父の子守りは冒険? 私も冒険したいようなしたくないような・・・
父の命日には、子どもたちに父の話をするようにしているのだけど、父の話をしていたら、どこか旅行したいねってことになった。
どうしてそうなる?! 私が子どもの頃、嫌で嫌でたまらなかったのが家族旅行なのだった。
友達と遊ぶ方が第一の優先事項だっただけでなく、父が選ぶ渡航先がことごとく過酷 プラス 子どもの私には興味のないところだったから。
例えば、大昔のことなんだけど、フィリピンのアキノ氏が暗殺されたときは、フィリピンのマニラへ。暗殺後だったので、ものすごく混沌としている最中で、治安も悪く怖かった。私たちのような子どもに拳銃を売りつけようとしてくる人もいて、本当に身の危険を感じた。
そして、父が絶世の美女ブルック・シールズの映画を見たときは、あの青い珊瑚礁の海に行きたい!となり、当時は電話でしかリサーチできなかったので、電話をかけまくり、大使館にまで電話して場所を突き止めたようだ。ところが当時はそこも治安が悪く海賊が出るとかで、二人のライフルを持ったボディガードを現地で雇い、小舟で観光をしたのだった。海は本当に綺麗だったけど、食事と水が合わなくて、下痢が止まらなかった。
それから、ロスで日本人が保険金殺人をしたのではないか?とワイドショーで散々やっていたときは、よし!ロスに行くぞとなり、殺害現場やらマンション? ホテル?やらを見に行った。そして、ハワイで有名な日本人が殺されたときもハワイへ。一体、子どもに何を見せてるんだ?と今では思う。
またあるときは、現地のタクシー運転手と意気投合し、そこのお宅に招かれお食事をいただいたり、スラム街で自分と同い歳くらいの子どもが奴隷?メイド?として売られているところも見たりと、今思えば衝撃的で貴重な体験をしたと思うのだけど、自分の家族の安全も見極めてほしいものだともつくづく思ってしまう。
父は大学時代は学生運動、卒業後は政治家の秘書をやったり、そしてどこかの会社で組合をつくったりしてたので、そういう自分の気質に家族を突き合わせていたのだろう。家族のためにとか、家族サービスではなく。
だから、私にとっての父との旅行は、父の子守りをしている気分だったのだ。なにせ無理難題の要求を英語に直せ!と強制され、英語での交渉ごとには矢面にさらされていたのだから。とにかく、はちゃめちゃだ!なんでこんなこと言わなくちゃいけないの?!といつも思っていた。
とまぁ、こんなことを散々話しても、うちの子どもたちには夢と希望が湧くらしい。
まじか・・・
でも、私はお腹を壊すのも嫌だし、身の安全も大事だから、近場の温泉でもいいですか?と言いたい(笑)
いや、でもやっぱり冒険もしてみたい!となると、言葉の通じない海外の方が面白いのか?!と思い直したり・・・
あ〜こんなことばかりで悩んでいるから、結局どこも行かずじまいになってしまう。
春休みこそ、どこか行きたいな。
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