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83年 土浦めぐみ教会・朝岡茂師ガン手術直後の特伝

福音派の牧師らしいまじめさと、そして壮絶な生き様と、その牧会する教会の躍進ぶりを記した記事が出てきた。クリスチャン新聞1983年6月26日号に出た「ガンに克ち教会成長 同盟・土浦めぐみ教会」という記事。

記事は茨城県土浦市(人口11万人)にある土浦めぐみ教会(教団:日本同盟基督教団)が「去る5月」、ゲストスピーカーを迎えて3日間の特別伝道集会を開き、新来会者75人、うち「決心者」30人、受洗決心者9人を得たという記事。
続けて、同教会は「聖書の講解、信徒の教育、働きの機能化などによって、この10年で礼拝出席が37人から130、140人と3.5倍に増加している」と記す。

そして記事は、この教会の当時の牧師・朝岡茂師が直腸ガンの手術を受けた半年後だったことを記す。「新聞」と名の付いた媒体に相応しく、タイムリーな教界ニュースと、それにまつわる人の姿を融合させて、事実に即して記している。

ネットで調べると、朝岡茂牧師を、後輩牧師としてなつかしむブログが2件見つかった。

朝岡茂師のこと(朝岡師の夢は一千人教会の建設、そのステップに五百人会堂建設のため七百坪の土地を得て、着工寸前という段階だった。朝岡師の最後の礼拝説教は使徒4・13-23から。『神の声に聴く』と題し、師自身に神がどのようにみ声をかけ、聴き従ってきたかの導きと恵みのあかしでもあった。…これは1985年1月20日号のクリスチャン新聞の記事である)

朝岡茂先生(茂青年もせっかく見舞いにもらった貴重な鶏卵をばくちですってしまったり、看護婦の目をごまかして花町に出かけて、ギター抱えて流しをして小遣い稼ぎをしたこともあった。「酒は涙かため息か…」が茂青年のオハコだった)

クリスチャン新聞の記事には、「ガンでも動揺しない牧師の一貫した信仰姿勢を見て、さらに深いところで教会員が連帯した」と記されており、牧師自身、「ほんとうに信頼できるのは(聖書の)みことばだけであることと、執り成しの祈りの確かさ、人(教会員など)から愛される喜びを実感した」と語っていることを記している。

記事は手術の内容まで生々しく記した後、この特別伝道集会の際は退院しており、「退院する前から礼拝説教をしたり、3か月後にはイスラエル旅行に出かけるなど、朝岡師は元通りの精力的な日々を送っている」と記すと共に、再発の可能性も高いことに触れている。

ブログ「朝岡茂師のこと」によると、「ガンの手術後、浜松聖隷三方原ホスピス病棟に入院していた朝岡茂師(日本同盟基督教団理事、土浦めぐみ教会牧師)は12月30日(日)午前9時に召された。48歳だった。告別式(喪主・満喜子夫人)は、1月4日(金)正午より土浦めぐみ教会で行われ700人以上が参列した(1985年1月20日号のクリスチャン新聞より)」と記されている。

土浦めぐみ教会Webサイト「教会あれこれ


クリスチャン新聞1983年6月26日号


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