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「障害」ときいて抱くイメージと現実の隔たり

先日、聴覚に障害のある方たち100人が、障害を理由に宿泊を拒否されたというニュースが少し話題になりました。

その後詳しい情報がポツポツ出始めて知ったのが、宿泊施設側の人が障害に対して知識不足で、「障害」というワードに過剰に反応してしまったゆえの事だったようで…。

「障害者」という言葉は「障害がある人」という大きなカテゴリーとして本来は多様性を含んでるはずなんだけど、普段、障害のある人との関わりがない人たちにとっては、「障害者」というとその本来の多様性とは裏腹に、身体に障害のある人をイメージしたり、「何も一人ではできない人」「介助が必要な人」という印象を真っ先に浮かべる人が多いんじゃないかなって思うんだよね。

でもね、例えば「聞こえない」ということは聴覚に障害のある人に取ってハンディキャップになるんだけど、聞こえないから手話で話すとか、目で見て情報を得るとか、振動から情報を得るとかして「聞こえない」ことを独自の方法でカバーしたりしてるから、障害のある人のことをよく知らない人が抱く「何も一人ではできない人」「介助が必要な人」とは実際は程遠いんだよね。

こんな風にね、障害のある人には
Can not do it」(体の機能的にできない事)の部分があって、それを「Can do it in a different way」(他の人のやり方とは違う方法でできる)
でカバーして生活してるんだよね。

でも障害のある人を「Can not do anything」(何もできない人)と考える人が多いのが現状。

普段の生活や支援学級での教育、職場において、この間違った考え方で「できる事をする権利」を奪うケースは多いんじゃないかな。今回のニュースの様に、本来なら聴覚に障害のある人達で工夫して、もしもの災害時にも備える事ができたのに、それをしようとすることすらを奪ってしまったように。中学校の支援級所属の子に、小学校レベルの算数しか教えないとかもそう。


そして今回のケースとは逆に、「障害者」という言葉から、身体に障害のある人をイメージしたり、「何も一人ではできない人」「介助が必要な人」という印象を真っ先に浮かべる人が多いゆえに、発達障害のある人の場合は障害があること自体を中々認めてもらえず、努力不足を責められるんだよね…。

きっとね、「決めつけ」っていう一方通行の心の中のバリアが、こんな両極端な問題をうんでるんだと思うのね。だからまずは、相手の人が言っている事に先入観なしに耳を傾け「じゃぁどんな支援があればいいですか?」のように「対話」を持つことからはじめてもらえたらなぁって思います。


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