台風15号から間一髪で逃れたらしい二人の話

九月六日:準備

 数か月前から決まっていたことだが、九月七日から同月八日までの間、同居している真樹(仮名)の所用で東京、横浜に行くことになった。
 九月五日には、これから台風が関東に上陸するらしい、ということは明らかになっていたが、それが日曜日になるか、月曜日になるかは分からなかった。
 彼女は自分が本州に行くときはいつも嵐になる、とぐんにょりした顔で漏らしていたが、僕もこの時期の内地の天気の不安定さは知っていたし、それほど気にするものでもないと言いながら、最低限の備えは行ったつもりだった。
 折りたたみ傘に、熱中症対策のための瞬間冷却パック(ノーブランド品で、結局ヒヤロンほどのパワーは無く役立たずだった)、立往生した際に用いるソーラーバッテリー、航空保安検査に引っ掛からない容量のモバイルバッテリー。エアバンドレシーバにもなるラジオ。自分用の医薬品は予定より一日多い二日半分。それに予備自衛官の訓練で持っていく救急品袋を突っ込んで、自衛隊の迷彩雑嚢より若干容量の小さいボディバッグ(死体袋みたいな呼び方で嫌いなのだが、それ以外に呼び方がない)がいっぱいになる程度の容量になった。個人的には敷物にも雨風除けにも使えるポンチョを持っていきたかったのだが、生地が重くかさばる為、持っていかないことにした。
 着替えは機内持ち込み可能なハードシェルのキャリーケースに二人分を持っていくし、それを運ぶのは僕の仕事だ。とはいえ、こんなろくでもないことで我を通すほど僕は子供ではない。真樹には無駄な持ち物ばかり持っていると思われているのだ。少しでも控えめに見えるようにしなければならない。

九月七日:快晴
 朝七時、五分前に家を出る。朝食に即席のハンバーガーを僕が作り、迷彩に塗ったMTBを盗難防止の為玄関に入れ、空港連絡バスを予定より一本前に乗ることが出来た。
 思い返せばこの時から予兆めいたものはあった。航空機の遅れにより、折り返しとなる新千歳出発便が一五分遅れることとなったのだ。北海道じゃバスが遅れることはよくある事だから、余裕をもって行動していた僕たちは特に気にすることもなく待ち、そして目的地の羽田空港に到着した。趣味の道具を持って行っても、真樹が一緒にいると彼女と一緒にいることそのものが楽しくてあまり使わないことに気づいたので、次回はエアーバンドレシーバは持っていかなくてもいいかもしれない。
 現地、東京は快晴。どの駅も人で埋め尽くされていて、札幌駅よりも多い気がする。
 上野公園から西洋美術館の松方コレクション展、国立科学博物館の大恐竜展を見たが、最大の成果はラムダロケットとその発射台だった。模擬弾<イナート>とはいえ人を殺さないロケットを見るのは生まれて初めてだったので思いのほか感動したのを覚えている。
 その後、浅草橋近くのイベントスペースで自作フィギュアの展示会もやっているので横浜中華街での会食の前に行こうと彼女に提案されたが、技術の高さに驚いた。最先端の技術を見るには、やはり東京に住むのが一番だろうか?
 しかし蒸し暑く人が多い。東京に住んでいたら、サノス(知的生命体の半分を消滅させようとしたマーベルコミックのヴィラン)の思想に同調してしまいそうだ。
 この日は快晴に恵まれたが、一日中蒸し暑く、会食で頂いた台湾ビールがとても美味しかった。笑い上戸になるので飲まないようにしているのだが、水を多く飲んだからか、まったく酔うことはなかった。
 ホスト宅で落ち着いてから情報収集を試みたところ、予約済みだった翌日の二十一時台のエアドゥが欠航となったことを知った。このときは未だ多くの人がこれから起こる事態を予期していなかったからか、十八時台の便への振り替えは容易だった。
 こうした時の真樹の勘の鋭さ、行動の速さは驚嘆に値する。僕は完全に安心しきって眠りについた。

九月八日 快晴
 この日に予定されていた行事は事故もなく無事に終了したが、途中にものすごい勢いの雨が降り、強風のために傘が使えないほどであった。
 会場を出る前に、振り替えをしたはずの十八時台も欠航が決まり、それ以前の便への振り替えができなくなった。このままではホスト宅にもう一泊するか、あるいは羽田空港のターミナルで一夜を明かすことを選ぶことになる。
 真樹は、
 「私は……空港のターミナルロビーで雑魚寝している可哀相な姿でNHKデビューなんてしたくない……」
 などと捕虜になることを拒む軍人のようなことを言い出した。他に道はないように思われたのだが、ふと思ったことを口に出した。
 「欠航するのは仕方がないとして、問題は『いつ再開するか』だ。台風が過ぎても地上設備が破壊されていたら、そのままでは滑走路は使えない。滑走路に転がってるものをジェット機が吸い込んだら大惨事だ。」
 もう一泊したとしても、あす間違いなく運航を再開する保証はどこにもないことに気づいたのだ。
「台風からぎりぎり逃げ切れると思ったんだけどな」
「新幹線ならどう?」
 確かに新幹線は台風の十倍は速い。函館まで上陸できれば、あとは特急でも夜行バスでも好きな方法で札幌に帰れる。
 東京駅に移動する間に真樹は「えきねっと」で新幹線のチケットを予約し、無事に台風が襲う首都圏からの脱出を果たし、同日2145には新函館北斗駅に到着、北斗市市街のビジネスホテルで一夜を明かした。朝食はフリーズドライのトマトスープ。これも僕が用意しておいた非常食だった。

まとめ
 真樹自身は「貧乏性で予定を詰め込みすぎてしまうんだ」と反省していたが、彼女は情勢を常に注視し、予定変更の決心を躊躇わなかった。最初の欠航がなければ、八日の行事後は別の予定を入れる腹積もりだったし、僕は往復モノレール券も使い切ることになったはずだった。
 なんとなく平時のつもりで情報収集を怠った場合、空港に着いてから欠航を知ることになり、新幹線への変更すら満足にできなくなっただろう。また一夜を空港で明かすことにした場合でも、建設中の区画が強風で破壊されるなどといった事態が発生し、命にかかわる怪我につながったかもしれない。そこまでしても、翌日に運航再開される保証はどこにもなかった。「そこまで必要なかったのでは」というやりすぎを戒める声も、「最悪を考えて行動すべきだった」という声も、決心の局面においては後知恵にすぎない。必要なのは「撤退する勇気」であり、彼女にはその勇気があったというわけだ。
 さらに言えば、台風のスピードがもっと速かった場合、新幹線ですら利用できなかった公算が高い。そう考えると、帰り便の出発を繰り上げられるだけの余裕と、情勢判断に基づく的確な決心に、ほんの少しの巡り合わせが二人を無事に札幌に帰してくれたのだと思う。

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