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人間という生き物の真実【正欲/朝井リョウ】

LGBTQ、マジョリティ、マイノリティ、多様性、フェミニズム、ミソジニー、ルッキズム etc...

ここ数年でいろんな言葉をきくようになった。差別や偏見を無くし、みんな生きやすい世の中をつくろう。もちろんそれは大切なことだ。

しかし、わたしはたまにそんな世の中にうるせーーーーー!!!と叫びたくなる。こっちは、なけなしの倫理観と社会のルールを守って生き延びるのに必死なのに。

そんなわたしの心の奥底にひっこめていた気持ちを掻き乱されたのが朝井リョウの「正欲」だった。

(この先「正欲」の話の内容に触れる部分があります)

人間の中の大多数側にいる前提で進んでいく世の中。自分の想像できる範囲内でしか認められない多様性。綺麗事であってもひとりでも多くのひとが仲間に入れる世の中をつくることは、もちろん大切なことだろう。それでもそんな綺麗事にすら入れてもらえない人たちがいる。

今年に入って、「ヤクザと家族」「すばらしき世界」と連続して、いわゆる社会のレールから外れて生きてきた人の物語を観た。

「正欲」はそこにすら含まれない、むしろ社会のレールにのっているようにしながら、必死に生き延びようとしたひとたちがいた。

わたしは自分のことを異性愛者だという認識ではいるが、特定の誰かにこだわる気もおきず、誰かと触れ合う気も起きず、綺麗な顔のひとたちを眺めて好きな音楽にあわせてパフォーマンスをしてる好きな顔を眺めて満足している。それでもたまにトキメキに憧れる。世の中の大多数側にいるようで、おそらく自分はこの大多数には含まれていない。そんな風に感じた時、私はなぜ存在しているのだろう、と思う。いっそのこと自分にはそう言った欲はないと言い切れればいいのに、とすら思う。

わたしのこういった欲を、「正欲」にでてきた彼らと一緒にしてはいけないのかもしれない。

それでも彼らがこの本の中で発した言葉に、わたしは少しスッキリした。

生き延びるために手を組もうとした彼ら。社会のルールに、倫理観の穴を縫わない限り欲が満たされない彼ら。

人間という生き物の真実が「正欲」には書かれている。

社会のルール、倫理観それらの裏に隠れている本当の人間という生き物の真実。

そんな真実を知りながら、わたしは、生き延びるために社会のレールになんとなく乗り、ルールと倫理観を守って、アイドルを推すことで今日を生きていく。


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