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古事記とオホーツクと~神世七代の第六代<下>(『古事記』通読㉞ver.1.0)

今回は『古事記』の時代背景をもとに、『古事記』が理想とする国家像について、掘り下げてみたいと思います。

   ※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。初回はこちら
  ※神世七代の一代目(国之常立神)から読まれる方は、こちら「通読⑲」からどうぞ。
  ※ひとつ前の記事、神世七代の六代目(於母陀流神と阿夜訶志古泥神)の神名理解についての記事はこちら「通読㉝」です


■まつろわぬ神、まつろわぬ民

神世七代は、高天原たかあまのはらに誕生した理想の国家の設計図ないしは設計理念です。『古事記』の理想の国家像は、神世七代の六代目までの神々によって示されています(『通読⑳』)。

神と人が住まう場所であるク二の完成のためには、狩猟・耕作、居住の場所といった、人々が生きていくために手を入れる環境だけでは十分ではなく、人の手が入らない環境も必要だというのが、於母陀流神(オモダルの神)の神名に込められた意味でした(前回『通読㉝』)。

於母陀流神(オモダルの神)のオモ(=「おも」)は、お国柄の「国」と同義語であり、政治的文化的にひとかたまりとなっている人々が暮らす地理的な広がりの領域を指します。このことから考えれば、人の手が入らない環境というのは、文字通り手つかずの環境を示す他に、ヤマトの範疇に入らない人々が棲まう環境も含まれると考えるのが自然です。

言わば、まつろわぬ神、まつろわぬ民の棲まう領域が、オモダル(おも足る)の神が示す最後のおもなのです。


■擦文の民と神々

高御産巣日神(タカミムスヒの神)がそうであるように、『古事記』の神が表象するのは、複数の具体であり(『通読⑦』)、まつろわぬ神やまつろわぬ民も一つに限定する必要はありません。

山民や海民、辺境の地の民とその地の神々など、多くのまつろわぬ神やまつろわぬ民をもク二の完成のためには必要だとするのが、神世七代の六代目の意義なのだと思います。

しかしながら、視座を『古事記』内部から『古事記』の当時の読者に転じれば、オモダル(おも足る)の神が示す言明されないおもとして、人々の脳裏に一番に浮かんだであろう存在があらわれてきます。

それは、擦文さつもんの民と神々だったのではないでしょうか。


『古事記』が計画され、編纂へんさんされた時代は、国境が意識され始めた時代でもありました。そして、その時代の日本の国境は、北と南で異なった形態を取っていました。この、北側の国境の外に存在していたのが、擦文さつもんの民です。

擦文さつもんの民がどのような人々であったかを説明する前に、もう少しだけ、時代背景について説明します。


■国境の誕生

『古事記』は、『日本書紀』が理想とする律令国家像に対して、律令国家に変貌へんぼうを遂げることで失われてしまう理想の国家像を提示した書物である可能性について以前に書きました(『通読⑳』)。

『古事記』と『日本書紀』というほぼ同時期に、日本の将来の国家像をめぐる相剋そうこくがあったのは、その時代が国家としての日本の揺籃期だったからです。

日本という国名を名乗るようになったのも、国家の時間ができたのも、北陸道や東海道といった地域区分ができたのも、全てがこの時代です。

それまで、首長国連合のような体制だった日本が、海外にどう見られるかという視座を獲得して、日本というアイデンティティを、国家として自覚したのがこの時代の特徴です。

そして、アイデンティティを認識した国家は、領域を自覚し、それは国境を誕生させます。


天武天皇が『古事記』(712年完成)や『日本書紀』(720年完成)の着手を命じたと想定されるのは681年です。ちょうどその直前の時期に、新羅との国境として対馬つしま壱岐いきの両島が位置づけられ、国境を超える人や物の移動を統括し管理するための太宰府が、現在の福岡県太宰府市に置かれます。

同時代の書物である『万葉集』にも防人歌さきもりうた(筑紫、壱岐、対馬などで辺境防備にあたった兵士がんだ歌)があることからも、当時、朝鮮半島との国境が強く意識されていたことがわかります。

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[図1:出典「現在の対馬と壱岐」対馬グリーン・ブルーツーリズム協会

これが、当時の日本の南の国境であり、その国境概念は、当時の中国である唐の律令を継承したものであることがわかっています。

この日本の南の国境は、島ですので輪郭がはっきりしています。このような線がはっきりしている国境をボーダーと言います。

これに対して、当時の日本の北の国境はボーダーではなく、ヤマトの支配がグラデーションとして段々に薄れていく国境緩衝帯(フロンティア)でした。


■古事記とオホーツク

日本の北の国境フロンティアは、日本の南の国境ボーダーよりもわずかに早い時代に誕生しています。

『日本書紀』斉明紀によれば、7世紀中盤にあたる647年に現在の新潟県新潟市に渟足柵ぬたりのきと呼ばれる北方守護および開拓の拠点が設置されています。

北方守護というのは、蝦夷えみしからの守護です。蝦夷えみしは、北方に住む中央の王権・政権に服属しない人びとを指した呼称であり、必ずしも民族の呼称ではありません。
当時、日本の中央政府が意識していた蝦夷えみしの存在範囲は、現在の北越、奥羽地方及び北海道であり、民族という観点では、そこに暮らしていたのは擦文さつもんの民(擦文さつもん文化の担い手の人々)でした。

擦文さつもんの民は、鎌倉時代以降にアイヌというアイデンティティを獲得する人々です。

アイヌの人々は、東北~北海道の人々とオホーツクの人々との両方の文化とDNAを引き継いでいます

そして、これら東北~北海道の人々の文化とオホーツクの人々の文化が合わさったのが擦文さつもん文化です。

Inked擦文とオホーツク

[図2:出典「オホーツク文化と擦文文化」(ヤマトの奈良時代~平安時代に相当)『時をこえて十勝の川を旅しよう!』(国土交通省北海道開発局)p.102]

オホーツク文化は、下の図3のように、樺太から北海道のオホーツク沿岸と北方領土、千島列島に連なるV字型に分布しています。

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[図出典:「環オホーツク海地域をめぐる古代の交流」『Ocean Newsletter 第246号』東京大学附属北海文化研究常呂実習施設 熊木俊朗准教授]


オホーツク文化圏がV字型に見えるのは、あくまでも日本中心の視点であって、そこに暮らしていたオホーツク人は、極東ロシアのオホーツク海沿岸部からカムチャツカ半島までぐるりとオホーツク海を囲む円形の文化範囲を持っていたことが分かっています。

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[図出典「考古学から見た環オホーツク海交易」菊池俊彦氏報告(日本気象学会 2002年度秋季大会)]


擦文さつもん文化の担い手たちは、このオホーツクの人々に北海道~東北の続縄文文化の担い手たちが合流して形成された人々です。

かつては、縄文時代の次は弥生時代と習ったものですが、現在では、東北~北海道は弥生時代ではなく縄文時代の次は続縄文時代だったことが分かっています(子どもの山川の参考書でも確認しました。歴史は変わることをあらためて実感しました)。

これは、弥生式土器が稲作と共に伝わったため、当時気候的に稲作が不可能だった東北~北海道は弥生時代となることがなかったからです。この地域では、ポスト縄文時代は弥生時代ではなく続縄文時代なのですね。

続縄文文化

[図出典「続縄文文化の広がり」(ヤマトの弥生時代~飛鳥時代に相当)『時をこえて十勝の川を旅しよう!』(国土交通省北海道開発局)p.100]

稲作がないことは、農耕定住民になっていないことを示します。最近の歴史学では、農耕の始まりは人類の不幸の始まりということがあきらかになっています(『反穀物の人類史』など)。農耕定住は、重労働、疫病、寄生虫、貧富の差、男女の不平等などをもたらすからです。

弥生時代にならず、農耕定住民とならなかった続縄文文化の人々は、縄文文化を継承しながら、現在のロシア・アメリカ・日本の3カ国にまたがる環オホーツク海を自在に移動するオホーツク人と交流し合流していきます。陸の移動の民(続縄文人)を母とし、海の移動の民(オホーツク人)を父とするのが、擦文さつもんの民なのです。

律令国家は、農耕定住民の思想の実現ですから、それに対抗する国家像を理想とする『古事記』が、非定住民である擦文さつもんの民を念頭に置いた(しかもそれは隠されている存在として)国家像を理想として神話に織り込んでいたと考えることは自然なことと思えます。


■国生みが示すもの

ヤマトのフロンティアは徐々に北に拡大していきます。渟足柵ぬたりのきが設置された翌年の翌648年には、それより40Km北方の現在の新潟県村上市に磐舟柵いわふねのきが設置されています。『古事記』成立直前の709年には、さらに北方の現在の山形県庄内地方に出羽柵いではのきが設置されています。出羽柵いではのきは760年ごろには秋田城と呼ばれるようになり、その地に暮らす蝦夷えみしは、ヤマトの支配下に入っています。

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[上図「8世紀の東アジア」秋田市立秋田城跡歴史資料館HPより]

『古事記』や『日本書紀』が企図され編纂された時代は、日本国が作られていく時代であり、かつ拡大していた時代だったと言えます。

このように、北にはフロンティアが、南にはボーダーが意識されていた黎明期の日本ですが、於母陀流神(オモダルの神)が示す最後のオモ(面=文化的にひとかたまりとみなされる人々)は、北のフロンティアの向こうの人々だったと考える根拠があります。

それは国生みの記述です。

イザナキとイザナミは国生みをしますが、その内訳は、国とよばれる八つの島と、国とは呼ばれない島々です。神世七代が国の設計図だとすれば、於母陀流神(オモダルの神)の釈義の実現は、国と呼ばれる島の最後にして最大の大倭豊秋津おほやまととよあきつ島に表れてくるはずです。

大倭豊秋津おほやまととよあきつ島は、本州であるとされますが、この時代の本州は、ヤマトが全域を支配してはいないことは前述しました。北のフロンティアの向こうに、ヤマトに取って手つかずの領域があり、そこに暮らすまつろわぬ民が、於母陀流神(オモダルの神)が示す、明示されないオモとして考えられていたのではないでしょうか。

国境は、国家の支配領域を明示するものです。『日本書紀』が理想とする律令国家は、徴税による体制維持を国家の目的としますから、徴税範囲として国境による領域設定を行い、軍事力により域内の治安を確保します。それはボーダーとしての国境です。

それに対する『古事記』の国家は、フロンティアとしての国境を意識し、外界に開かれたまつろわぬ民や神を必要とします。

『日本書紀』が理想とする均質な閉じた日本と、『古事記』が理想とする異質を必須とする開かれた日本。それは、稲作定住の徹底VS非定住民の許容の思想対立だったと考えられます。


■『古事記』の国家は国生みされるか

律令国家は、近代国家の三大要素である領域・領民・主権を満たしています。現代の日本国は国民国家nation stateですが、国民国家nation stateとは、国家が空間的に専有する領土内に住む領民=国民が主権を持つ国家体制を言います(律令国家の主権は王権)。

歴史は『日本書紀』の日本を選び、律令国家は国民国家に変遷し、今日に至っています。

『古事記』の日本は、未遂の日本となりました。

しかしながら、国民国家が世界的に揺らいでいるのが今という時代です。

農耕定住から始まった、重労働、疫病、寄生虫、男女の不平等などの不幸は、テクノロジーの発達で軽減され、人々の意識改革で改善されてきました。一方で、貧富の差は人類史上最大に拡大し、世界の最富裕層2153人が貧困層46億人よりも多くの財産を保有する事態になっています(オックスファム調べ)。

また、環境問題やパンデミック、多くの国の国家予算を上回る資金力と国家の人口を超えるユーザー数を持つ巨大企業など国境を越えた問題や存在が人々の生活に直接影響するようになっています。

環境や経済では国民国家は限界を見せているのですが、政治的には国民国家は瑕疵を露呈し始めているように見えます。

例えば欧州の移民問題です。

国民が、言語や文化、価値観等が同質な単一の集団であると強く自覚するようになった状態はナショナリズムと呼ばれます。ナショナリズムが高揚すると国民と民族が同一視されるようになります。

欧州等の少数民族問題や移民・難民等の問題は、本来は複数の民族が共存しているはずの国民が疑似民族化してきたきたことで生じてきました(例:ブルカをかぶらないのがフランス人だ)。

また、2000年代から《帝国》カッコ付き帝国というポスト国民国家概念(≒複数の国民国家が抱合されているひとかたまりの中心のない権力ネットワーク)が論じられるようになったのも、国民国家が揺らいでいる影響と思われます。

ローマ帝国型の帝国は、領民が多くの民族から構成されていることに自覚的であり、かつ民主主義が軽視されている国家体制ですから、帝国も《帝国》も国民国家ではないわけです。

ところが、本来は帝国型の国家であった国が国民国家を志向したために悲劇を生んでいる事例が出てきました。

社会学者の橋爪大三郎氏は、中国共産党のウイグル弾圧の根本原因を、中国共産党の中国国民は中国民族であるべきだとする思想に起因していると喝破しています(『中国共産党帝国とウイグル』2021年・集英社新書・中田考氏との対談)。

国家の強化策としてナショナリズムを採用したために、単一文化に収まらない少数民族を強引に中国民族化しようとしているのがウイグル弾圧の実態であり、ウイグル人は中国国民=中国民族となってもらう必要があるために、ウイグル人弾圧は、ナチスのホロコーストのように大量虐殺には向かわず、ウイグル語やイスラム教の禁止といった文化弾圧の徹底を志向しているのだとする氏の見解は慧眼と思います。

永らく帝国であった中国が、情報テクノロジーによる徹底した個人監視と思想純化によって、大規模な国民国家を再帰的に構築しようという試みの規模とスピード感が各国に恐怖をもたらしています。

ウクライナ問題も国民国家にとって厄介な問題です。ロシアが軍事侵攻の準備をしていると言われているウクライナ東部は、ロシア民族の居住区だからです。同じ民族は同じ国にまとまって住むべきだという国民国家の理想からはロシアの軍事侵攻は肯定されてしまいます

今も昔も、国民国家の理念は戦争の火種なのです。

このような、国民国家の揺らぎに対し、学術やエンターテインメントの世界では、国家を持たない非定住民族や定住しない生き方に注目が集まるようになってきました。

2016年のスマッシュヒット作『サーミの血』がそうですし、2020年の公開作である『ノマドランド』は文字通りノマド(非定住者)に着目した作品で、第93回アカデミー賞を三部門受賞しています。

ブラジルの人類学者などが提唱し始めた「多自然主義」(以前に『古事記』とも関係するものとして紹介しました)は、今や学問の枠を超えて建築などにも影響を与え始めていますが、その世界観は非定住民の思考がベースとなっています。

『日本書紀』の日本から明治維新の日本、戦後の日本は、言わばマイナーチェンジでしたが、これからの世界の環境変化は、国民国家のフルモデルチェンジを強いるものになる可能性があります。

神世第六代の於母陀流神(オモダルの神)は、狩猟・耕作、居住の場所といった人が生きていくために改変されることを必然とした環境と、そうではない人の手が入らない環境と、その両方があってはじめて「神々の住まう場所」としての「国」という環境が「完成した」状態となることを示します。

そして、そのことは、根元的な驚嘆と感謝をもって受け入れなければならないことを阿夜訶志古泥神(アヤカシコネの神)が示し、この2柱が不可分であることが神世七代の六代目の意義でした(前回『通読㉝』)。

ヒルコを経験しないと国生みは行われないとするのが『古事記』の神話です。未遂の日本があってこそ、新しい日本が生まれるのかもしれない。
『古事記』に書かれた理想のク二の設計図は、実は今になってコオロコオロと音を立て始めているのかもしれません。

★マニアック注釈(読み飛ばし可能です♪)★
以前に、国家としての賞味期限が切れかかっていることを自覚したアメリカが、過去に対する認識を変えることによって、過去の延長線上にある現在と未来を変えてしまおうとし始めているのではないかと書きました(『通読⑰』)。アメリカは近代から始まった国家であり、近代という時代が終わりに近づけば、近代そのものの化身であるような国家であるアメリカも終わりに近づきます。

アメリカが未来に生き残るために、建国史を洗い直すことで建国以前の歴史を取り込み、新たな建国を行おうとする大胆な試みが、『ウエストワールド』や『アメリカン・ゴッズ』アメリカンドラマを舞台に展開されています。←そんなバカなと思われた方は、まずは『通読⑰』を読んでみて下さい。

『アメリカン・ゴッズ』の古き神々は、それぞれ多様なルーツを持つ移民と結びついています

『古事記』の神々にも似たところがあります。氏神(うじがみ)という言葉がありますが、『古事記』に登場してくる神々には、天皇家が天照大御神を祖神としているように、特定の氏族と結びついた神々が多く存在します。

例えば、天照大御神(アマテラス)とスサノヲがうけひ(誓約)をしたときに、アマテラスの左側の髪に巻いていた玉をスサノヲが嚙んで息を吐いた時に誕生した神は天皇家へと連なっていくのですが、右側の髪に巻いていた玉をスサノヲが嚙んで息を吐いた時に誕生した神についても、複数の氏族の祖先となったとの記述があります。

この他にも、溝口睦子氏が『記紀神話解釈の一つの試み』で体系的に整理しているように、ヤマツミやワタツミなど神に連なる末尾が「ミ」の神々や、アマツヒコネやイクツヒコネなど神に連なる末尾が「ネ」の神々について、「ミ」や「ネ」は古来の小地域の首長の称号であったことから、それらの神々はもともとは特定の地域の氏族に結びついていたことがわかります。

更には、神話研究の蓄積によって、ルーツが日本列島以外である神々も多数あることがわかっています。『古事記』の神々ではありませんが、七福神なんてすべて海外をルーツにした神様ですものね(だから宝「船」に乗ってやってくるのです)。

神は単独では入ってきません。必ずその神の存在を伝える人とセットで入ってきます。海外から神々がやってきたということは、同時に、海外からそれらの神々を信仰する人もやってきていたということなのです。

『万葉集』
を典拠に「令和」の元号を考案したとされる古代文学者の中西進氏は、『万葉歌人の愛そして悲劇』などの著作で、山上憶良(百済滅亡で日本に亡命し近江朝で活躍)に代表されるように、『万葉集』は、中国大陸や朝鮮半島との交流のなかで、様々なルーツを持つ人々が、漢詩などを取り入れながら作りだした多文化的なテキストであることを明らかにしています。

『日本書紀』
も、森博達氏の研究が端緒を拓き、万葉仮名が漢字原音とよく一致する中国大陸からの渡来人執筆のα群(巻14~21、24~27)と、原音と全く一致しない中国語を解しない著述者によるβ群(巻1~13、22、23、28、29)とから構成される複合的な文書であることがほぼ定説になっています。

幸いなことに、国民国家が限界に来ても、日本は歴史を遡ることでその限界を打ち破ることができます

日本国とかアメリカ合衆国とか中華人民共和国とか我々が普段当たりまえに思っている主権国家の概念は、1648年に成立したウエストファリア条約によって確立したものです。『古事記』の「国」は、国境ボーダーによって他国と区分された「国土」から成る現代の「国」概念とは異なるものです。

グローバル化が進み、税金以外に国境を意識することが少なくなってきた今の社会は、その意味で『古事記』の時代の日本に似ています。グローバル化の最先端であるアメリカの神々の物語が、どこか『古事記』を思わせるのは、国家という存在の終わりと始まりによる必然の符合なのだと思います。

(続く・次回はいよいよ神世七代の七代目です)

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