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エッセー 君子の歯医者と、いぶし銀スーパー助手女史

いまかかってる歯医者さん。

御年70くらいのスーパー「助手」さんの「寡黙の存在感」を語ってみたい。

最初の出会いは年末の押し詰まり。他の歯医者はみんな閉まっていて駆け込んだ。
「スーパー助手」女史は、受付に1人座っていた。斜め下を向いて読み物かなにかしている。薄暗い照明の中、「現在セーフモードだけどやるときはやりますよ」というオーラ。

歯科医は50頃の、これも無口な先生で、何か気弱な感じで、しかしその物腰に、私は「君子」という言葉を思い浮かべるくらいに人柄の良さを感じた。

治療が終わって、私が「では次の治療は?」と訊くと、スーパー助手女史は「え? うちでいいんですか?」と言う。耳を疑った。

こんな年末押し詰まってまで医院を休みにしないで、飛び込んできた「新客」ではないか。普通は「当然のことながらうちに続けて来るよね」であるはずだ。

それが、「あなたも、いつも行っている医院があるんだろうから、そこに続けて行きなさい」と言わんばかり。「人の道」という言葉を思い出してしまった。

お許しが出て「診察券」をその時作ってもらった。

2、3年後、歯の治療をもっとしなきゃと思い立ってその医院に。

こんどは金曜に来る若いドクターに毎週続けて治してもらっている。

それが何とも丁寧なのだ。
かつて別の医院で治療してもらっていた「かぶせ物」が外れてしまい、その再治療。

「うーん。難しいな」とか軽く口に出して言ってしまいながら、しかし丹念に処置する。
さっき口内で撮ったレントゲン写真を映し出したモニターを、私が好奇心でのぞき込むと、「ここに神経の穴が3つ開いてるでしょ。2つは(うまく)埋めたんだけど、もう1本のこれがね、中が割れていて難しい。でも“方向性”は分かったからまた来週」。

来週までに、「完璧に」埋めてくれる方法を考えておいてくれるということなのだ。

その治療の間、他に看護師や助手はおらず(受付は若い女の子が座っていた)、スーパー助手女史が「若先生」のそば、しかし患者からは見えない場所に控えていて、「ミラー」とか「エアーを当てながらなんたらかんたら」「ちょっと大きいな、もうちょっと小さいやつ」といった指示に的確に応える。
「こうしたらどうですか」と口に出しては言わないが、そういう提案を歯科医界のベテランとして、若先生に指南しているようにすら感じる。

もちろん、あご全体のレントゲン写真を別室で撮るのも、そのスーパー助手女史がやってくれた。

先日は私が、「この医院の建物の外観って何か、船をイメージしたデザインみたいですね」と言うと、スーパー助手女子は、何も言わないが「よく分かったな」みたいに、にっこり笑いもしないが嬉しそうに思っているような風情だけをかもし出す。しかし口には何も出さない。


私の見立て

この歯科医は、以前私の父が若いときにかかったことがあった(そんなに古い)。
先代の先生はもう引退されたか亡くなったかして、スーパー助手女子は、そのお連れ合いなのではないか。

ひょっとしたら医院のオーナーはスーパー助手女子なのではないか。そして、若くても、また人付き合いが下手でも、実力のある医師(曜日によって違う)を召喚してくるだけの目を、このスーパー助手女子は持っているということなのではないか。

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