読了『さみしい夜にはペンを持て』古賀史健:著

2024.06.02 
パークウェル落合にて読了、図書館へ返却。入れ替わりで、区のWebサイトから予約しておいたイリナ・グレゴリ著『優しい地獄』を借りてきた。
小1のとき、人生で初めて張り切って書いた自信満々の作文を、「これは作文ではない」とやんわり批判され、それがトラウマというか、自己評価と一体化しており、文章を書くことに対して根強い苦手意識がある。一方、耳から入ってくる音楽は、わざわざ言葉を使った説明なんてしなくても芳醇さを味わうことができるし、逆に、言語化しきれない部分にこそ甘美な秘密が隠されているとも言えるし、それで十分ではないか。
その考えは今も変わらない。
しかし、あるきっかけから、言葉で表現するのも悪くないと思ったりしている自分がいる。去年、文芸に関わる学生のポッドキャストを聞くことにより文芸フリマの存在を知り、2023/11/11 東京開催への参加こそ時間切れで見送った、半年後の5/19、念願の初参加(出店ではない)もして何冊かのインディーズ本も買い込んだ。とは言え、長年の自己評価はそう簡単にゆるがないわけなのですが。
他人をなびかせるため(from 『ストーリーが世界を滅ぼす』)とか、誰かにわかってほしいからというような根っこの部分は、文芸に限らず、制作活動の源泉なのではないかと思えるので、そのあたりは十分に参考になった。より正確に言えば、他人ではなく自分のため、自分の喜びや興味がある方面の解像度を上げていくことは、無条件にわくわくすることなんだと思う。感情のヒダの一枚一枚を丁寧に紐解くのと、それらをより正確に表現するための技術を磨くこと、これこそが、人生を費やすに値することなのではなかろうか。それに比べて、他人との円満な関係を維持するためだけにどれだけ時間と労力を無駄にしてきたのかと、今さらながら思ったりもするわけで。

この記事が参加している募集

#文学フリマ

11,710件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?