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君が思い出になる前は

誰しも大切な人と致命的に折り合えない瞬間というものはあり、それは誰かにとっては浮気であり、借金であり、アルコール中毒や暴力や隠された犯罪歴であり、ある型をもった不義理であり、どんなに愛し合っていたとしても、そのような軋みがあった後では決定的に心理的安全性が損なわれ、共に暮らせなくなる出来事があるように思う。

これまでのわたしであれば、若く、愚かで、未来への可能性に満ち、異性(ほぼ異性愛者であるわたしにとっての"異性"という意味での「異性」)に対して、あくまで「性的対象」=個性を捨象したワン・オブ・ゼムという目線しかもっていなかったから、離別の痛みというのは次の選択肢、つまり次の性的対象を獲得する道すがら、時と共になんとなくで癒えるのを待てばよかった。

しかし、年を経て、良くも悪くも、人間のことを、性的対象か否か、敵か味方か否か、の単純な二分法では捉えられなくなっていく。誰も彼もが交換不可能な、かけがえのない存在になっていく。誰を失っても、しっかりと傷つくようになっていく。つまり、人生はどんどん豊かになっていく。

よく「歳を取ってからの失恋はつらいよ笑」と人生の先輩たちが言うのを聞いてきた。それは加齢により回復力が落ちるからだ、というニュアンスで話されることが多かったように思うが、そうではなく、彼らの人生の豊かさを示す、控えめな標語ではなかったか。かけがえのない存在のかけがえのなさに目を向け、その恩恵を享受するからこそ、わかる痛みがあり、代償としてそれを失うことに深く傷つくのだと。

君が思い出になる前に、などと嘯いて、人間をガンガン思い出に変換しつつ郷愁に浸る幼さとナルシズムを、わたしも順調に失いつつあるのだなと思う。大切な人を思い出にしないまま雑多な、善くも悪くもある、生身の人間として保存しながら、キシキシとたわむ関係性の音を聴きながら、終わりなき日常が続くことに絶望しながら、明日はどうか昨日とは少しだけ違う一日が来ますように、と祈るような気持ちで眠る。

2021年12月7日23:25

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