現実は仮想現実ではないか?
はてさて、現実は現実、clusterは仮想現実、VRCもみんなでUnityなどで作った仮想現実、それは当たり前だろ!とおっしゃる方は多いだろう。今回取り上げたいのは、現実は本当は仮想現実ではないのかということである。
まだ、「何言ってんの?」という声が聞こえてきそうである。
現実は「現実」である。まあ強いて言えばVRCは現実世界でパソコンやVR機材を揃えてプレイしているから現実の一部だと言えるかもしれない。しかし、現実が「仮想現実」とか現実のどこに仮想の要素があるんだよ!と言われそうである。
ここで2つのことわざを紹介したい。
・豚に真珠
・猫に小判
どちらも聞いたことがある小学校で習うことわざである。
意味はどちらも同じ意味で
とある。
つまり、豚とかはものの価値が分からなく頭が悪いとも理解できる。
しかし、私は皮肉の意味もあって現代にまで言い継がれてきたのではないかと思う。
本来は輝かしい真珠も小判も「小さい玉と楕円形の板」でしかないのは地球上の1種を除き全生物共通認識で、これらに価値を感じる例外的1種である人間のほうが頭がおかしい。という見方である。
真珠や小判に価値を感じるのは人間だけだという逆転の考え方だ。
お米1合が513kcal、小麦粉100gは368kcalというエネルギーは概念ではなく科学的事実であり現実である。
一方、貨幣はお金の概念があるからこそ価値があると思いこんで成立している。1万円札が1万円分、1ドル札は142円から少なくとも100円程度の価値があると信じている。お米と違いお金の価値は現物ではないである。
今の人間社会はほとんど食べ物の収穫ではなく貨幣で日々の食料の確保を賄っている。
人間は金や貨幣には価値があるという大勢の人間の脳が作り出した仮想と密接に暮らし、時には命を賭けて集めている。よって、現在の生活を改めて見ると、VRゴーグルを外しても、現実は人間の脳が作った「仮想現実」ではないと言い切るのは難しいと言える。
むしろ、充分に仮想現実と言えるのではないだろうか?
純粋な「現実」に人類がいたときは、お金の原型となる貝を手にして価値を見出す前までではないだろうか。
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