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あるvtuberのツイート-共鳴する利他主義と侵食される第3の立場-(未完ということもありますので、軽く読み流してくださると幸いです)

今回の契機となる題材

今まさに引用したあるツイートについてなのですが、これについて私は正規の、というより思い通りの仕様となっているのか大変不安に感じています。ですので下記にURLを残します。https://twitter.com/piyopiyo_aster/status/1331190488511045634

また、前回の記事の反応についての私の予測は「更新した事実諸共インターネットの海に沈む」というものでしたが、そんなことはなかったようです。反応を残してくださった方には(彼らがもたらした反応が例え別目的に由来する機械的なものであったとしても)本当に感謝しています。

いくつかの下処理を終えて私が抱えていた本題に入ることに対しての障壁はなくなりました。

そして本題について、私が観察する限りでは例のツイートには多くの同情する反応が多く生暖かい雰囲気が醸成されていることが確認できました。このような光景を非常に喜ばしいものであると捉える方が多いと想定したうえで主に2つから成る私の考えを残します。

メインとなる1つ目(メインは最後に取っておくという考えが基本であるという意見に対しては私自身反論の余地もありませんが、刻一刻と増す貴重なお客様が行うブラウザバックの可能性に怯えてこの順番になったという経緯は付け加えておきます。)は「加害したとされる者と害を被ったとされる者以外の者が後者に共感することで彼らに吸収されてしまう。」という点です。

このことが一体どのような危険性を孕むのかというと、それはタイトルでも少々触れていますが、「共感のまま終わってしまう」ということに尽きます。加害者でも被害者でもない私たちに与えられた選択肢は多くの場合「同情するか」「無視するか」だけではなく「そこから何を学ぶのか」までを含む3択です。この迫られる択の中で一番パフォーマンスという側面で優れているのが恐らく1つ目に挙げたものであることは言うまでもないでしょう。なにより不確定多数から認識、評価されるインターネットという舞台ではこの行動傾向が強化されるという流れは至って自然ではあります。

しかしながら、多くの意見の内容がこの選択に由来することで染まりあがる情景は(見る限りにおいては微笑ましいことは確実でありながら)その貴重なサンプルを表題に思考し、議論し価値観の密度を高め合える機会が失われてしまうことに他なりません。(インターネットという媒体が議論にも適性のあるそれであるかどうかについては疑念の余地が発生していることもまた事実ではありますが)

このような機会を通して道徳、倫理的な課題に対して考える経験を積むことがない限り、このような能力が強化されることは決してありません。多感な時期にこのような機会に恵まれなかった不幸者が実生活で今回のような繊細な問題に対する意見を要求された際に「人それぞれです」などという情報量を含まないどころか他人を愚弄し得る言葉を悟ったような表情で放つ様子は吐気を催します。(これについては別の機会にまとめたいという意欲があります)

そして2つ目に関してですが、1つ目が予想外に長くなってしまった為に文章量を控えめにしていこうと判断しました。

そんなある意味においては不遇ともいえる2つ目の内容は「言葉のもつ多面性を考慮しない意見は総じて価値がない。」という点です。

文中で使用される言葉「障害」は聞き手に対して非常に強力な同情を煽りますが、それと同時にこの障害の実態の興味深いまでの多様性を忘れてはいけません。

例を挙げるなら身体的な障害を抱えた求職者と、彼を雇用しようか検討している肉体労働を業務とする企業が、彼に提示できる雇用条件を待たず、かつ健常な労働者と比較して障害の内容ゆえに想定された生産性を保証することが考えられないと結論付けた際、、、、、、、、、、、、、、、、、、ここで私は頭の中で直後の文を生成しつつ、ふと気になり数秒かけてこの2つ目の意見の概要について法律的な側面から検証した結果それは無効化されなければならない内容であると考えました。よってここで打ち切ります、読んでくださった方がいましたら申し訳ございませんでした。

私はこの時点で今回の更新をなかったことにしようか迷っているといると同時に自らの不注意に対して落胆しています。本来は別のことについてまとめようと思っており、それの気持ちを振り切ってまで行進の決意を固めたこともまた理由の一つです。しかし自分という狭い範囲の中で、労力と時間を惜しむことができなかった内容と分量であると信じているため、公開を決意しました。しかし推敲を行う精神は残っていないと感じられたため、文法的な誤りを含む潜在的な課題を置き去りにしたうえで公開します。これは要するに「未完」という言葉で形用される事態でもあります。




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