陰 in インターネット.

 結論から言って、Twitterなどにおける「〇〇界隈」という概念が好きではない。蛇足ではあろうがネット用語での「界隈」を言葉を選ばずに表現すると、あるコンテンツや人物を中心としてそれに対する価値観を共有した複数人が馴れ合うサークルが形成されている状況を指す。基本的に門戸は開かれ、間口も広いことが多いためあとからの参入は容易であるものと思われる。
 このことにより、界隈の核となるコンテンツが有名になるにつれて参加しようとする人間が増えていくことが多い。規模の拡大は初めはゆっくりだが、所謂「界隈人」が増えるにつれ拡散力が増えていき制御できなくなることは日常茶飯事である。つまり、あとから来たおもんない人員が増えすぎて界隈全体がおもんなくなるという事象がよく起こる。度々ネット上で言われる、流行りの浮き沈みと同じような格好である。
 今回言及したい「界隈」の外枠についてはこんなところだろうか。
 ちなみにこれを書いている今の私は、某クリエイターを囲む界隈に属している。しかしすこし特殊な物である。前述した「界隈全体がおもんなくなる」を経た結果、界隈の立ち上げメンバー(プラスα)がより閉鎖的な別界隈を形成しだし、そちらに属している。自分でも訳が分からない。


 私は「界隈」という概念が好きではない、という本題に戻るが、これはネットという匿名の空間で本来楽しむべき匿名性が失われてしまっているように感じるからである。私が主に使っているSNSであるTwitterを例にするが、Twitterは基本的には匿名で自由に発言をしたり創作物を発信したりするようなものである。「界隈」という存在があると同じ界隈の人間に配慮した発言しかできないような圧を感じたり、逆に界隈外からある界隈を(意図的かどうかは別として)下げるような発言をすると一部界隈人から集団リンチを受けるなどの不自由が付きまとう。
 この不自由さが私には合わないのである。ソシャゲのシステムはクソだしそれに課金するためだけに社会人やってる輩とか正気の沙汰とは思えないと感じても、界隈人にそういった人間が居る限りこんな発言は倫理的にできなくなるのである。
 口に戸は立てられぬ、とはよく言ったものだが私の口は特に建付けが悪い。思ったことは口からポロポロ出てきてしまう。無限の自由がウリの場でわざわざ自由を捨ててまで馴れ合いをすることに私は共感ができないのである。


 ネット上では一人で漂流していたい。たまに孤独を感じることはあるだろうが、そんなのは些細な問題である。孤独なら現実の友人を呼んで話せばいい。誰かに気を使うことなくニッチすぎるエロ画像や地雷が多そうなCP絵をリツイートしまっくたり、気に入らない人間についてこういうところが気に入らないとお気持ち表明をしてみたり、誰も理解できない自分だけが面白いギャグを叫んでみたり。そんな自由空間を求めているのである。
 とにかくコミュニケーションを求められる現実世界に疲れた私は、ネット上では極限まで内向的に、エコでロハスな生き方をしたいのである。
 そう考えると、このnoteという場はかなり私が求めているものに近いのかもしれない。このアカウントを作るためだけに作ったTwitterアカウントを紐づけてあるだけなので天涯孤独が確定的であり、さらにTwitterと違って140字という制限もなく、思ったことを思ったままに書き連ねる事ができる。一人でぼけっと思考を巡らせることでいいストレス発散ができる。
 最後に一つだけ言っておくことがある。ソシャゲの課金システムはクソだし、そんなものに課金するために働いている輩は正気の沙汰じゃない。

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