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介護というトンネルでみえた、私のなかの2つの闇。


ガン、ガン、ドガン。
扉を叩きつける音で、とび起きた。
カーテンの外はまだ暗い。
息をひそめて、階段の下の様子をうかがう。

戻ってきた父は、ささやいた。
「はじまってるぞ」


今日も私は、泥棒になる。




おばあちゃんが、暴れる日々



はじまりは突然だった。
祖母が、あばれる。

孫が盗っ人だと激高しながら、泣き叫ぶ。
早朝から深夜まで
85歳とはおもえない凄まじいちからで
ものを投げつけ、壁やドアを叩きなぐり、地団駄ふんで。


知識としてわかっていた。
この言動の原因はたぶん、認知症。

記憶がなくなるってきっと、ものすごく不安だ。
絶望したり、責められている気持ちになるかもしれない。

だから私たちは、彼女を否定せず、
できるだけ寄り添おうとした。

忘れたって大丈夫だよ。
これはだれにでも起こりえること。
介護する側は、ドンとかまえていなきゃ。


物盗られ妄想で犯人にされやすいのは
いつもそばにいる人や、
心を許している相手だともいわれている。

たしかに、私たちは毎日いっしょにいた。

お互いにおしゃべり好きなので、テレビをみながら、他愛もない話でよく笑いあった。
初孫で同性の私は話しやすいと、息子にもいえなかった昔話を打ち明けてくれたりした。


いい関係の、祖母と孫だった。

だけど。




1つめの闇




激高する彼女は病院へ行くこともつよく拒んだ。
見守るしかない日々が、しばらく続く。
すると私の心のなかに、ひとつの感情が沸き上がってきた。



怖い。
おばあちゃんが、怖い。

フタをして、なかったことにしていた気持ち。




子どもの頃からそばで見続けてきた。

祖母はもともと口調がキツくて、陰口悪口がくちぐせ。

感情はコロコロ変わるし、急に機嫌が悪くなる。
地雷がどこにあるのかわからず、いつもビクビクしていた。

地雷を踏んだのが私だとしても、爆薬は父や母へとんだりする。

家族だからこそわかる、弱いところを
切り裂くような、ことば。
私の心は何度もぐちゃぐちゃになった。


父は長男。
母は長男の嫁。
母にとっては姑との同居だ。
田舎の古い家だから、時代おくれの価値観もまかり通る。

彼女には、彼女だけの独自の理論があって
曲解したり、思い込みも激しい。


ただ、明るくて感情表現が豊かなところは、長所でもある。
バイタリティーにあふれ、足腰も丈夫。
身内以外には口調も和らぐので、友達がたくさんいた。

外からみればきっと、元気で楽しくて
良い、おばあちゃん。


子どもだった私にとって、彼女は
とても大きくて、強い存在だった。




血がつながっているから。
同じ屋根のしたで一緒に暮らす、家族だから。
父や母が大好きだからこそ、
祖母のことも嫌いになりたくなかった。

彼女にだって、たくさんの苦労や想いがあって
大切な歴史や、それに紐付く人間関係があるのだろう。

懸命に生きて、命を繋いできてくれたから、今の自分がある。

そんなことは、わかっている。
わかり過ぎているから。

私はいつも、笑ってた。
機嫌を損ねないように、彼女の前では
ごまをすって、おどけてみせた。

大人になってからは、
心の距離のとり方も覚えたし
陰口を受け流すのも上手になった。

だからここ数年は、本当に
いい関係性になれたと思っていたのに。


フタをして隠しても、過去の想いは
勝手に消えたりしないらしい。


キッカケを得て、甦ってしまった恐怖心。
それはたぶん「今」じゃない、
子どもだった「当時」抑えていた感情。


ドアを叩く音、足音が聞こえるだけで、
ぶるぶると震えが止まらなくなる。
部屋のすみで、身を縮めて、耳をふさぐ。
涙がとまらない。

暴れるとはいえ、全力をだせば、負けはしないはず。
頭ではそう分かっていても、心は納得できない。
抗ってはいけない、抗えるはずないと思ってしまい、萎縮する。


もう、逃げていい



父と母は、かわるがわる仕事を休んで対応していた。
ただ状況が長引くにつれ、どうしても
在宅の私だけで診ないといけない日がでてくる。
みんなでいる時も、彼女は何度か父に手をあげていた。
二人きりになるのは、怖い。

そんな時、たまたま地域包括センターの職員さんから電話があった。

手続きの業務連絡だったけど、わらにもすがる思いで
どうしたらいいか、質問してみた。
解決法なんてない、とにかく頑張るしかないんだと、思いながら。


「 逃げてください 」


耳を疑った。

そんなこと、していいの?
高齢者で病人で、家族の
あの人を、放って逃げるなんて。

でも電話のむこう、その女性はたしかな声でくり返した。

「危ない時は逃げてください」
「ご家族の安全は、大事です」


それはまさに青天の霹靂だった。

その言葉で、我に返る。

逃げても、いいんだ。
そうだ。共倒れになっちゃいけない。




それから私は、逃げ方を考えつづけた。

二人きりの日は、いつでも外に出られるように、
バッグを用意しておこう。
そして近所のマンガ喫茶へ逃げよう。
快適な空間で、大好きなマンガが読み放題。

そんな風に思ったら、最悪の状態が
楽しみにすらなってくる。



恐怖は、少しずつ薄れていった。
逃げるという選択肢ができたおかげで、心に余裕がうまれた。

思い出せた。

自分はもうあの頃の、逃げ場を選べない子どもではなく、
自分で自分の道を選択できる、大人になっているんだと。



電話越しにいただいた言葉のおかげで、
今の私は、過去で怯えていた私を連れて、
逃げられるようになった。


共倒れにならないために


恐怖心さえなくなれば、冷静に動けるようになる。

まずはとにかく、かかりつけの医師の診断を受けないと
前へすすめない。

どうにか、本人が怒りださないよう
事前に看護師さんたちに状況を説明して、ご協力いただいた。

親戚や近所の人々にも、
状況を軽くお伝えしておくことにした。
なにかあった時も、ない時も
優しく見守っていただけて、すこし肩の荷がおりた。


介護認定のため訪れた調査員さんも、とても理解のある方だった。

認知症のひとは身内以外と接するとき、急にシャキッとして、
普段と全然ちがう姿になったりする。
それは、しょうがない。
だれだって、弱っている自分を他人にみられたくないから。

だから本人のいない所で、家族からみた普段の事情もお話しした。
最後には労いの言葉までいただけて、ボロボロこぼれる涙をおさえられなかった。


そうやって色んな方のちからをお借りして
やっと、処方薬をだしてもらえる病院にたどり着く。

薬のおかげで、力いっぱい暴れるせん妄のような症状は減った。
静かに不機嫌な状態はつづいていたが、それぐらいなら対処できるので
マンガ喫茶に逃げる必要もなくなった。

やっぱり家族だけでは、どうにもならない。
周りの方々の支えは必要不可欠なんだと、痛感した。



2つめの闇





デイサービスにも通いだし、
すこしだけ家のなかが落ち着いてきた頃のこと。

仏壇にむかってお経を唱えるかのように、なにやらブツブツ言っている祖母の姿をみかけたので、耳をすましてみた。


「私はこんなに立派なのに。だれにも嫌われたこともない。だれも傷つけずに生きてきた。みんなに良くしてやってる・・・・・・のに。施してやってる・・・・のに」

そうだった。
ここ数年は関係がよくなったから、忘れていた。
この人は、そういう人だった。

家族へ放つ罵詈雑言は「おまえのため」の、善意のことばだという。
自分は間違ったことがないと、心の底から思っている。
だから罪悪感なんて、感じない。

私たちの痛みを、苦しみを、彼女は一生理解できない。





「キライだ」
ポロっと口から、もれてしまった。


そんな風におもっちゃいけない。
家族なんだから、と。
自分に言い聞かせてきたけれど。



自覚してしまったら、止まらない。

恐怖心を乗り越えた、そのさきには
おおきな嫌悪感が、待っていた。

同じ箸を使うのも、ふれるのも、となりに座るのさえ
からだが、拒否するようになっていく。




そして、悪魔はささやいた。

そうか。
いまなら、なにをしても、無かったことにできる。



身体は弱り、記憶も保てない。
今の強者は、私だ。

三十年の人生の間、この人から投げつけられた、たくさんの刃。
同じ言葉を返すぐらい、許されるかもしれない。


「 どうせ、忘れちゃうんだから 」



追いつめられた人間は、汚い部分が浮き彫りになる。
平和を願ったり、みんなで笑い合いたいとか、散々言ってきたくせに。


いじめ、復讐、虐待。

私たちはそういうものを、どこか他人事のような、
日常から離れた場所にあるように、錯覚しているかもしれない。

でも踏みだすのは案外、カンタンだ。
最初の一歩は、小さな言動にすぎないから。

無視するだけ、冗談のようなことばを口にするだけ。

少しずつ、少しずつ。

悪意は自分のなかから、他者へも広がっていき
闇は大きく、深くなっていく。







私があと一歩のところで、踏みとどまったのは
べつに彼女のためじゃ、ない。

未来で自分が、苦しむと思ったから。





弱っている姿をみれば、その瞬間は、
気持ちがスっとするかもしれない。

だけど忘れるからって、無くなるわけじゃない。

事実は、残る。
自分のなかに、ハッキリと。


私はまだまだ、これからも
私自身と付き合っていかなきゃならない。
こんなとこで、こんな人のために、
自分を嫌いになって、たまるか。

私が、しない・・・という選択をしたのは
未来の自分のためだった。



だから、いまの私にできること



そうして季節が一周した頃、彼女は突然いなくなった。
医者からガンを宣告され、あっという間の出来事だった。



介護というものは365日、二十四時間休みなく続く。

出口のみえない、トンネルを
ひたすら歩き続けるようなものだ。
心も体も、削られていく。


今回は短期間だったし、家族もいて
無理なところは誰かの手を借りれたから、
ギリギリ保てただけなのかも、とも思う。

もし状況が違っていたら。
相手が、大好きな親だったら。
私一人しか、いなかったら。
何十年も、続いたら。


どこにでも、だれにでも、何度でも
闇は、弱さを嗅ぎつけてやってくる。

知識だけじゃ、たどり着けない現実がある。

虐待を擁護するわけじゃない。
ただ他人事じゃないんだと、気付かされた。





あの日々から三年が経つ。

いまも頻繁に、夢をみる。

葬儀も終え、灰になったはずなのに、
何度も何度もよみがえり
当たり前みたいな顔して、帰ってくる夢。

夢のなかの私は、激怒する。
あんたの顔なんて見たくない、
二度とかえってこないでくれ、と。


現実では一度もできなかった、反抗を
夢のなかで、叫びつづけてる。


心の深いところには、未だに彼女が棲みつづけているらしい。





それでも私は、あの選択を後悔してない。

あのとき、憎しみに身を任せない選択をした自分を褒めてあげたいし、これから先も、その踏ん張りがムダにならないよう生きてみたい。


だから、決めた。

無理に忘れたり、気持ちをごまかしたりしない。
今はまだ、おばあちゃんを許してあげない。


なにが悔しいかって、実はいまでも
彼女を100%キライだとは思い切れないことが、一番悔しいし憎たらしい。



亡くなっても、無くならない。

怒りも苦しみも、笑顔も思い出も。
良いことも、悪いことも、
全部消えずに、まだまだここにある。


もっともっと時間が経って、環境がうつり変わっていって、
自然となにも感じなくなる日を、待って。

その日まで
許さずにいようと、おもう。




もう感情にフタはしない。

ぜんぶ抱えたまんま、生きていこう。


そんなこともあったよねって、
いつか心から、スカッと笑える日がくるまで。



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