった。

 揺らめくかがり火がふたりを照らす。
彼らは対峙し何のためらいもなく
ただ己の習い覚えた技をくりだす。

 あるいは1600年前のゲルマン民族の侵攻と
西ローマ帝国滅亡の因縁にみちびかれたのかもしれない。
 現代に生きるゲルマン忍者と古代ローマ空手が激突するなど、
そんな運命を感じさせるような出来事だ。

 ゆらりゆらりと近づき致命の一撃を狙い
湾刀を振るうゲルマン忍者。

 岩のような身体からは想像もできない
流れるような足さばきと精緻な受けで刃を
かわし、はらい、わずかな隙を狙って
すべてを砕く一撃を叩き込もうとするローマ空手。

 湾刀の術理を極めたゲルマン忍者といえど……
筋肉への崇拝を信仰のレベルにまで高めた
古代ローマ空手の防御を抜くことは
たやすいことではない。

 わずかな隙をつかれれば必殺の拳足が叩き込まれる。
ゲルマン忍者は攻めきれない。

 ローマ空手も受けや捌きをしくじれば致命の一刀がその身をつらぬく。
真の威力を拳足に乗せきれない……

 21世紀を翌年に控えた2000年9月のある夜更け。
 ここはイスタンブールの旧市街のはずれ…… テオドシウスの城壁跡……



古代ローマ空手とは何か?

 かつて西欧世界を席捲したパクス・ロマーナ。
 いかに発展を誇ろうと そのすべてはローマの亜流。
 すべての道はローマに通ず。
 始まりにして頂点。
 アルファにしてオメガ。
 それが古代ローマ空手。

 その源流は他の西洋格闘技と同じくギリシャのパンクラチオンとされる。
 パンクラチオンは眼突き等も認められる粗暴なものだったが
のちにはボクシングやレスリングを生み出した。
 古代ローマ空手もパンクラチオンを母体としている。

 汎ローマ主義のもと、拡大政策を取っていたローマは
支配した地域からあらゆる文物を取り入れ独自の物へと昇華させていった。古代ローマ空手もそういったもののひとつである。

 パンクラチオンをもとに各地の格闘技を取り入れ
実戦の中で練り上げられた。

 ティトス・フラミニヌスが政務官に就任したころには
すでにローマ中に広まっていたと伝えられる。

 古代ローマ空手が広まった背景には
強くたくましい肉体を美しいものとする
当時のローマの価値観があったと思われる。

 当時のローマ人の筋肉に対するこだわりは
一種の信仰の域にまで達していたと
歴史家ティトゥス・リウィウスは
著作『ローマ建国史』に記している。



ゲルマン忍者とは何か?

 闇よりも なお暗く紫電よりも なお速く。
 電撃戦こそ最高、最善、最適解。
 我ら以外が最強を名乗ることは
 この身に宿したゲルマン忍法が許さない。

 ゲルマン忍者の来歴はハッキリしない。

 間諜の歴史は古く世界各地で遡ることができる。
 日本でも聖徳太子が、大伴細人(おおともの ほそひと)を
「志能備(しのび)」として用いたという伝説がある。

当然ゲルマン忍者も古くから存在していた。

 わかっていることは極わずか。
 ゲルマン民族のために市井に紛れ主に諜報、破壊工作、時に殺人などの
汚れ仕事をこなしていたことだけだ。

 現在、間諜の技術ではなく武術として伝わっているゲルマン忍法には
明らかに日本の忍術の影響が見られる。

しかしいつ頃、誰によって日本の忍術が取り入れられたのかは不明。

 チンギス・ハーンとなった源義経配下から伝わった説、
天正遣欧使節の随員から伝わった説などは
今でも娯楽作品で人気の題材である。

 その特徴は個体の能力を極限まで高めた少数精鋭主義。
四方を敵に囲まれ資源の輸入に制限のあったドイツでは人も機械も
高性能な精鋭で物量と対抗する方針を取る以外方法が無かった。

 ゲルマン忍法は人を捨て戦闘機械になることを
めざした武術であると言えよう。                                 



トルコにて



「なぁ、ゲルマン忍者と古代ローマ空手。
戦えばどちらが勝つと思う? 」

 2000年9月。私(なかなか)はイスタンブールの地にいた。
聞いてきたのは現地のコーディネーター ハムザ。
 ヤールギュレシ(トルコの国技。オイルレスリングともいわれる)の
試合を見たあと 熱狂の余韻の残る帰路でのことだった……

 コーディネーターはただの道案内やガイドではない。
様々な手段でクライアントを満足させようとする。
こういう話題の振り方もプロのおもてなしのひとつ ということだろう。

 ゲルマン忍者と古代ローマ空手の対決。
たしかに想像するだけで心躍る対決だ。

 最速最短で勝利をつかもうとするゲルマン忍者。
 己の肉体への信仰を疑うことなく
圧倒的なパワーで敵を打つ古代ローマ空手。

 どちらも勝利に貪欲。
されど方法論は全く異なる。
 読者諸氏がそうであるように私も何度となく頭の中で
両者の戦いを想像したことがある。

「そうだな。想像はできる」

 一般に勝利を収めるには、
 はやくて うまくて つよければ良いとされている。
 つまりスピード、テクニック、パワーの3要素だ。
3つのうち2つ以上の面で相手より勝っていれば勝利しやすい。

 「まずスピード。これはゲルマン忍者に軍配が上がる」
 「ローマ空手は鈍重ということだな」
 「ローマ空手が遅いのではない……ゲルマン忍法が速いのだ」

 ゲルマン忍法でもっとも重視されるのはスピードである。
 元々間諜の業であったゲルマン忍法は、
「仕事」の達成において求められるのが最速、最高効率だった。

 先の先を取ることを目指す武術。
それがゲルマン忍法。
 ローマ空手は後の先を狙う武術。
 先手を取ることを選ぶ武術の方がスピードに勝るのは当然。

 とはいえパワーが売りのローマ空手だが決して遅くはない。
 体の大きいものは鈍重なイメージがあるがそれは間違いだ。
 例えばアメフトの選手は100キロ以上の体重で
100mを10秒台で走る選手はいくらでもいる。
 

「そしてテクニック。
こちらも扱う技術の豊富さからゲルマン忍法が有利か」
「ゲルマン忍法の方がテクニカル、という訳だな」

 様々な任務を受け、敵地に単独で潜入し、
状況に応じて多彩な武器や技術を扱うゲルマン忍者の方が
闘争ということなら選択肢は広く、
主導権を握りやすいはず。

 しかし選択肢が広く多くの技術を扱えることにもデメリットはある。
 選択肢が多すぎれば迷いを生じるもとになるのだ。

 また多彩な技術があるということは習得まで時間がかかり
それぞれの技の練度を上げることが困難となる。

 その点ローマ空手は扱う技術が少ない分迷うことなく戦える。
一つ一つの技の練度も高めやすい。

 もし両者の練度が同程度なら切れるカードは多い方が有利だ。
 あくまでも同程度なら、という前提だが。


 「最後にパワー。これは圧倒的にローマ空手が勝る」
 「それは見ればわかるな」

 生まれてより1,000年以上。
ただひたすらに積み上げた筋肉への信仰は
生半可な攻撃など通用しないほどの肉の壁を作り上げた。
 そしてひとたび攻撃に回れば
その筋肉の生み出すパワーは一撃で敵を粉砕する。

 仮に勝利の要素3つの内で1つの要素しか相手を上回っていなくとも
そのたった1つが圧倒的ならば。

 武の世界では万能の天才よりも一芸を極めたものの方が
恐ろしいということがままある。
 いつ いかなる時でも逆転できるパワー。
ローマ空手に これある限り最後の一瞬まで勝敗はわからないだろう。

 「で、結局どっちなんだい? 」

 ニヤニヤと笑いながらハムザが聞いてきた。
 つい熱く語りすぎたようだ。

 「うむ。私はゲルマン忍者が有利だろうと考えている」

 両者が戦った際 勝敗を分けるもの。
それは攻撃範囲だろう。

 両者とも武器術は持っている。
 しかしローマ空手にとって武器はオプション。
 ゲルマン忍者にとって武器は標準装備。
 ローマ空手は自らの鋼鉄の肉体への信仰から
戦いとなれば ほぼ無手を選ぶ。
競技なら ともかく果し合いならば
様々な武器を使用してくるゲルマン忍者が有利だろう。

 「もっとも すべては机上の空論にすぎん。
実戦には実戦の機微があり、流れがある。
本当の所は実際に戦ってみないと分からない。
そんなことは不可能だろうが…… 」

 どれほど考察し検討したところで戦ってみなければわからない。
 それも真剣勝負で。

 かの大山倍達は言っていた。
「当ててみなければわからない」

 結局のところ今まで結論が出なかったのはこれに尽きる。
武に生きる者の心情はいつの時代でもそう変わらないだろう。
が、取り巻く環境は別だ。
 今の世の中、命を賭した果し合いなぞ やれるはずもない。
だからこの対決も永遠に結論の出ない問いでしかない。

 「不可能ではないぜ。
ゲルマン忍者と古代ローマ空手の果し合い。
おもてには出せないがもうすぐ行われる。
興味はあるか? 」

 なにをバカなことを。

 勘違いしている人が多いがトルコは立派な先進国だ。
格闘技やもスポーツとして安全性に留意して興行を行っている。
奴隷が剣闘士として戦っていた時代とは違うのだ。

そう言いかけた私を遮るようにハムザは続けた。

 「ゲルマン忍者と古代ローマ空手の対決は本当に行われる。
もっとも……見たいならコレ次第だがね」

 人差し指と親指を こすり合わせるしぐさをしてみせる。
日本では親指と人差し指で輪をつくるのが「金」を表すしぐさだが
トルコではこのしぐさだ。

 「イスラム社会は金とコネ。知ってるだろ?
アスパラ、ヨクパラ、チョクパラってやつさ」

 バザールの客引きが使う定番のフレーズ。
 ハムザはニンマリとこちらをのぞき込んでくる。


さて。どうするかなんて決まっている。こんなもの。







月下のふたり


9月のぬるい風が吹き抜け、時おり月が顔を出す。

 やはり武器のリーチ差は大きく……
ローマ空手の鋼の肉体といえども本当に鋼で出来ている訳では無い。
攻防を繰り返す中で少しずつ削られる。
 このままダメージを積み重ねたなら
いずれ勝利はゲルマン忍者のものだろう。


切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ、踏み込みゆけば あとは極楽
 
 そういったのは柳生か武蔵か。
勝負を決めるのは危険の一歩先に踏み込めるかどうかだ。


横なぎの一閃をローマ空手がスウェーバックでかわし
剣先が通り過ぎた瞬間、一気に踏み込んだ。
 ゲルマン忍者も膝を折り低い姿勢で一回転。
振りぬいたはずの刃が今度はスネを狙う。


つい、と踏み込んだ前足が持ち上がり低く鋭い斬撃をすかした。
 波返し。
そう呼ばれる片足を持ち上げる動作。

 だがその本質は回避動作ではない……
物を支えるつっかえ棒を外すように倒れこみ
突きの威力を拳一点に集中する身体操作。
拳を突きさす体当たりといった方がいいかもしれない。
前足をあげたまま身体ごとぶつかる右順突き。
 当たれば牛でも倒れる一撃がゲルマン忍者をついに捉えた。
さしものゲルマン忍者も吹き飛ばされ地面を転がり……倒れた。

「きまったな」
「いや……当たる瞬間、地面に身を投げ出すように自分から転がった」

 そもそも突きというものは完全に決まったなら
大げさに吹き飛ぶようなものではない。
ゲルマン忍者はダメージを軽減するために
自ら派手に転がったのだ。

 大きく距離を取ったゲルマン忍者は
すでに起き上がり牽制の構えを取っている。

 ローマ空手も今の一撃は極限の集中が必要だったのだろう。
細かく息を整えるさまに消耗が見える。

 相手のカウンターが確実に足を狙うと信じた上での右順突き。
読みを外していればその段階で決着していたはず。
まさに太刀の下を潜り抜けての一撃だった。

「今の一撃で決められなかったのはローマ空手にとっては痛いな」
「だがゲルマン忍者も軽くはないダメージを負った……
そろそろ終わるぞ」

 真剣勝負という物はそれほど長く続けることはできない。
極限の集中の中で行われる攻防は激しく精神と体力を削っていく。
それは どれほど鍛えた人間であっても変わらない。

「それにしても意外だな。ゲルマン忍者が真っ向勝負なんて」

 立ち合いが始まってからゲルマン忍者は絡め手は一切使っていない。
 本来のスタイルとは程遠い戦い方だ。
 ローマ空手も相手が真っ向から来ると確信しているように見える。

 そんな私のつぶやきにハムザが答えて来た。

「そりゃあ男同士だからな。
流儀よりも ゆずれないことだって……あるだろうさ」

私をじっと見つめるハムザの目は
「野暮なことをいうなよ」そう 伝えてくる。

 確かにそうだ。
私の中に わずかばかりの羞恥が湧いた。

 立ち合いに家柄も流儀のメンツも宿命も関係ない。
 勝敗も決着も決められるのは戦っている ふたりだけ。
我々は ただ終わりを見届けるしかないのだ。


 ゲルマン忍者は立ち上がった位置から するすると後方にさがり……
さらに距離をとって納刀した。

 ローマ空手もだらりと腕を下げ……
落としていた腰を戻し まっすぐ自然体になった。

 月に叢雲 花に風。
 とかく この世はそうなっているらしいが……
 風が雲を吹き払い……月が、今夜はじめて はっきりと姿を見せた。

 クラムスコイの絵画のごとき月明かりの夜。
 月下で向かい合う男がふたり……

「来るな」
「ああ……これが最後の攻防だろう」

 ローマ空手が無造作に歩き出す。
武術の歩法ではない。
まっすぐ立ってスタスタと歩く普通の歩き方だ。
普通に歩いてゲルマン忍者に近づいていく。
 ただ歩くというのはスピードにおいて どんな歩法もよりもはやい。

 少し遅れてゲルマン忍者も動き出す。
抜刀術の構えで滑るように進んでいく。

 両者とも待ち構えての迎撃ではなく……
動きながらの攻撃を選んだ。

 止まっている状態から動くより
動いている中で動きを変化させる方がスムーズな動作になり……
結果、はやく攻撃できる。

 果し合いとは突き詰めれば
 お互い鍛えた一撃をぶつけ合い
立っていたものが勝者。
 ただ……それだけだ。

 覚悟を決めた次の一撃。
それですべてが決まる。


 ふたりの距離がつまる。
 間境に入る……




長い間の私の疑問が……今 解かれようとしていた。







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