見出し画像

光の時代への青写真(7)教育

みなさん、こんにちは。
今回も、近未来への青写真のお話をしていこうと思います。
いつものように、直感による推測ですから、
みなさんが共感したことだけを受け取ってください。

第七回目は、教育です。

近未来の青写真については、
既に、このサイトで、SFとして書いています。
まだお読みになっておられない方は、お読みください。

https://note.com/chozo/n/na96324a5bd3e

今回は、それよりも以前の身近な改革について、
ざっくばらんに語りたいと思います。
改革は一朝一夕で進むものではなく、
私たち目覚めた日本人が、
個々のやり方で進めるものですが、
大まかな指針は必要かと思います。

今ある学校をどう変えていくか。
特に、子どもを持つ親がどう変えていくかが、
とても重要なことだと感じています。

小さいことから徐々に改革し、
やがては、以前に私が青写真として示した、
大きな改革へとつながるのではないかと信じています。

闇の世の学校は、奴隷の再生産という役割がありました。
上からの命令や指示に素直に従い、
周りの子どもに合わせて動くように躾けられてきました。
非常に無駄なことが多く、
その無駄な時間を我慢して過ごさせることも、
忍耐力と偽って、闇の社会に順応させる為のものでした。

改革すべきは、山ほどあり、
というか、ほぼすべてが必須の課題です。
ここではすべて言及することには無理がありますので、
主なものを扱っていきます。

その一つがテストと成績です。

ほとんどが闇に都合のよい教育内容でした。
歴史はすべてが嘘で、科学も多くは嘘でした。
それを、テストをして、点数を付け、
成績順に子どもを評価していました。
頭がいい、わるいという価値づけがなされ、
幼い頃から、子どもの序列化が進められてきました。

それは、ヒエラルキー(階層意識)の形成が目的です。
また、子ども間の対立や分裂をも生みます。
それが、高校受験や大学受験を通して、
私たち奴隷階層でのヒエラルキーとなって、
子どもは、闇に都合のいい内容をより多く確実に覚えた者が優秀とされ、
そのヒエラルキーは、社会人となった後も、永遠に続きます。
それこそが、闇勢力の狙いだったのです。
学校は、格差社会を生み出すために目一杯利用されてきたということです。

もちろん親も周りの大人たちも、闇に協力させられて、
ニセ学問のテストで高得点を取ることが、
勉強を頑張る優秀な子どもとして認識されていました。

目覚めた親なら、この点での改革はすぐにでも実行可能です。
テストでどんな点を取っても気にしないことです。
つぎはがんばろうね。と言う必要もありません。
無理して頑張る子どもは、大人になって、
無理して仕事をして、物言わぬ納税者となります。(笑)

周りの大人たちの多くが、点数に無関心になることで、
テストと成績の価値は薄れていきます。
どんなに成績が悪くても、日本では、
小中学校の落第はありませんので、大丈夫です。
ずっと不登校でも卒業できますからね。

テストの採点や成績表作成が無くなれば、
教師の仕事は多くが削減されます。
目覚めた教師の皆さんは、テストの削減に取り組んでください。
通知表や指導要録といった無駄な作業もする必要はありません。

不登校が悪であるかのように世論は形成されていましたが、
学校に行かない子どもは、
学校が、奴隷養成所だと薄々感じていたのだろうと思います。
やりたくないことばかりをやらされるのは嫌だ!
という、自由意思を自らが尊重していたのです。
もちろんテストや成績の無意味さも感じていたはずです。

テストなんかされなくても、
理解しているか、習得しているかは自分で分かります。
他人からテストされなくても、
自分がよく理解していると判断すれば、それでいい訳ですね。

成績も同じ。
他人から評価されなくても、どのくらいのレベルかは自分で分かります。
理解度が不足していると思えば、
都度都度、必要な学習を加えていけばいいのです。

子どもの頃からそういう学習習慣を身に付けることが、
実は、学習力を磨く上で、とても大切です。
そういうチャンスをことごとく奪ってきたのが、
テストと成績なんですね。

ですから、目覚めた親や教師は、
点数や成績にはこだわらないという、
思考の大変革をする必要があります。

テストや成績は、学ぼうとするモチベーションを低下させ、
好奇心を奪ってしまうツールに過ぎません。
他人の評価を気にしてやまないという精神は、
それこそ闇が求めていた教育なのです。

それから、宿題も必要ありません。
学校という奴隷育成システムを家庭にも持ち込むことになります。
目覚めた親なら、「おい、宿題は済ませたのか?」
という子どもへの問いかけは止めましょう。
するしないは、子どもの自由意思に任せればいいのです。

学校には様々な行事があります。
主なものは、卒業式や運動会ですかね。
あれ、無駄です。
準備が大変だし、子どもにも教師にも大きな負担に過ぎません。

私自身も小中高大という四度の卒業式を経験しましたが、
どれも退屈で、早く終わってほしいとばかり思っていました。(笑)
魂が、そんなの無駄、無駄と伝えてくれていたのでしょう。

運動会はもっと大変です。
子どもを競争と集団訓練に駆り立て、
日本型の奴隷育成メッソドとしてとても有効でした。
そこには、個人の自由意思の尊重など微塵もありません。
運動会は、日本独自なので、
おそらくは、日本DSが誘導してつくったものでしょう。

たしか、諸外国には入学式や卒業式といった儀式も、
小中学校には無かったと思います。

長年続けられてきた儀式や行事は、
日本の文化だと勘違いさせられているので、
すぐに無くすのは難しいでしょうが、
光の時代の学校としては、不似合いです。

徐々に縮小しつつ、
やがては廃止するという方向でよいと思います。

少し前、PTAが廃止された学校が出てきた。
という情報を聞いたことがありますが、
PTAは、親にも教師にも負担に過ぎないものですので、
わずかな改革ですが、小さなところから、
できることから学校をスリムにしていくという意味では、
いいことだなと思いました。

表のメディアでは、
たびたび、教師不足が報道されるようになりました。
今の学校の状態では、職場としての魅力はゼロということでしょう。
忙しさに追われるだけの過重労働な仕事は誰も避けたくなります。
不足が続いて深刻になるのはポジティブな傾向だと思います。
やがては、学校というシステムは解体され、
再編されていくでしょうから、
教師不足は、その過程での痛みということになるでしょうか。

目覚めた私たち一人ひとりの改革への個人的な努力が、
やがては大きな変革となって、現実化していくことでしょう。
善良な宇宙人のみなさんは、それを見守っていると思います。

胸を張って堂々と、
少しずつ現実を変えていきましょう。

ということで、今回は、近未来よりもっと前の青写真について、
ごく一部ではありますが、思っていることを述べてみました。

ご閲読、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?