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散り歩き効果(未開封)

絵を描くことが自分と向き合うこと
なのであれば
写真を撮るのは自分以外と向き合うこと
という感覚がある。

街を眺めるときに
何を写真に撮ろうかと考えることで
見えるものがあって

その被写体の存在意義だったり
誰かがそれを作った背景や
会議なんかを想像したり。

そんなことを考えている。

そして話は変わって
私はこれまで「散歩」があまり
好きではなかった。

早く行きたければ自転車でも車でも
使えば良いし
運動なら走れば良いし
散歩をする理由があまりわからなかった。

しかし今は散歩が楽しい。
なぜ散歩をするかの意味を見出せている。

人は思ったより街を見ていない。
毎回同じ道を通っているはずなのに
しっかり観察をすると
新しい発見がある。

しっかり観察するには散歩しながら
写真を撮るのがいい。
早すぎず 遅すぎず。

普段通り過ぎるときには見ない建物を
真横から見てみる。
建物の間に何かある。

それも誰かが作った何かで
街を構成しているモノだったり
するのである。

脳というのは不思議である。

こんなに断捨離が下手な私だが
脳は勝手に記憶を断捨離しているのだ。

勝手に判断して消さないでくれ
と言いたいところだけど
たぶん大事なのだろう。

そんな脳くんには感謝しつつ
しょうもない情報を頻度高く
送り続けなければ。

そのために今日も散歩してみよう。
できるだけ日々を複雑にしてみよう。

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