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建物が読めない

世の中には建築物を鑑賞する趣味があるという。建築物は人が起臥寝食をする実用的な機能とともに、何か芸術的な価値をも帯びているのだと。なるほどわたしもいい大人なので訳知り顔で有名建築をフムフムと眺めることはできる。しかし、その価値を自分の心の内にはっきりと映し出せたことは未だかつてない。

隈研吾がデザインしたという神楽坂の赤城神社へ行ってきた。

わたしにとって神楽坂はすぐ近所にある食の楽園。狭い路地を分け入れば、フレンチ・お蕎麦・懐石・スペイン料理・イタリアン…気の利いた美食が軒を連ねる街で舌を唸らせ酒を酌み交わすことはあっても、寺社仏閣には一目もくれたことがない。しかし、ウィルスと花粉に包囲され景気の悪いこの鬱々とした空気、なんとかしたいものだと性に合わず街へ出たい。というわけで、有名らしい建物を散歩して茶でもしばきたい気分になったのだった。

急な誘いにもかかわらず、何人かの友人が集まってくれた。あいかわらず連むのは好きだが、集団行動ができない人間なので現地集合にする。「嵐と会いたい!」「B'zの稲葉さんがいつまでもライブをやれますように!」「〇〇ヒット祈願!」等とやたらと芸能関係の願い事が並ぶ絵馬を眺めて、境内の階段を登る。

境内にはカフェとなんと一般住居用のマンションが併設されている。へー。都会の神社は上手くやってるもんだな等と悪態つきながらテクテク歩く。社殿はガラス張りになっており、中には真新しいままの木製の柱。見慣れた寺社仏閣の黒光りした社殿と比べると随分拍子抜けだ。ガラス張りの中では、お祓いをしてもらっている人がいる。寒くて凍えた記憶のある七五三や十三詣りを思い出し、この中ならあったかいだろうなぁ、と見物する。

桃だか桜だかを判別のつかない花を見上げ、絵馬を書き、なぜか知らないがゲゲゲの鬼太郎の目玉の親父とコラボした御守りを買う。併設されたカフェでサクサクと香ばしいワッフルを頂きながら、友人と楽しいお喋りに花を咲かせる。平和な休日。

問題は、帰宅してから起きた。

撮った赤城神社の写真を見ると、わたしが現場で見た印象とはまるで違うのだ。無駄のない直線、完璧に計算され尽くしたシンメトリーの構図、伝統的なかたちの屋根と現代的な白い柱の奇妙なマッチング、隣り合わせるマンションすら違和感なく社殿に寄り添っている。

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わたしはこの美しさをなにひとつ実物からは感じとれなかった。なぜこの圧倒的なチグハグさを成り立たせるおそろしいバランス感覚を気にも止めなかったのか。いてもたってもいられず、「隈研吾」で検索する。無数の建築物がヒットする。その中に見慣れた母校の建物があった。


「くろぎ」じゃん!!!!

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「くろぎ」は湯島にあった(3月9日に大門へ移転したらしい)高級懐石料理店の姉妹店で母校の大学に併設されたカフェだ。フワッフワで口に入れた瞬間消えてしまうような儚く美味しいわらび餅が一人分2000円する。あと、半分以上の席が外。季節毎のかき氷も有名だが、整理券が昼にはなくなってしまうので、寝坊助な学生だったわたしがありつけたことはない。こういう事情なので利用しているのは学生というより、観光客か近所のマダムたちだ。(http://www.wagashi-kurogi.co.jp/)

このようなわたしの卑屈さを若干引き出す意味もあってかなくしてか、わたしはこの建物を何度も通り過ぎてはいたものの、随分珍妙な建物だなぁ、この細かい木の細工とか黒く汚れてきているけど交換するのかしら等という感想しか持っていなかった。が、やはり写真の印象は違う。これまたバランスを失うか保つか絶妙な位置に配置された木片が寄り集まって、なんとも言えぬ存在感と圧迫感を醸し出している。

現場では感じ得なかった「なにか」を写真では「わかる」気がする。これはわたしの現場での見方がひどく近視眼的だからではないだろうか。宗教法人って節税すごいらしいですよ、とかなんとかな物語に引っ張られて、建物の全体像が把握できない。純粋に「線」を見つめ、それを統合するということが苦手なのだ。

高校の幾何の授業を思い出す。わたしは特に図形に補助線を引かなければならない問題が不得意だった。単純な三角形・四角形すら把握することに苦労するのに、より複雑な図形に自ら線を引いて新たな図形を作り出し、問いに答えるなんて無茶なことに思えた。二等辺三角形は辺の長さが一組同じで、同じ角度はここ…ひし形は向かい合わせの辺が平行で、向かいの角度が同じ…そんな公式を使ってどうにかこうにかバラバラになりそうな線と線を必死で繋ぎ止める。

そうした目で再び赤城神社の写真を見ると、ピシッと引かれた直線がぐにゃりと歪んで、くらくらする。この手に捕らえたはずの「美」がスルリと逃げてしまう。線と線は無秩序に宙を舞い、もうカタチを留めていない。

ありとあらゆる建物が立ち並ぶ街・東京で、わたしはひどく心許ない気持ちになる。今、わたしは線と線の間のどの角度に、どの位置に立っているのだろう。世界はどのくらいの広さをもっているのだろう。わたしは一体どこへ向かっているのだろう…

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