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「ルメール自信あります」の宴に思うこと

最初は本当に適当なツイートだった。

これを送ったのが日曜日の夜22時。

当時の私のTweetは「いいね」が10~50くらい、的中馬券と一緒にTweetすると「いいね」が100行くこともある、というのが相場だった。

買い間違えたオークスで的中して調子に乗ってる私


で、最初の「ルメール自信あります専門家」のTweetだが、月曜の朝、起きると、いいねが200以上ついてた。

え?なんで?」というのが最初の感想である。

次に「やっぱダービーって凄いんだな」と思った。

いいねが200もついたんだから、期待に答えなくちゃと思い、月曜日の夜から、記事作成を始めた。

徹夜したのは記事に書いた通りだが、書いてる時は少しも苦じゃなかった。

むしろ楽しかった。

「この世で一番ルメールさんの会見をチェックしている」という自負に私は得意になっていた。

今となってみれば、気が狂っていると思う。



火曜日の昼に、記事を公開してからすぐに反響をいただいた。


競馬Twitter界でセンスがあるなって思うのがT田さんとゆうなさん。その二人に笑ってもらえただけで、徹夜した甲斐はあったなと思った。

それからMahmoudさんとバークレー教授さんという本格競馬予想の方からも反応を頂けて、それも嬉しかった。

余談だけど、私は、「50%ネタ発信・50%本格競馬予想」くらいの割合で生きてる人間である。だから競馬予想についても本気なんだが、世の中に凄いと思う予想家は、自分も含めてほとんどいない。名前が売れてる方も90%くらいはブランディングが上手い人で、10%くらいは買い方が上手い人ってイメージで、予想がすごいと思う人は本当にいない。
ただMahmoudさんとバークレー教授さんは着眼点や分析の深さ、熱量というところで凄いな〜と私が感心させられる稀有な人たちである。


それから作家の馳さんにコメントいただけたのは望外の喜びだったし、

麻雀界の有名人、ゆうせーさんに面白がっていただけたのも嬉しかった。(15年以上前ですが、私は競馬以上に麻雀に打ち込んでた時期があるのです)

フォロワーさんも2,000人以上増えたし、いいねも5,000はついてた。

いいね5,000なんて過去最高の騒ぎどころではない。

Twitterの通知も止まらなかった。


皆さんが楽しんでくれてるのが嬉しかった。


そんなことをしているうちに過去の記事も評価いただけるようになった。

ギャンブル旦那の話とか、元々はいいね100もなかったと思う。それがいいねは1,000を超えたし、この3日間だけで7万回閲覧された。

これも本当に嬉しかった。

自分が面白いと思ってたものが、世の中に認めてもらえたような気がした。

なお、YouTubeだけは一向にバズらなかった。
TwitterとYouTubeの相性がそんなに良くないって話はあるが、そんなものを超越して、私のYouTubeコンテンツは面白くないということを認めざるを得なかった。それは悲しかった。うん。大いに悲しかった。


そんなこんなで火曜日は楽しかった。

だから、ずっとスマホを見てた。




そうして迎えた水曜日。

スキルヴィングの取捨を水曜日に発表すると宣言したもんだから、何かしらのコンテンツを出す必要はあった。



ただそこに対する不安はなかった。


なぜなら、私にはまだ披露していない「分脈迎合型自信あります vs 分脈無視型自信あります」という武器があったし、さらには「早漏型自信あります vs 遅漏型自信あります」という必殺技もあったからだ。


どうだい、素人諸君。恐ろしかろう?

これがホンモノというやつだ。


ルメールさんの会見に合わせて、これらを駆使してコンテンツを作り、「きっと「ルメール自信あります初心者」の読者諸君は●●だと思ったことだろう。だが、ここまで分析すると▲▲という結論になるのだ。そこまでやらなければ「ルメール自信あります専門家」ではない。ニワカども、平伏せ〜」とやるつもりだった。


テキストにするとなんて恥ずかしいんだろう。(私は妻子持ちの会社員です)


だが、今回の私の一連の記事を楽しんでくださった方は、きっとそれで満足していただけたことだと思う。



記事への反響は1日経っても止むことはなかった。


むしろ膨れ上がっていた。


フォロワーさんは4,000人増えて、いいねは1万を超える勢いだった。記事への投げ銭も1万円を超えた。

Twitterの通知も止むことはなく、さすがに追いかけるのを諦めた。

※なので誰がコメントしてくれたか、RTしてくれたかも把握できてない。返せてない方、申し訳ありません


関テレ
さんにも取り上げていただき、スマートニュースにも載った。

ルメールさんの会見への注目度も上がっていた。

競馬の会見がここまで注目されることなんてなかったんじゃないだろうか?

明らかに自分の記事が理由だった。

すごいことが起きてる。

それは今までに経験したことのない感覚だった。



でも、ここら辺から、純粋に楽しめなくなってる自分もいた。

まず、反響が大きくなるにつれて、自分の影響で馬券を買う人が出てくるのが怖くなった

私が、「スキルヴィングは1着〜〜〜!!!」とコメントしたら、多くの人が面白がってスキルヴィングを買うことだろう。

エンタメとして買っていただく分にはいいんだが、中には、これを本気にして、大勝負してくる人も出てきちゃうんじゃないかと言う不安があった。

こんな記事見て勝負する人なんていないでしょ?と思うかもしれないが、そんなことはない。


頭がおかしい人は本当に頭がおかしいのだ。

私はこんなネタ記事で、人の人生を台無しにしたくはない。



過去の記事やTweetも色々と発掘された。


それは嬉しいことだったが、同時に怖くもあった。

過去を漁られると、「私がおじさんなのに女子大生を自演していた黒歴史」がバレてしまう。

もしかしたら、「嫁とお風呂に入っている時に、オナラをしたら身が出て、そこから従属関係が逆転してしまったエピソード」なども見つかってしまうかもしれない。


こんなに多くの人に見られることを想定してTweetなどしてなかったのだ。


慌てて検索して、そう簡単には見つけられないことを確認して、安心したりもした。

完全にテンパってた。



ルメールさんに迷惑がかかっていないかも、不安になった。

この頃には、ルメールさんが私が書いた記事を知らないと考えるのは非現実的だった。

関テレがネタにしてるくらいだから関係者の耳には入ってるだろうし、記事を読んだ方の一部はルメールさんのSNSに突撃しているに違いない。

もしかしたらコメントしづらくなってるかもしれない。もしかしたらインタビュー受けるのが嫌になってるかもしれない。

そんな不安がよぎる度に、「ルメール  生涯獲得賞金」で検索した。


大丈夫、ルメールさんは大金持ちだ。こんな下界の出来事なんて気にしない。私は蟻のようなもんだ。そう自分に言い聞かせた。


私は何をやっているのだろう?



熱が冷めていくと同時に、いろんな思いが頭をよぎった。


このままだと、私は「ルメール自信あります」界隈を立ち上げた人間として死んでいくことになる、と思った。



死ぬ時に、走馬灯には鬼嫁や娘と並んで、ルメールさんが出てくるんだろう、とも思った。


保育園から帰ってきた娘を見て、「あ、こいつ、ルメール自信あります専門家の娘だ」と思った。


何かが狂ってるのは間違いなかった。


寒気がした。心底、寒気がした。



私は明らかに普通じゃなかった

そして疲れていた

絶対に言っちゃいけないことだけど、「ルメール自信あります」にも飽きていた

私は飽きっぽいのだ。

水曜日であることにも絶望した。

ダービーは日曜日である。

どう考えても、私の熱量は持たない。



一方で、Twitterの通知は止むことはなかった。

コメントもたくさんいただいた。

「おもしろかった」というコメントを見ると心は揺れた

「遅漏型自信あります」を言いたい気持ちが浮かんでは消えた。

「はやく完結させたい」。それだけが私の願いとなった。


が、ルメールさんの会見動画は出なかった。。。



絶望して、水曜日は寝た。

サンスポさんからルメールさんのコメント記事が出ていたが、私はそれを鵜呑みにするほどアマチュアではない。スポーツ新聞が言い回しをちゃんと載せてくれないのは、月曜日深夜に嫌と言うほど目にした。「ルメール自信あります」素人諸君、気をつけたまえ。



木曜日、目が覚めた時には、私は完全に飽きていた。

もうこれはどうしようもなかった。

だいたい「遅漏型自信あります」ってなんなん? アホちゃうか?

もうこれで何かを書くことは無理だった。


一方で、私の人生において、私がこれ以上に世間に注目されることがないのも明らかだった。

つまり、今は、私が皆さんに何かをお伝えできる最初で最後のチャンスである。


ちゃんとこのチャンスは活かさないといけないとは思った。



一体、私は何を伝えたいんだろう? 何を伝えるべきなんだろう?


お前ら、頭おかしい。死ね」がすぐに浮かんだが、それが駄目なことを判断できるくらいには私は知的である


では、私は何を伝えるべきなんだろう?


私は今回の騒動を振り返ってみた。


冷静に見ると、本当に頭おかしい案件だと思う。


大の大人たちが、ルメールさんの言葉尻一つを待ち構えて、キャッキャしている。


「が」型?「は」型?


本当にくだらない。


無意味の極みだ。


でも、一方でこれが人間というもの本質ではないだろうか?


私たちは、意味がないものに、意味を与えることができる。


今回の私のネタ記事で、「競馬の共同会見」は競馬の楽しみ方の一つとして認識されるのではないだろうか?


私は、そういう意味では「競馬の共同会見」というものに意味を与えたということができるだろう。


でも、これはネタ記事の話だけではなく、全ての人間の営みについて言えることだ。


例えば競馬


馬が速く走りました。だから何?


馬が先頭で駆け抜けました。だからどうした?


こんなものは本来的には無意味なのだ。


でも、人間はそこに意味を与え、競馬という概念を作り、みんなで感動したり、勝って嬉しいだの、負けて悲しいだのキャッキャしたりしているのだ。


無意味なものに意味を与える。


それは人間の素晴らしい能力だ。

私は、AIをかなり脅威に感じていて、人間が勝てるところが何もなくなる未来がすぐに来るだろうと思っている。でも、この無意味なものに意味を与えることができるという能力だけは、私が生きてる間くらいは勝てるんじゃないだろうか。(いずれ、それも負けることになるとは思うが。。。)


これは普段の生活でもそうだ。


鬼嫁との関係性についても考えてみよう。

私の嫁は紛うことなく鬼嫁だし、私は間違いなく搾取されてる系旦那である。

世間からすると、私は不幸な旦那だろう。被害者だろう。

だが、私は不幸ではない。

更に言うならば、私は搾取されていない系旦那を羨ましいと思うこともない

むしろ修行の機会がなくて可哀想だとさえ思っている。

なぜなら私は鬼嫁に、「精神鍛錬の機会を与えてくれるお師匠様」という意味を与えているからだ。

結局、全ての出来事は意味の与え方次第なのだ。

それを知っているだけで、人生は辛くなくなるし、楽しくなるし、豊かになる


仕事だって、家庭だって、学校だって、意味の与え方次第で、世界は変わるのだ。


そして、どういう意味を与えるかは、あなたの自由なので、あなたの人生が幸せになるように意味を与えてほしい

同じような考え方として、物事は受け取り方次第というものがあるが、意味の与え方という表現にした方が能動的・主体的になり、より幸せになりやすいだろうと個人的には思う。

そうしたら、「レース前の会見」みたいな無味乾燥なコンテンツも、日々を楽しませてくれるコンテンツに生まれ変わる。


それが私の伝えたいことである。


誰か一人でも、これで幸せになってくれたら、それ以上の望みはない。



最後に、ここまで楽しんでいただけたことに本当に感謝します。

コメントくださった方、RTしてくださった方、ありがとうございます。
※これは国民の義務なので、今後も継続するように

ネタ記事についてはいくつか構想はあるので、気長にお待ちいただきたい。

例えばだが、

  • ウンコぶりぶり大戦争

  • 競馬予想家の自信度ってなんだろう?

  • 複勝転がしは本当にダメなのか考えてみた

  • 娘を鬼嫁に育て上げる悪魔的手法

  • 鬼嫁のパンツに興奮する方法

  • おじさんになっても麻雀で最強になる方法

あたりを考えている。


また、ネタ記事じゃないんだが、図に乗って小説を書いてみようかと、昨日あたりから思っている。

テーマとしては「自由」とか「幸福」とかそういったものについて私が思ってることを書いてみたい。

テイストは変わると思うので、需要があるかも自信がないし、書き上げられるか自信もないんだが、もし出来上がったら、ぜひ読んでほしい。
(そして純文学系の出版社さん、編集者さん、お声がけお待ちしております)


YouTubeもひっそりと続けていく。

制作や拡散を手伝いますよという業者もいるが、必要ないのでDMを送ってくるのはやめてほしい。

私が欲しいのは、面白くなくても面白いと褒めてくれるイエスマンと、動画をお経として垂れ流して再生数を稼いでくれる信者だけだ。


本当にこれが最後であるが、私の文章をたくさんの人に楽しんでいただけたという点では満足しているし、皆さんに感謝している。


一方で、本来は注目されるべきものが、注目される機会を奪ってしまったのではないかという懸念はある。


ダービーはホースマンにとって夢の舞台。


騎手の方、牧場の方、厩舎の方、馬主の方、その他にも様々な関係者の想いが詰まっている。


そういったストーリーにも注目して、ぜひダービーを楽しんでほしい。
(ルメールさんの髭の長さに注目してる場合ではない)


私も楽しみます!



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