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なろうに投稿したら酷評された小説

「128?、を一つください」
ネットで散々調べ上げ、震える自分を奮い立たせて放った言葉は意外なほどあっさりと駅のホームにとけていった。ほら、20歳の若者がタバコデビューをしていますよ!駅の皆さん!貴重な瞬間ですよ!と周りに知らせたいけれど、そんな勇気があったらわざわざ駅のホームまで来て注文したりしない。

「500円お預かりします。100円のお返しです。ありがとうございました」

"お若く見えますけど、年齢を確認できるものはございますか?"、"自分今いくつなん?"、"失礼ですが高校生ですか?"

きたるべき質問に備え臨戦態勢を取っていた僕の口は、単調な接客をするインドネシア人スタッフによって簡単に緩んでいった。

差し出された黄色い箱が僕の手のひらに収まる。空気を掴むほど軽いそれは「ハタチ」の不安定さや瑞々しさを孕んでいるようにも、大人っぽい渋さや深さを隠しているようにも見えた。

ナチュラルアメリカンスピリット。通称アメスピ。タール1mm、ニコチン0.1mg。余計な燃焼物は使用しておらず、オーガニックのタバコ葉を使用。

何度も検索したタバコの情報を脳内で反芻させて見慣れた家路をスタスタと歩く。事前に用意していた携帯灰皿と一本も減っていないマッチをバックの中でコソコソと触ると、違法薬物を運んでいるような、何か危ない行為に加担しているような気がした。

「タバコとか絶対吸わねぇわ。百害あって一理なしだし、それに金払うとか馬鹿じゃん」

文学部のアイツの言葉がふと頭によぎる。いつも否定から入るアイツの意見は、僕がネットで見かけた書き込みと瓜二つだった。きっとそのまま影響されたんだろうな、と半ば諦めの気持ちで相槌を打ってやると、アイツの否定エンジンがさらに力を増した。

「第一に臭ぇんだよな。嗅覚が狂ってるのか知らないけど、ニオイがとにかく無理。俺喫煙者見つけたらいつも舌打ちしてるもん」

一つ排除すると、一つ生きづらくなる。こんな風に考えられる人が、自分の周りには少なすぎると思う。自分の感覚より誰かのブログ記事。自分の言葉より誰かのTwitter。体感した上で自分の意見を持つことがいかに大切か。アイツはわかっていない。

帰宅してすぐ、線に沿ってビニールを破り箱を開けた。塞がれた銀紙を破ると、すっとしたタバコの香りが僕の鼻を包んだ。

臭くない。やっぱり、アイツは自分で試していない。

タバコを一本取り出し、口に咥える。マッチに火をつけると、ぼぉぉ、と赤白い光が五月の涼しい夜を照らした。

何事もやってみなきゃわからない。

タバコの先端に火がつき、数え切れないほどの有害物を含んだ煙が立ちのぼった。この煙を肺に入れるという背徳感や小さな興奮が僕の心臓を突き動かしているのが分かる。夜のベランダからは街頭という小さな照明しか見えない。大気の音だけが世界のBGMを支配していて、心臓の音がやけにけたたましく響いた。

頼りないフィルターを通して煙が口内に溢れると、僕はむせた。なんだこれ、まっず。火をつける前の香ばしい匂いはどこに行ってしまったのだろう。頭を突くような、焦げて、腐った匂いだ。肺が煙を全力で拒絶している。そんな肺の思いとは裏腹に、また一吸い。今度はむせない。代わりに、辛くて涙がでるような苦さが僕のピンク色の舌をピリピリと刺激した。

とてもじゃないが吸ってられない。けれど、吸わないとやっていられないのかもしれない。有害物質で溢れていて、匂いがきつくて、口の中がめちゃくちゃになって、しばらく味なんて感じられなかったとしても構わない。「ハタチ」を超えた先に待っているのは、タバコを吸わないと正気を保てないような景色なのかもしれない。

態度の悪い客にヘコヘコと頭を下げていたバイト先の店長。関係性の薄い人ほど丁寧に接するんだよ、と語っていたサークルの先輩。彼氏の愚痴ばかり漏らすいとこ。

それぞれの背景があって、タバコを吸っている。舌打ちをされるような人たちじゃない。舌打ちをされるべきなのは、アイツのほうだ。経験していないことを、経験したかのように話すアイツのほうだ。

肺にたっぷりと入った煙を感じながら、ブリキの携帯灰皿にタバコを捨てる。真っ黒の燃え殻と化した物質からは、頭が痛くなるほどキツくて焦げ臭い匂いがする。そっか、こういう事だったのか。タバコを吸うことが目的じゃないんだ。やっていられない出来事をいったん整理して、もう一度対峙する。ジャンプする前のしゃがみ込む動作なんだ。僕は残りのタバコと冷え切った吸い殻を捨て、ビニール袋の取っ手をきつく締めた。きっと僕はタバコを吸わない。けれど、これからもタバコを吸い続けるだろう。知るための行為として。

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