盆栽にもできること

盆栽にもできること。このようなテーマで文字を書かなければいけない気がした、なぜだかはわからない。

盆栽にもできること。

そもそも盆栽とは何か。コトバンクを見てみよう。


コトバンクによると・・・

現代の社会通念では、陶磁鉢その他の器物に植えた草木が、自然の景観から受ける豪壮、佳麗(かれい)、繊細などの感興を表現する場合を盆栽とよび、植物体本来の形、色、香りなどを直接的に観賞する、いわゆる鉢植えと区別する。そのような概念の分化は、1887年(明治20)ごろ一部の人々の間に発端し、その後ほぼ40年を要して通念化した。
 中国では、古来、盆栽の文字は通用せず、かわって、唐代の「盆花」、その後の「盆景」が、広義の盆栽(盆栽と鉢植え)にあてられてきた。[岩佐亮二]

https://kotobank.jp/word/盆栽-135042

読む気にならない感じの文章である。最初にはもうちょっと分かりやすい意味を出してほしいものである。

まあ冷静に考えると盆栽の意味なと調べるまでもない。要はあれのことである。小さい木が鉢に植えられているアレ。

ところでなぜ私は盆栽にもできることなんて書き始めようと思ったんだろう・・・

そもそも盆栽「にも」という表現が盆栽様に対して烏滸がましいこと甚だしい。なぜ私のような何の取り柄もない凡才が盆栽にもといった目線で語ることができるのか・・・


ようやく思い出したが私が描きたかったテーマは「凡才にもできること」というテーマだった。改めて書くことにしよう。

それにしてもコトバンクの盆栽の記載がとにかく文章が多い。盆栽の奥深さを凡才知る。







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