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【中国山地の歴史②】中国山地の「たたら製鉄」が与えた地域文化への影響

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。前回の記事で書いたように、今回は「たたら製鉄」について書きたいと思います。「たたら製鉄」とは、簡単に言えば、日本で伝えられてきた砂鉄と木炭を使って鉄をつくる伝統的な製鉄技術のことです。中国山地は、貞方昇先生によれば「近世日本最大の重工業地帯」であり、有岡利幸先生は「江戸時代の繁栄は、中国地方で生産された鉄によるところが大きい」と評するなど、江戸時代の中国山地は、たたら製鉄によって栄えてきました。

 起源を少しひもとくと、日本で製鉄が始まったのは、現在のところ6世紀後半(古墳時代後期)とみられています。先ほど、たたら製鉄は砂鉄を使うと書きましたが、日本最古の製鉄遺跡である岡山県総社市の千引カナクロ谷遺跡で使われた原料は砂鉄ではなく鉄鉱石で、大陸からは鉄鉱石を原料とする技術として伝わり、砂鉄を原料とする技術は、鉄鉱石の資源量が少ない日本で独自に発達したと考えられています。そして、中国山地が次第に日本の鉄生産の中心地になっていくにつれ、この砂鉄を原料とするという特徴が、中国山地の土地利用にきわめて大きな影響を与えていくことになります。

 中国山地が中心地になった理由は、主に材料面と流通面があります。材料面でいうと、中国山地の広大な山林と、主要な地質である砂鉄を含む風化花崗岩を背景に、たたら製鉄の原料である木炭と砂鉄を豊富に得ることができたことがあります。さらにいえば、瀬戸内海沿岸は雨が少なく、木炭を生産する森林の再生力が限られるということも、水が豊富に得られる中国山地脊梁部に主要な産地が移っていく理由の一つであると言われています。他方、流通面では、中世の後期には日本各地で鉄の生産が衰退する一方で、中国山地はむしろ生産が盛んになっていくのですが、これは海運の発達で全国的に分業が進み、中国山地以外の地域では、わざわざ現地で鉄を生産しなくても、中国山地から運ばれてきた鉄を買えばいいというような状態になっていったためと考えられています。

 こうして、冒頭で書いたように中国山地は「近世日本最大の重工業地帯」へと成長していくわけですが、中国山地の内部においても、たたら製鉄の形態は一様ではなく、地域によって違いがありました。例えば、庄司久孝先生は、島根県における、たたら製鉄の経営について、出雲地方を少数の大企業家が担う「大土地所有型」、石見地方を多数の小企業家が担う「資本蓄積型」と分類しました。そして、出雲地方は山を切り崩して砂鉄を採取することが多く、木炭もたたら製鉄の経営者である鉄師が管理する広大な山林から得るのに対して、石見地方は海や川に堆積した砂鉄や、伯耆など遠方から移入した砂鉄を使用していることが多く、木炭も自分の山では調達しきれず購入することで賄うという特徴がありました。

 そのため、石見地方の規模の小さい経営は、藩の政治力が及ばなかったこともあり、鉄価格の暴落や製造失敗などへの対応力が弱いという面がありましたが、原材料の自給性が低いために、かえって商品経済の地域全体への浸透は早く、開放性や進取の気性が育まれた面があると考えられています。狼煙号で森田さんが書いているように、島根県石見地方の山間部では、鉄を外部に売って、米を買い求めてさえいたのです。一方、出雲地方は、高橋一郎先生よれば農鉱工一体とも表現される「 水田地主、製鉄、山林管理、牧畜を兼ねた鉄師という総合経営者が、全体の最適化を長期的視点に立って考えたということがポイント」で、松江藩の政策もあり事業環境の変化への対応に一定程度成功したため、江戸時代の後半になるにつれ、たたら製鉄の中心地帯は、出雲地方の南部、いわゆる「奥出雲」に移っていくと整理されるなど、石見と出雲で異なる道へと進んでいきます。

 島根県の"県民性"でいうと、石見と出雲の文化や人々の気性は大きく違うとよく言われます。少し話が大きくなりますが、1998年にピューリッツァー賞を受賞した、ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」は、地域ごとの文明の違いは民族集団間の遺伝的要因ではなく、地理的要因が大きな影響を与えていることを唱えた名著ですが、このジャレド・ダイアモンドの主張に対し、ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンは、著書「国家はなぜ衰退するのか」において、地理的要因だけで全て説明ができるのか?という疑問から、民族や地理的要因が同じでも、政治制度や経済制度が異なると、社会のありようが変わることを説明しています。もしかしたら、石見と出雲の文化的差異も、前述のような藩の政策も含めた生業の特徴に源流があるのかもしれません。

〈参考文献〉
(1)貞方昇 「たたら製鉄により作り変えられた中国地方の山地と平野」(http://ds22.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~haisui/journal_j/no_16/tataraseitetsu.html 閲覧日:2020年10月04日)
(2)有岡利幸『ものと人間の文化史 里山Ⅰ』法政大学出版局.2004
(3)角田徳幸『たたら製鉄の歴史』吉川弘文館.2019
(4)長谷川博史「「たたら製鉄」の確立過程と鉄の流通」『たたら製鉄の成立過程』島根県古代文化センター.2020
(5)庄司久孝「たたらの歴史地理学的研究」『歴史地理学の諸問題』柳原書店.1952
(6)中国山地編舎『みんなでつくる中国山地 狼煙号』.2019
(7)片山裕之・北村寿宏・高橋一郎「江戸時代における奥出雲たたら製鉄の経営の展開」『鉄と鋼』.2005
(8)祖父江孝男『県民性 文化人類学的考察』中公新書.1971
(9)ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』草思社.2012
(10)ロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン「国家はなぜ衰退するのか」早川書房.2013

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