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雨の日も、わラッテ

雨の中、目的の喫茶店へと小走りで向かう。
走って揺れる傘のせいで上着が濡れる。知ったことか。
あらかじめ伝えた予定時刻を少し過ぎ、店に着いた。
店内に入り、前衛的な造形の傘立てに傘を立てる。
ここは、フレンチトーストが名物の、郊外にある静かな喫茶店だ。
土日はフレンチトースト目当てに人が集まるが、平日はガランとしている。
この静かさが、僕は好きだ。
店内へと一歩足を踏み入れると、とても優しい香りと穏やかな雰囲気に包まれ、雨の陰鬱さが自然とほぐれていく。

落ち着きつつも温かな心で、見慣れたショートヘアを探しつつ、店内を見回す。
「おーい!こっち!」
僕に気づいた彼女が、手を上げる。
僕も無言で手を上げ、向かいの席に腰を下ろす。
席に着くなり、
「お疲れ様!バイトだったんでしょ?雨大丈夫だった?」
と、彼女。窓から小雨が降り続いているのが見える。
「質問が多いよ」僕は笑いながら答える。
「あ、ごめんね。」
「いや、そんなの全然いいよ。そっちはバイトどうだった?」
彼女はこの喫茶店でアルバイトをし始めて、まもなく2年になる。バイト仲間とバカ話をしながら楽しく働いていると、よく話してくれる。
僕の質問に、2人分のラテを持った景子さんが代わりに答える。
「カオルったら今日のバイト中ずっと、終わったら会うんだぁって嬉しそうでしたよ」
「ちょっと、景子さん。それは言わない約束でしょ」
「いいじゃん、彼氏くんも喜んでるよ」
僕らの2歳年上の景子さんは、いつもカオルを妹のように扱う。
「って、景子さん。私たちまだ、ラテ頼んでないですよ」
「それぐらい分かるのよ。あんたたちいつもラテでしょ?それも彼氏くんが来て、少し経ってから」

景子さんは、僕とカオルが付き合う前からお互いのことを知っている。
大学近くにあるこのカフェを気に入った僕は、2年生の春頃からちょっとした空き時間やレポート作成のためによく利用していた。すっかり常連になった僕に、やさしく話しかけてくれたのが景子さんだった。
「無理に注文しなくていいからね、ゆっくり過ごしてって」
「いつもコーヒーだけで長居しちゃって、すみません」
「そんなの全然いいのよ。混んでるわけじゃないしね」

通い始めた頃に吹いていた柔らかく優しい春の風は、秋になって少し肌寒い透明の風に変わった。景子さんの他に同年代の女の子がカフェで働き始めた。席に着くと景子さんではなく、その女の子が注文を聞きにきた。
「あの、ご注文はお決まりですか?」
「じゃ、カフェラテのホットでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
ショートカットがよく似合う、愛嬌のある顔立ち。クリーム色のモックネックに紺のデニムというシンプルさすらも魅力に変えるスラッとした体型。その女の子がカオルだった。
しばらくして景子さんがカフェラテを持ってくる。
「お待たせしました〜、今日のラテちょっと飲んでみて」
そう言われて、おそるおそる飲んでみる。
「どう?美味しい?」
「美味しいですよ。いつもより甘いけど、むしろいつものより好きです」
景子さんはカウンターに振り向き、
「カオルちゃん、めちゃくちゃ美味しいって〜」
「えっ、ちょっと景子さん」
思わずカウンターを見た僕とカオルの目線が合う。伏し目がちだが、照れて赤くなった頬が可愛らしい。
それが僕らの出会いであり、僕がカオルに興味を持った瞬間だった。

「じゃあ、あとは二人で楽しんで」
と言い残し、景子さんは戻っていった。
気が利くがやり過ぎない。景子さんがバイト仲間や店長から好かれるのは、こういうところなんだなと、陰ながら納得した。

「そういえば、圭介のやつ彼女出来たんだよ」
ふと思い出した共通の友達の話を彼女にする。「あの圭介くん?イケメンだもんねぇ」
「だよなぁ。二人でキャンパス歩いてるの見て話しかけたんだけど、彼女さんすっごくキレイだし、圭介もすごく幸せそうで、なんか、こっちまで嬉しくなったよ」
「いいなぁ、私ももっと幸せになりたい」
そう言うと、カオルがラテを飲み、窓の外に目線をやった。雨はまだ勢いを緩めない。
「えっと、今はそんなに幸せじゃないってこと...?それとも」
「それとも?」
「圭介の話聞いて、嫉妬した?」
僕は恐る恐る聞く。
彼女は少し黙ったあと、こう言った。
「違うよ、人と比べてなんかじゃない。周りなんてどうだっていいの。」
話し声は穏やかだが、発せられた言葉からは強い芯のようなものを感じた。
「私は相対的じゃなくて、絶対的に幸せになりたいの。あの人よりは幸せだなじゃなくて、幸せだって実感したいの。自分だけじゃなくて、君のことも絶対的に幸せにしたい。だから、君も私を絶対的に幸せにしてね」
なぜか彼女は少し涙ぐんでいる。
「絶対、幸せにするよ」

きっと、この世界で僕が幸せにすべき人間は、彼女だけなのだろう。
不意に、僕の頬を何かが優しく撫でていった。
二人の瞳からも、優しい雨が降りだした。

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