曖昧な境界とプリンシプル
所属するコミュニティの曖昧さ、オンとオフの曖昧さ、場所の曖昧さ、いろいろなものの境界が曖昧になっている時代だと思います。
きっと最後に残るのは自我というかアイデンティティなんでしょうが、でもその存在そのものも曖昧になり、自分以外から見た自分の存在とは要するに信じることなのかもしれません。いると信じればいる。
結局存在とは、残された側にどう残るかで決まる気もします。
翻ってこういう曖昧な世界で生きるにあたり、拠り所になるのは自身のプリンシプルだと思います。
自分はあまり日々の活動を戦争のメタファーにするのはあまり好きではなく、もう少し柔らかく論理的(わかりやすく)でありたい。
自分の(組織の)プリンシプル。5つです:
1. 気軽に真剣な話をしよう
「気軽」だと真剣に話をするのは照れくさく、「真剣」にだと気軽にやるにはかしこまる。でも僕らは気軽に真剣な話をしたい。まじめに、しらけず、真剣に
2. 信頼しよう。でも健全に緊張しよう
信頼関係があれば、僕らの悩みのほとんどは解決される。でも、信頼関係があるのと、なあなあに馴れ合いになるのとも違う。深刻になる必要はないが、真剣に
3. 基準は高く、でも足元は地道に
高い基準を語る人はいる。足元のことを地道にやる人はいる。でもそれらを両立している人はほとんどいない。僕らはそうありたい
4. 自分で考えよう、自分で決めよう
決める中身は重要ではなく、自分で決断する人生を自分に躾け、選択し続ける。全ては日々の習慣から
5. disagree but commit
集団で合意形成を図る以上、結果的に意見が通る人も通らない人もいる。決める過程で意見が異なっても、決まった以上は賛否に関わらず最後までコミットしよう。成長とは与党(当事者)であり続けることとの格闘でもある
まあそうはいっても、人生とはそれぞれ特殊で、他人の考えなど役に立たないものである気もします。単に持論の表明ですね。
(写真と本文は関係ありません: カワセミ@都内公園)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?