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毎日何かしら教えられている

こんばんは。

なんだかハッとしたことがあったので、
また書いていきたいと思います。

私は昔から思ったことを口に出してしまうところがありました。

悪気があるわけではないのですが、
ズバズバ言ってしまうわけです。


クリスチャンになりたいと心から願っているにも関わらず、

全くクリスチャンとは思えないような、
言葉を発してしまっていることに神様から気付かされることがあります。 

今日は仕事で、
チームの方がやってくれたことに対して、
「〇〇なんだからそれくらい当たり前じゃないですかね」

みたいなことを言ってしまいました。
(本人がいないところで)

するとチームの方に
「厳しい〜笑」

と言われました。


厳しい〜笑
と言われると思わなかったので、
【え、厳しいのかな?】と思い、
咄嗟に冗談ですよ〜と言いましたが、

本心で思っていることを言っています。

「え、だって普通じゃない??」
と。

その場は特に変な空気になるという感じではなく、笑いながらの雰囲気です。


ですが、やはり私の心にはもどかしさが残りました。

これは神様がめちゃくちゃ私に注意してくれているんですよね。


私の心に。


どれだけ私は傲慢で上から目線なのか。。。


こんな私がクリスチャンということを周りに公表してしまうと、
クリスチャンという光を、
黒色に変えてしまいそうです。

自分の正しさ、正義みたいな、自我を、
人に押し付けて傷つけて、


本当に悔い改めなければなりません。


自分が生きているのは、
誰かを傷つけたり、悲しませたり、怒らせたり、
そんなために生かされていません。


人に益とならない言葉は、
一言も発しない方がいいのです。

なので陰口、不平不満、文句、怒り、
ネガティヴなことを口に出すだけでそれを聞いた人も発言する自分の心もどんどん汚れていってしまいます。


私は今までの人生で「言葉」でたくさんの失敗をしてきました。


まだまだ根強くこの悪習慣が残っていました。


私が発言する言葉は
聞く人に益となるのか?

ならないなら発言しないほういいんです。

今日のみならず、
毎日毎日神様に注意されていましたが、
改めてハッとしました。


穏やかで柔和で、品のある言葉を使えるようになりたいです。

人は口にする食べ物によって身体が作られますよね。
何を食べるかで身体がどうなるかが決まります。

そのように、普段からどんなもの見聞きしているかで、口にする言葉も変わってくるのです。

だからもっともっと神様の言葉、聖書のみことはを蓄えたいです。私の心に。


「あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭12‬:‭37‬ 口語訳‬


そして、聖書の言葉を利用するだけでは意味がなく、
どんな時も愛を持つことがとっても大切でした。

「たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。」
‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭13‬:‭1‬ 口語訳


「優しい舌は命の木である、 乱暴な言葉は魂を傷つける。」
‭‭箴言‬ ‭15‬:‭4‬ 口語訳‬

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