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日本でのリバイバルに備える――日本の「帰るべきところ」は?

いま、アズベリー大学でリバイバルが起こっているという報が入ってきている。

今後その「火」が日本にまで燃え広がることを期待する。

その中において日本の状況を私なりに洞察してみた。

(ヘッダー画像は「Jesus Revolution (2023 Movie)」予告編より)


日本の「帰るべきところ」は?

アメリカは何やかやいっても、Christianityが根付き、知られた国である。

だから社会が行き詰まったとき「聖書の真理に帰れ」という覚醒運動が起こり、それがリバイバルという現象にもなってきた。

しかし日本の場合それが「教育勅語」や「皇国史観」や、日本会議の語るようなものになってしまう(それしかない)のは残念である。

いや?そうだろうか?(下方に論を記す)

さて、これまでのアメリカでのリバイバルについて良く知られたものを以下に挙げよう。

アメリカのこれまでのリバイバル



◆第1次大覚醒(First Great Awakening)…1730年代から40年代、ニューイングランドを中心に北東部で発生。一過性ではなく、その後も同様の運動が起き、現代にも見られる様々な教派の並立や、クリスチャン・ラジオやテレビ伝道師といったキリスト教のメディア展開など、アメリカ特有の宗教動態、社会制度や文化への影響を基礎付けたものとして知られる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/第一次大覚醒

◆第2次大覚醒(Second Great Awakening)…1800年代から30年代。キャンプ・ミーティング(野営天幕集会)で新しくされ、「救われ」る経験から成り立っていた。活発な福音主義を奨励し、後に刑務所改革、禁酒、女性参政権、奴隷制撤廃運動に至った。

https://ja.wikipedia.org/.../%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1...

◆第3次大覚醒(Third Great Awakening)…1850年代後半から1900年代。 敬けんなプロテスタントの教派に影響して、強い社会的な行動主義の色合いを持った。人類が地球全体を改革した後にキリストの再臨が来るだろうという千年紀の神学から強化された。社会福音、世界伝道といった運動はこの覚醒から力を得た。

https://ja.wikipedia.org/.../%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1...

(アメリカの国民的作家、マーク・トゥエインの『トム・ソーヤの冒険』(1876年発表)に描かれている「リバイバル」のさまは、この時期のこととなるだろうか? 皮肉屋のトゥエインも、神さんが大きなところ(細かい現象は皮肉っぽく描いているが)ですることには一目もニ目を置いて描きこんでいる(すなわち凡庸なポリーおばさん熱心な祈りのお陰でトム・ソーヤらは無人島で大嵐や雷に遭った中、助かって生きて帰れた)。▼
(トム・ソーヤの件、私の過去記事を探し中)


◆また1960年代後半から、70年代、西海岸で起こり、北米、ヨーロッパに拡大した「ジーザスムーブメント」も、それを描いた映画が公開されるなど再び思い出されつつあるところだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jesus_movement

映画Jesus Revolution予告編
https://www.youtube.com/watch?v=8vmHFvnjPDw

*「ペンテコステ運動」(メソジスト、ホーリネス教会のなかから1900年頃にアメリカで始まった)

*「カリスマ運動」(ペンテコステ運動が一部メインライン=聖公会やカトリックなど=の教会にも受容され、教派を超えて、聖霊のしるしを強く求めた。異言などが強調された。カトリックにも強い影響を与えた)

*「聖霊の第三の波」(80から90年代。福音派の聖霊運動。ピーター・ワーグナーの造語。カリスマ運動とは別物だが、ペンテコステ派とともにカリスマ派に属するものと扱われる傾向が強い。大きな特徴は「聖書信仰」)

といったことにも着目すべきだろう。

https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9...

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顧みるに日本では・・・

*最初のプロテスタント教会、横浜海岸教会発足の経緯として1872年(明治5年)、宣教師らが集まって、新年祈祷会を開き、その姿にうたれたバラ塾学生ら30人余も参加。ブラウン塾学生らも加わり、予定の1週間を過ぎても祈祷会は終わらず数十日に至りリバイバルが起こった。それが今日の日基教団の主流派教会へとつながって行った。

http://www15.plala.or.jp/kumanaza/yokohama.html

*また、ホーリネス教会(中田重治)の系統で大正中期昭和初期に大規模なリバイバルがあったという。大正のリバイバルの結果ホーリネス教会は急成長。10年後には、1500名足らずから1万人を超える教派に成長した(その後の戦中の政府の弾圧で離脱した人々も多いわけだが)。昭和のリバイバル(1930年代)は再臨、ことに携挙が強調された。残念な大きな脱線もあった(それは弾圧の格好の口実となった)。しかし中田の弟子達は今は怨讐を越えて現在、親密な交わりにある。また、日本のキリスト教界でも一定の勢力となっている。

https://ja.wikipedia.org/.../%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AA...

*同志社リバイバルというものもあった(1884年、1927年)。小崎弘道牧師は1884年の様子を次の様に記している。「1月の初週祈祷会を出発点として、同校内外に盛んな祈祷会が開かれ、それが3月17日に至って大リバイバルとなった…このリバイバルは全同志社の学生から京都諸教会を揺り動かし、西は大阪、神戸から四国へと、東は東京、群馬、東北へと波及」

>池袋の日記が貴重な記録であることはおわかりいただけたと思いますが、なかでも最も貴重であると考えられるのは、この一八八四年二月の終りから三月にかけて、同志社英学校で起こった顕著なリバイバル、信仰復興の事実を池袋が詳細に記述しているからです。
https://www.christian-center.jp/dsweek/09sp/0604.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB_(1883%E5%B9%B4)

*そして、終戦すぐの「キリスト教ブーム」とは何だったかを考察しなければならないだろう。

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今の日本での可能性

アメリカでは何やかや言ってもChristianityが浸透し良く知られている。

その点、日本は大きく異なる。

アメリカでは、社会が行き詰まって、原点の帰ろうとすると、それは聖書の真理へと帰る動向となる。
(アメリカの国民的作家、マーク・トウェインも、『トム・ソーヤの冒険』のなかに、そのリバイバルのことを描きこんでいるほどだ。▼

(私の過去記事を探し中)

しかし日本の場合「帰るところ」が「教育勅語」や「皇国史観」や、日本会議の語るようなものになってしまう(それしかない)のは残念である。

いや?そうだろうか? 特に高齢者の中で若い頃、教会学校に行った、実は洗礼を受けたことがある、という人々は驚くほど多い点を見逃してはならない。

まさに、そういった層の間にリバイバル(再び生きる)が起こり、それが家族や周辺に影響を与えることもあり得るのではないだろうか?

明治以来、初等教育に入っていたキリストの深い良い影響

日本人がそこに「帰る」ところという問題を考える際、もう一つ、ひょっとしてリバイバル以上に大きな事柄として、明治時代より、公の初等教育(小学校など)や幼児教育に、キリスト教の最も良質な要素が入っている(文部省がそのようにした)ことを指摘しておきたい。
(その件を記した私の記事はこちらです▼

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十分吟味しつつ、柔らかい心で

1970年頃に、第4次大覚醒、ジーザスムーブメントといったことが起きた頃、日本の教会は、日基教団などにあっては教団紛争、福音派では聖書の「無誤無謬性」をめぐる不毛な論争と反目、また以降の時代「カリスマ運動的なものへの過度な忌避」に見舞われ、協力して、「外に」インパクトを与える状況ではなかった(守ることにのみ汲々としていた)。

アメリカでは学園紛争があっても、ヒッピー運動の人々さえ巻き込んで、ジーザスムーブメントがもたらしたような後世への「実」が豊かに残ったが、日本では大きな心の傷と、社会改革を語るということへの大きな後遺症、「反動」だけが残って今日に至っていると私は思う。

その帰趨が2030年問題だと私は思っている。

だが、先にも述べたように、多くの日本人はすでに福音に触れている。必要なのはそれが「目覚める」(リバイブする、覚醒する)ことだと思う。

また、今クリスチャンであるが、自分の「から」に閉じこもっている教会、人々があるなら、本当の聖霊の風が来たならば、自分の考えに固執せず、新しいこと(もちろん聖書に照らしての吟味が十分に必要だが)を拒否しないことが重要だと思う。

そこが、今の行き詰まった日本の「帰るべきところ」だと思う。

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風は思いのままに吹く

いま、アズベリーを発端にアメリカで起こり始めたことが、ネットも普及した今の日本において、どのように社会にインパクトをもたらすのか…。

良い実を残すものとなってほしいと切に願う。

風(聖霊を例えるメタファー)は思いのままに吹くという。

人為的に、誰かがこの動向を操作しようとしたり、ましてや中田重治のように脱線したりせず、一方、過度に拒否したりして聖霊を憂えさせ、聖霊の風を「消して」しまったりしないようにと切に願います。

(1994年頃にクリスチャン新聞で守部編集長が当時、甲子園リバイバルミッションで起きた波乱の中、「リバイバル考」という総合的な情報・洞察を含む連載を書いたはずだが、検索しても見つからないのが残念である)

*写真は1932年、ホーリネスのリバイバルの一コマ。

時代的にはこれから日本はますます軍国主義に塗りつぶされ、ホーリネス系教会は弾圧され、牧師の殉死者も出すことなる(40年代)。政府の圧力で結成された日本基督教団は、教会堂に大麻を飾り、国民儀礼を行い、伊勢神宮に参拝することが当たり前となっていく。また、ホーリネス系教会(第6部、9部)を非難し切り捨てることになっていく(分裂騒動などホーリネスの世を騒がす著しい脱線があったにしても)

*元々FBに書きました↓(FBコメント欄にいろんな方々による貴重な情報、見解が書かれています)
https://www.facebook.com/michiharu.miura/posts/pfbid02tcSUd9xzZHxRaG693wUBMhYcjZ5qqSaWETfHxg1XqMjASVWeLsLAPhFkifTRwScFl

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