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半分しか死なないこと そして「よく生きる」とは?

**5月9日土曜日

たもとの会で本を読みました。**

読んだのは
竹之内裕文著 「死とともに生きることを学ぶ
――死すべきものたちの哲学

第3章  土地における「生」の継承――死者と共にある農村との出会い

「農」の営みは「自然」と「世界」の境界にあり、両者を橋渡しする役割
と書かれています。わたしは「世界」というものが人間特有のそれこそ「世界」だったという認識をはじめてしたのですが、この認識はかなりしっくりきました。
人間の世界。そして自然は世界とは別。さらにそれをつなぐ役割が「農」。なるほどなぁ。でもしかし、そもそも人間はどうして「世界」を作ってしまったのだろうか。自らも自然物なのに「自然」と切り離して自分を「世界」に置いてしまうなんてほんとうにおかしい生き物だわ!なんてことがぐるぐるしながら読み進んでいったこの3章ですが、やっぱり手強い内容でした。
3章の1節では農業に従事してきた人々の終末期のエピソードから「土地」あるいは「土」へのこだわりを目の当たりにし、考察を深めていきます。わたし自身の経験の中にも同じようなことがあり、肉体が衰え、病にさいなまれつつも農的暮らしを生きてきた方々はふり絞るように畑に赴くことを望まれ、わたしの知る方は歩くことができませんでしたが、這いながら畑に苗の植え付けをされていました。
最後まで手放せない「農」という生き方は最後まで自身がただケアされる者でいるのではなく「ケアする者」であり続けようとしているのであると。
「ケアする者」でありつづけることは「よく生きる」ということなのでしょうか。
また、土地に住みその自然の恵みに敬愛の念を持ちつつ、「農」的な営みから「文化」というものを形作っていく、しかし「文化」の形成は「自然」への介入が不可避であり、採取から栽培、動物を家畜化するなど大きな自然という懐の中ではあるだろうけれど、その内に人間の「世界」を作ってきたのだということなんですよね。非常に際どい感じがします。またどっちつかずというのか、読みながら、人間ってほんとに危うい生き物だなぁと思いました。

また著者は農村での在宅ケアの現場に同行するだけではなく、大学教授という立場から学生たちとのフィールド教育として農村と提携契約し体験訪問を行います。学生共々、農村での体験に魅せられていく様子が語られます。その中で遭遇したのが「土地の履歴」また前世代から受け継いた技芸・作法、それらの継承へ願い、そういったものが「土地の文化」をかたちづくっていると。
わたしが心打たれたところはその技芸や作法は今の人間の世界では生計維持にそれほど関係していない(経済的影響を及ぼさない)のだが、人々のそれらに対する「意外なほどの情熱」と史話になっていくほどの歴史と豊かさを秘めているというところでした。
そういう技法や作法、「副次的ですらないような経済的意味しか与えられない生業活動」、マイナー・サブシステンスというそうです。知りませんでした。でもこれも今のような経済構造になっていく前はきっと副次的ではなく生活の中にかなり重要な位置を持っていたもの、事ではないかと思います。自然な継承が続いてきていたのでしょう。
少し話が逸れますが20代後半でいわゆる田舎暮らしというものに突入したわたしは、住むべき土地を探していたときあちこちで、かつては生き生きと生活していた人たちがいたであろう荒れ果てた集落を目にしました。田畑であったであろう草むらはその足元に丁寧に積み上げられた石垣が見え隠れしていました。都会者のわたしはこんなことをどうやったら成し遂げられるのかと思いましたし、このように整えられてきた土地を簡単にほとんどタダのような価値で住むことに少なからず抵抗感もありました。が、その土地の方々は住んでくれたらうれしいのだと言っていました。その気持も今はよくわかる気がします。本の中に引用されている文章です

誰が畑を拓たのかも、この畑とともにどんな人がくらしていたのかも私は知らない。それなのに畑の土が掘り起こされるたびに、私はここには歴史があり、畑をめぐる物語が積み重なっていると感じる。

農村(漁村)に住む人たち、マイナー・サブシステンスを伝えていきたいという人たちが都会からの来訪者を歓迎するのは途絶えさせたくないもの、事に光を当ててほしい、そういう気持ちがあるのではないかと思います。
今は土地に共同体として濃密な繋がり方をしている農村では、過去世から現世、そして未来世へ生活と生き方を受け継ぐことが前提としてあり、その共同体に帰属するかぎり、そこでの「死」は温和で、死者もまた共同体に帰属し続け、共にいるのであり、生者と死者は土地により結ばれています。
生の継承はその中に「よく生きる」という課題を含み、それに深く関係しているのがマイナー・サブシステンスだったりするんですね。
さてそれにしても「よく生きる」とは哲学的なテーマのようです。
ソクラテスの言葉よると「大切なのはただ生きるのではなくよく生きることである」そうなんですが、生きることを吟味しているかどうかっていうことらしいのですね。
「よく生きる」の「よく」は「善く」「良く」「能く」「佳く」どの字を当てればいいのでしょうかなんていうことも考えました。
そしてよく生きるため、吟味していくために「ロゴス」という言葉、わかりません!むずかしいです。色んな意味があるそうですが、「言語・思考」という意味だそうですので、それを当てはめて人間が「よく生きる」ためには
「ロゴス」ーさしあたり言語・思考ーに依拠した実践に求められる。ということです。ここで私が立ち止まったのは、人間以外の生き物について書かれていることです。他の生き物は「ロゴス」を持たず「よく生きる」ことをせず、「ただ生きている」のか。ということです。
著者は生きる場、環境について、さらに他の生き物にとっての「ロゴス」について考察を深めています。その上で、

動物はそれぞれの種に賦与されたロゴスの働きに応じて、種に固有な卓越性を開花させ、そのような仕方で「よく生きる」ことを実現する

としています。(よかった・・・)個人的には「ただ生きる」でもいいんじゃん?それのほうがよく生きる感じもしたりして・・という気もしましたが(笑)で、つまり人間だけじゃないよねってことなんですが、それでも人間は他の生き物とちがうのが「よく生きる」ことの眼目がなにか、それがはっきりしないっていうところです。他の生き物はとってもシンプルなんですね。人間は吟味していく中で問いながら生きていくし、また経験によって知見も増え、(もしかしたら先入観も増え)「よく生きる」の理解は不断に変化していく!つまり死ぬまでわかんない!

それゆえ生の営みを完了してしまわないかぎり「よく生きる」ことの理解は完結しない。「よく生きる」ことの理解は絶えず暫定的であり不完全なのである。

です。それって・・・。
で生命について。生命は継承していきます。命あるものすべてそうです。個々の生き物は死にますが、生命そのものは決して死なない。誰もが親から受け継いた生命を預かって生きていますから。人間の場合はそれに加えて「生き方の継承」という側面があります。血縁でなくても次世代に残していくということがあります。私達はかつていた人に思いを馳せ、そしていまいない人を胸に抱くことができる。遺したものを受け継ぎ、未完だったものを実現させていくこともできる。それは全く同じではないかもしれません。ですが、「よく生きる」ことは変化し続けるとすれば至極当然のことです。
継承するということ、次の人に譲り渡す、半分は次の人によって生き続けるという意味で「半分しか死なない」のです。

この章を読み、「世界」ということがちょっと自分の中でトピックになっています。人間の「世界」。生きるということ、さらに「よく生きる」ということは、わたし、たもとの会で考えたい「しあわせ」についてとかぶります。それは生きとし生けるものの「住み処」動物の「環世界」人間の「世界」というこの本でいうところの環境の概念。人間と自然、他の生き物との関係性も含め生きること、継承していくこと(否応無しにということも含め)「よく生きる」ことしあわせであることとは? 農村に生きる人、都市に生きる人との繋がり方は? 継承の課題。まだまだ、物語は終わりそうもないのでした。

疲れました、はい。甘い物が欲しくなります。
たもとクッキングでは誹謗中傷を恐れず邪道の手抜き料理もぼちぼち紹介します。だって自分の為の会なんですもん。

**内緒にしていたけどハマっていますチーズあんぱん

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みなさまにおかれましては食べたことない人は少ないと思われます、薄皮つぶあんぱん。食べたときには1個で済ますことがむずかしいのではないでしょうか。でもちょっとしたアレンジで1個でも十分満足感が得られるレシピをご紹介します。(但し1個で満足できるかどうかは個人差があります。)
↓あんぱんです。1日1個のペースで消費してたら、昨日が賞味期限ですね…。でも気にしません。最後の一個なので見た目がちょっとアレですが。

このように側面に切れ目を入れます。

割ってみるとこんなふうです。

スライスチーズ(とろけるタイプでもそうでなくてもどちらでも)もしくはピザ用チーズなどでもいいですが、スライスチーズは半分でいいです。
半分をさらに二つ折りにしてはさみます。

レンジで20秒

簡単でおいしさ倍増です。

やってみる人いるかな・・・。

**★次回のお知らせです!

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今回は4月の会の延期でしたので、5月は通常予定の第4土曜日となります。
5月23日(土)19時からデイサービスぐらんどにて、たもとの会第5回をやります。本(死とともに生きることを学ぶ――死すべきものたちの哲学)
第4章 いのちに与って生き、死ぬ―― マタギの背中を追いながら考えたこと を読みます。
参加費 本を持っている人500円 初めてで持っていない人 本代込2000円 です。 軽食(例えば)つきです。
お問い合わせ、ご参加のご希望は メールでお知らせください。
ますいよしえ:g3u@outlook.jp まで。



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